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(回答先: 外山恒一、1万票突破! [腐った合板ベニヤ板] 投稿者 white 日時 2007 年 4 月 09 日 00:15:32)
□外山恒一さんの政見放送は心にしみる [ねっとさまりー]
http://netsummary.seesaa.net/article/38285476.html
2007年04月09日
外山恒一さんの政見放送は心にしみる
映像の世紀の音楽に乗った外山恒一さんの政見放送の動画いいですね。
私は、自分が外山恒一さんと時代を共有しているのだと感じました。
外山恒一さんはある種のテンプレートだと思うのです。政治信条がどうであっても、時代の中で共有しているものがあるのです。
大手企業が収益を上げる一方で、対照的な下流社会がある。
社会に対する不満のテンプレートが外山恒一さんです。思想の中身などどうでもいい。同じ時代の中で下流に生きるものなら、誰もが共感出来るテンプレートなのです。
外山恒一さんの存在は、政見放送というものを通じて投げかけられたところに意味があります。
仮に外山恒一さんが立候補せずにYouTubeで檄を飛ばしているだけなら、単なるノイズだったでしょう。
この世の中では立候補することでパブリックな空間に立てます。立候補したものは、パブリックな存在として扱われるのです。普段であれば、社会的ステータスを持った者しか立てない領域です。
そこから発せられた檄だからこそ意味があるのです。
立候補しないで同じような演説をしても、それはプライベートノイズなのです。
たとえネットで公開しようとも、深夜の部屋の中で痛飲しながら不満をつぶやいているのと変わらない。
立候補し、政見放送という形で流したことで、外山恒一さんはパブリックなメンバーとなり、歴史の一員に食い込んだのです。もちろん候補者をパブリックに扱うのは手続きの問題でしかなく、世間的には泡沫候補ということです。
しかし世界の片隅にいる私にはそのメッセージが届きました。
同じように片隅にいる人にはメッセージが届いたでしょう。
それによって何が変わるのか?
何も変わらない!
怒りの檄がパブリックな空間に析出して、それがネットの中で少し伝わっただけ。
選挙が終われば、今までのパブリックな舞台は畳まれて、外山恒一さんはパブリックな領域から消え去るのです。
でも同じ時代に生きる者達にある種の共感を作り出したと思います。それは冷笑的なものでありながら、戯画化されているがゆえに、気軽に参加出来た共感性です。本気で外山恒一さんの思想に賛同しないといけないとすれば、誰も相手にしなかったでしょう。
たとえばバブル経済の頃であれば、たぶん外山恒一さんみたいな檄は本当の意味で異質で、変なものだったはずです。
しかし、今の時代においては、極めてしっくりとくるのです。
そうやってネットで広がった共感は社会的にはどこにも広がりません。
でも安い酒を飲みながら見る動画として、同じ時代を生きる私たちの友となり得ると思うのです。
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