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北朝鮮をめぐるあやしい噂 [ネットゲリラは潜水艦戦である。]
http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/344.html
投稿者 white 日時 2007 年 4 月 07 日 21:57:20: QYBiAyr6jr5Ac
 

□北朝鮮をめぐるあやしい噂 [ネットゲリラは潜水艦戦である。]

 http://my.shadow-city.jp/?eid=400955

北朝鮮をめぐるあやしい噂
さて、好きとか嫌いとか、人気があるとか、悪人だとか、そういう話は置いといて、改めて考えてみる。北朝鮮という国の奇妙さについて、だ。どこから出てきたのか良く判らない金日成という男が、神格化されて世襲で権力が委譲される。で、当初のケツ持ちだったソ連を裏切って中国についたかと思えば、日本に朝鮮総連という拠点を作ってみたり、アメリカと60年にわたってやり合ってみたり、なかなか面白い国であるのは間違いない。で、おいらは以前から、こういう北朝鮮の体質は旧大日本帝国の大東亜共栄圏構想を受け継いでいるのではないか、と言ってるわけなんだが、それを裏付けるような話の数々が出てきた。まず、これ。

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 昭和20年8月の終戦直後。支那大陸やロシア各地になお相当数の間者(諜報員)が残っていた。そうした諜報員の一人が日本に引き上げる軍属に漏らした言葉がある。
 ――そうか、わが軍は敗れたか。仕方がない。自分は大陸に残り、大陸中の女を抱いて50人 100人の子供を作ってやろう。そのなかの何人かが先祖返りをして、再度大東亜共栄圏の夢を果してくれるかもしれぬ……。
 こんな思いで支那大陸やアジア各地、ロシアに残った猛者たちがかなりの数にのぼったという。
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ところで、金日成が抗日パルチザンの英雄というのは捏造された姿だというのは有名なんだが、誰がそんな神話を捏造したのかは、あまり知られていない。実は、それは金策という人物で、金日成の片腕と呼ばれた男だ。ところが、コイツには謎が多い。

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 超大国・米国、隣国である巨大国家・中国。これらを相手に回し、無謀とも思える強硬姿勢を貫き通し、欧米思想を撥ね返してアジア文化を死守する北朝鮮。現在の北朝鮮体制の基礎を作った金日成の片腕・金策が旧日本軍の明石機関に通じていたとの噂は、研究が進につれ真実味を増してきている。それは即ち、北朝鮮がなお、中国、米国を相手に大東亜戦争を貫徹していると考えることも可能なのだ。
 世界中の研究者たちが不思議に思っている、金正日の日本文化好み。なぜあれほど日本文化に憧れるのか――。その謎解きは北朝鮮成立の基礎固めをした金策という人物と、金策の背後関係にあるのではないだろうか。
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で、金策が明石機関の一員だったというのは定説になりつつあるんだが、いやいや、それだけじゃない、金策は実は、日本人なのだ、という話まである。金日成の神格化のスタイルは、日本の天皇制を真似したものだと言うのだ。北朝鮮の体制が、ソ連とも中共とも違う東アジア的君主制に近いのは、それゆえだ、と。口先がどうであれ、北朝鮮が日本を手本とし、日本に憧れているのは間違いない。金正男という男なんだが、アレはジョンナムじゃない、マサオと読むんだよw 息子に日本人みたいな名前をつけるくらいだから、金正日だって日本大好きだ。でもね、アメリカに尻尾を振ってる哀れな日本が好きなわけじゃない、東アジアに君臨する大国としての大日本帝国が好きなのだ。

で、彼らの工作というのは、どの大国とも付かず離れず、貧しく小さな国ながらも自主独立を維持する為に行われる。もともと諜報機関の工作員なので、謀略だったら何でもアリだ。たとえば、こないだ変態山拓が訪朝した折なんだが、

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北朝鮮からアベッチを震え上がらせるような、ある「お土産」を持ち帰って来たらしいという噂である。あるお土産とは、アベッチがキム・ジョンイルに官房長官時代に送った「密書」らしい。「拉致問題を私(アベッチ)に一任してくれたら、総理就任の暁には貴国のために何でもやります…」とかなんとか記した密書らしい。この密書を運んだのが、朝鮮語がペラペラ(笑)のアベッチの秘書・井上某だったとか。この「安倍密書」とは、公開されたら簡単に安倍政権は吹っ飛ぶだろうというようなシナモノらしい。
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でもね、そんなのはまだ甘い。北朝鮮は歴代の自民党有力政治家のキンタマ握っている。そう簡単に潰せるものではない。で、その工作はアメリカに対しても行われている。偽ドルのルーツは、ベトナム戦争で北朝鮮が捕虜にした米兵を救うためだった、という話。

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 北朝鮮に連れ去られた数百人規模の米人捕虜を救うために、米政府は地下ルートを使って北朝鮮側と秘密交渉を行った。このウラ取引の際に、北朝鮮の麻薬・覚醒剤ビジネスを米側が了承したというのだ。――この時点まで北朝鮮の麻薬ビジネスは、いわゆる国際麻薬組織のルールを無視したもので、これを国際闇世界公認のものとすることで米側にも利益があったとされる。さらに北朝鮮の収入源としてスーパーK(贋ドル)印刷機も与えたという話もある。――スーパーKは贋ドルとは言っても実態はホンモノのドル印刷機である。こんなものを与えるのはやり過ぎと思われるだろうが、じつは米側はスーパーKの流通経路を調査することで、北朝鮮の貿易実態、麻薬・覚醒剤ビジネスの実態等すべてを把握しようとしたのだ。
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いやいや、嘘か本当かは知らんけど、北朝鮮は面白い国だわw で、行政調査新聞によれば、キムジョンナムが日本に来たのは「亡命の下見」だと言うんだけどね。いよいよヤバくなったらファミリーあげて日本に逃げ込むつもりらしい。

穿った見方をするならば、だよ。日本の政治家はみんな、アメリカに頭があがらないヘタレなんだが、フルフォードの言うように、ケケ中も本当は愛国者なんだが、アメリカに脅迫されて仕方なく国を売ったんだ、と。ケケ中に限らず、日本の政治家は全員、そうせざるを得ないわけで、そんな日本の代わりに、金ファミリー率いる北朝鮮が、無頼は無頼なりのやり方でアメリカと対峙しているのだ、とも言える。ただ、問題なのはアメリカが東アジアに対する関心を失いつつある、という事実だ。中国が経済力をつけているのに、長く続いた戦争で疲弊したアメリカは、アジアから尻尾を巻いて逃げ出そうとしている。この、国際情勢の変化に、北朝鮮がどう動くのか、どうせ面白い国なので、また、奇想天外なテクニックで我々を楽しませて貰いたいものだ。


▽関連記事

□韓国大統領弾劾と半島情勢 [インターネット行政調査新聞]

 http://www.gyouseinews.com/international/mar2004/002.html

韓国大統領弾劾と半島情勢
〜半島情況を把握し、東アジアの過去と未来を自らのなかで構築しなおしてみよう〜


 3月12日、韓国国会は大統領弾劾案の可決という憲政史上初の事態を演出した。盧武鉉(ノムヒョン)政権誕生からわずか1年。3月初めに野党民主党が「弾劾も辞さず」と動き出した時点では弾劾案の発議すら危ぶまれており、本紙も弾劾の可能性は考慮はしていたものの現実にはあり得ないと考えていた。弾劾決議に持ち込めば、ハンナラ党をはじめ野党側にマイナスとなる可能性が高いからだ。それが一転して弾劾可決。一見、政権が崖っ淵に追い込まれた恰好になってしまった。

 盧武鉉大統領は職務停止で表向き国政に直接携われないという「謹慎状態」になるため、韓国国民には空白感が生まれている。重要案件などで国政の滞りを心配する声もある。

 憲法裁判所の最終審判では、弾劾理由が弱いこともあって弾劾反対論が優勢の見通しだが、審判結果がすぐに出る可能性は少ない。結局、盧大統領の「辞任か続投か」は4月総選挙の結果しだいということになる。与野党は今後、総選挙を舞台に激しい総力戦を展開する。

 世論調査では、与党ウリ党の支持率が上昇し、政治資金疑惑で人気急落のハンナラ党を上回ってトップに立っている。この数字こそ盧大統領を強気にさせている理由だ。政党支持では「未決定」が40%以上という状況だが、盧陣営は市民運動やインターネットなどを利用した選挙上手だけに、総選挙でも「大統領選の再現」で与党の劇的勝利を狙っている。そして今のところ、盧武鉉の圧勝、韓国の親北朝鮮化という流れは止まりそうにない。

 しかし、この時期に韓国大統領が表舞台から姿を消すことは、北朝鮮を巡る6カ国協議にも重大な影響を与える。――そうしたすべてを認識、把握したうえで、今回の弾劾決議可決の方向が演出されたと考えておかしくはないだろう。

 そもそも盧武鉉大統領誕生のときから、いや、金大中(キムデジュン)大統領の登場からずっと、韓国は北朝鮮に呑み込まれていたと考えて良い。

 隣国・日本の庶民大衆の一人として、ここで金大中・盧武鉉の正体を見直し、彼らを呑み込んだ北朝鮮の本質を理解し、極東アジアのあるべき近未来の姿を自らのなかで再構築する必要があると思われる。


盧武鉉とは何者なのか?

 2002年(平成14年)3月16日、韓国の全羅南道光州市で行われた与党(新千年民主党)の大統領候補指名大会(国民競選)で、盧武鉉はライバルの李仁済(イインジェ)を204票上回って勝利し、与党の大統領候補となった。これは与党内部はもちろん韓国国民にとって意外な結果だった。

 この5年前、1997年12月には全羅南道の金大中が90%超という圧倒的得票率で勝利し、その勝利がそのまま大統領選に直結した。今回もまた、全羅南道の韓和甲(ハンファカップ)が圧勝し、そのまま大統領選に向かうだろうと誰もが思っていた。ところが韓和甲は3位。これは明らかに異変であった。いや、異常だった。事実、半年以上たった2002年10月になって新千年民主党の古参議員(当選6回)の金令培(キムヨンペ)が「国民競選は詐欺だった」と発言している。

「新千年民主党の国民競選は国民が自発的に参加した選挙ではなかった。候補者たちが動員したのだ。それは詐欺だ」……
 (2002年10月8日/記者との昼食会での発言。)

 この時点で野党ハンナラ党の大統領候補は李會昌(イヘチャン)である。では、李會昌に勝てる与党候補は誰なのか? それは韓和甲か李仁済と言われていたのだが、なぜか盧武鉉が勝利してしまった。そして異常はこれで終わったわけではなかった。その後、盧武鉉にはさらなる強敵が出現する。2002年夏の日韓共催ワールドカップの熱狂を受けた韓国サッカー協会の鄭夢準(チョンモンジュン)会長だ。鄭夢準は現代財閥の御曹司として知名度も高く、マサチューセッツ工科大で博士号を取得している超エリートだ。与党・新千年民主党は候補を一本化し、強敵・李會昌に対抗しようと考えて単一化推進協議会を立ち上げ、鄭夢準一本に絞るはずだった。ところが結果として盧武鉉に統一されたのだ。

 なぜ盧武鉉になったのか?

 慶尚南道の貧農の家に生まれた盧武鉉は大学にも通えず、独学で司法試験に合格。短い判事の経験の後、いわゆる人権派弁護士、民主化運動の弁護士として労働者大衆を中心に支持基盤を広げていた。彼の妻の父は共産パルチザンであり、刑務所で獄死している。たしかに労働者を中心とした大衆から支持される要素はじゅうぶんにある。しかしその要素は、韓和甲や李仁済、鄭夢準と比べて圧倒的ではない。いやどちらかと言えば見劣りするし、新千年民主党が望む人材ではない――はずだった。

 なぜ盧武鉉になったのだろうか?

 さまざまな要因が複雑に絡んでいる。ただひと言で片づけるならば、こう説明するしかない。「金大中が望んだのだ」と。

 すべては、前大統領である金大中が仕組んだものなのだ。もちろん他にも複雑な事情がある。だが、盧武鉉は間違いなく金大中が作り上げた大統領なのだ。


カネで演出された南北会談

 金大中は大統領を退任する10日前、すなわち2003年2月14日の朝に「対国民談話」の記者会見を開いた。その席で金大中は、歴史的南北会談に絡んで現代財閥の一つ現代商船が北朝鮮に送金したと噂される事件に関し、「2億ドルを北朝鮮に送金した」ことを認め、「すべての責任は大統領である私が持つ」と明言。しかし「この問題を法律的に取り上げるのは国益のために適切ではない」と矛盾する発言をしている。

 この2日後の2003年2月16日、鄭夢憲現代財閥会長が記者会見で、「2000年6月に北韓(北朝鮮)での事業のために5億ドルを送金した。これが金大中・金正日の南北会談に寄与した」と語った。ここで疑念が拡大することになった。金大中が語った2億ドルは、鄭夢憲の5億ドルの一部なのか? あるいは……。ちなみに鄭夢憲会長は、この日から約半年後の8月4日に投身自殺をしている。

 韓国国内では当然ながら疑惑糾弾の声が高らかにあがった。鄭夢憲会長が記者会見を行った2003年2月16日にはハンナラ党が特別検事法を強行採決して捜査が進められることになった。5月末には現代財閥に不正融資を行ったとして産業銀行の李瑾栄(イグニョン)が逮捕され、続いて融資に圧力をかけたとして大統領府経済首席補佐官の李起浩、大統領秘書室長の朴智元が逮捕された。

 そして興味深いことに、6月に入ると平壌放送は「(韓国の)特別検事法の無理な導入は南北関係を対立の方向に駆り立てるばかりか凍結状態に追い込む」と、5億ドル送金の捜査に対して脅迫めいた放送を流したのだ。この一事を見ただけでも、噂されている金大中と北朝鮮との親密な関係を推測できる。

 特別検事法に基づく捜査は同年6月25日に終了し、関係者8人が起訴された。しかし金大中の関与については、「送金の事実は承知していたが違法行為にどこまで関与していたか判明されなかったので捜査から除外された」と報告されたのだ。

 これこそが盧武鉉新大統領が金大中に対して行った最大の配慮だった。

 金大中を守り、金大中が唱えてきた南北政策(太陽政策)を継承し、金大中が望む方向に韓国を導くこと。――それが盧武鉉に与えられた使命であり、盧武鉉が大統領になった最大の理由なのだ。

 では、金大中とはそもそも何者なのか?


正体不明の金大中

 歴史的な南北会談を実現させノーベル平和賞を受賞した韓国の大統領。かつて朴正熈時代にKCIAによって日本から拉致された民主化運動の旗手……。他にも「親日的」とか「太陽政策の推進者」とか、多くの方々は金大中のある面を理解していると思う。だが実際のところ、金大中ほど謎に満ちた人物はいない。

 なにしろ生年月日すら不明なのだ。いちおう公式には1926年1月6日生まれとされている。だが金大中は最初の大統領選(1971年・昭和46年/朴正煕と戦った選挙)では「亥年生まれ(1923年末〜1924年)」と自ら述べている。そして次の選挙、1987年(昭和62年)では公式記録に「1925年12月3日生まれ」と記入し、この数字は現在もネット上でも確認できる。ところが1997年に大統領に就任した際には青瓦台(チョワンデ)のホームページに「1926年1月6日生まれ」と記している。

 生年月日のことは、まあ大した問題ではないとしても、学歴詐称のほうはどうだろうか。最初の大統領選のときには「高麗大学経営大学院修了」だったのが、次には「慶熈大学院経済科卒」となり、大統領に当選したときには「木浦公立商業学校卒」となる。――韓国でも金大中の学歴疑惑が問題化したことはあったが、金大中の秘書(韓和甲)がこの問題に強烈な批判を展開、「エール大学やハーバード大学から名誉博士号を与えられた世界的碩学者に失礼な話だ」ということで、疑惑騒動は収束した経緯がある。

(ちなみに現在、青瓦台の「金大中略歴」には、1947年以前が省かれている)

 卒業してからの活動記録も怪しい。木浦商校を卒業して全南汽船に入社、大東亜戦争後の1947年(昭和22年)からは木浦海運を経営していたと本人が語っているが、彼の親戚によると卒業後すぐに満州(現中国東北地方)に渡り、豊田と名乗って日本軍の情報機関で働いていたという。

 また金大中が左翼活動を行ってきたことは誰もが知っているが、朝鮮戦争のときには何をしていたのだろうか。本人の言によると、自営していた木浦海運の仕事をして、戦争の最中に人民解放軍(北朝鮮軍)に捕らえられ、銃殺寸前のところだったという。銃殺寸前だった者がどんな手段で助かり、どうしてそんな人物が政治の世界で生きることになったのだろうか。謎は深まるばかりなのだ。

 過去の話はどうでも良い。だがカネに纏わる疑惑も非常に多い。

 金大中は昨年2003年2月末に青瓦台からソウル市麻浦区東橋洞の私邸に戻った。その私邸は彼が大統領であった時代に隣家を続々と買って広げられ、2000坪近い土地に私邸や金大中図書館、アジア太平洋財団(亜太財団)の事務所、2か所の警備哨所を備えている。地下1階、地上2階、総建坪199坪の私邸はエレベーター付きで浴室が7つ、室内庭園もあるという超豪華なものである。韓国大統領とは、それほど儲かるものなのだろうか?

 金大中のカネに纏わる話は山ほどある。ここですべてを語ることなど到底できない。ひと言で表すなら、金大中は「政治家」という営利事業を行う経営者であり、政治のすべてを私腹を肥やすことに使ったと言えるだろう。

 金大中に対する疑念疑惑はいくら書いても尽きることがない。その謎の実体は情況証拠だけで山のようにある。金大中とはそもそも何者なのか。簡単に言えば以下のようになる。――終始一貫して反韓国運動を展開し、また同時に反日活動を展開し、そして反米であった。反韓・反日・反米こそ、金大中のすべてだと語って良い。しかも彼は、反韓・反日・反米という運動をカネにしていた驚くべき人物だったのだ。

 昭和48年(1973年)8月8日、金大中は滞在中の東京九段のホテルから拉致され、5日後にソウル麻浦区の自宅に戻された。KCIA捜査局が総指揮をとったとされている。この事件によって彼は「民主化の旗手」としての名を高め、また日本の警察警備の甘さが指摘され続けてきた。だがこの事件の「慰労金」としてKCIAが金大中に莫大なカネを支払ったという話は、あまり知られていない。

 北朝鮮工作員が戦後50余年、韓国、日本で延々と続けてきた工作の一つに社会不安定化工作がある。金大中本人が強い意思を持って北朝鮮の工作活動に従事したか否かは定かではない。しかし金大中が韓国、日本の不安定化工作を行ったことは事実であり、日本での拉致事件にもその一端を垣間見ることができる。

 話題が大きく逸れて申し訳ないが、日本の不安定化について強く思うことがある。

 最近――というか、おそらく戦後十数年を経てからというもの、新聞TVの報道は悪事ばかりを暴きたてているように思える。とくにこの数年は、目を覆うばかりの凶悪犯罪が目立つ。かつて――とくに戦前の新聞を見てみると、軍国主義を強調する意味合いもあっただろうが、感動の実話、善行といったものがどこかに載っていたものだった。そうした記事は確かに感動を呼び、心を踊らせるものだった。

 新聞TVのニュースだけではない。評論家、批評家、文化人等と呼ばれる人々はただひたすら政治家の悪口、財界人の悪口、他人の悪口を並べている。辛口の批評や悪口を言うことが恰好良いこと、知的なことと誤解している輩が多い。その結果、世間では「この程度の悪事は普通のこと」「政治家というのは悪事を働く存在」といった雰囲気が充満し、社会全体がどんどん腐敗堕落していくように思える。

 この状態こそ、社会を不安定の方向に導くものだということに気づくべきだ。政府に、社会に、わずかでも希望を繋ぐために、庶民大衆の一人として何ができるか――。それは周囲を恐れずに良い部分を徹底的に褒め上げることだろう。


大東亜戦争終結後の半島を再考

 話題が大きく逸れてしまった。元に戻そう。

 私たちはここで、戦後日本を生きてきた庶民大衆の一人として大東亜戦争直後の半島を再認識する必要がある。半島の現在と未来に日本人がいかに関わるか――。「よその国の事には口を挟む必要はない」などと逃げている場合ではない。戦後日本を生きてきた庶民大衆の一人として、われわれは半島の未来に関与する義務があるのだ。

 昭和20年8月15日の日本の敗戦。この直後朝鮮半島はどのような状況になったのか。

 半島南部は米国の軍事体制下に置かれ、北部はソ連軍が支配するという状況のなか、日本の占領支配からの解放で半島は熱気に満ちていた。
 大東亜戦争終結4カ月後の昭和20年(1945年)年末、モスクワで開催された米英ソの3カ国会議では朝鮮半島を5カ年間信託統治に置くことが決定された。だが、その具体化のために翌年(1946年)3月と翌々年(1947年)5月にソウルで開かれた米ソ共同委員会は決裂。朝鮮半島をどのような形にするかという問題は国連に委ねられた。当時の国連は米国主導のものであり、その国連決議に基づいて1948年(昭和23年)5月から韓国政府が統治をすることになった。初代大統領には大戦中に上海に臨時亡命政府を築いていた李承晩(イスンマン)が、38度線以南の総選挙で選ばれた。

 いっぽうソ連軍支配下の北朝鮮では、戦後直ちに「反帝反封建・民主主義革命を行う独立国家」の建国が叫ばれ、ソ連の沿海州から戻った金日成(キムイルソン)が主導権を確保。翌1946年2月には早くも「北朝鮮臨時人民委員会」という政府組織を発足させた。米国主導の国連がその決議で朝鮮全土の総選挙を求めたことに反発し、国連代表の入境(入国)を拒否。韓国政府が誕生する前月の1948年(昭和23年)4月には韓国居住の左系論者を平壌に呼び寄せ、米ソ両軍の完全撤退と朝鮮半島統一の決議を行っている。

 こうした状況を経て1950年(昭和25年)6月25日から3年余にわたって朝鮮半島の全土を戦場とした大規模な戦争――朝鮮戦争が勃発した。この戦争に先立ち、金日成はソ連のスターリン、支那北京政府の毛沢東を訪ね南進の許諾を得ている。

 北朝鮮軍の南進直後は北側の圧勝で、一端は韓国軍を釜山まで追い詰めたほどだった。だが国連軍が仁川から上陸して形勢は逆転。今度は北朝鮮軍が支那国境まで追い込められることになる。そこに支那人民解放軍(記録上は志願兵。実体は支那正規軍である野戦第4軍)が参戦し、再度38度線まで戻したところで膠着状況となり、ソ連の仲介により休戦協定が結ばれたのだ。


北朝鮮の建国と金日成神話

 大東亜戦争の終結を目指して朝鮮半島に進出したソ連軍は半島北部を武力制圧し、日本の敗戦決定と同時にここに共産主義国家の建国を決定する。北朝鮮建国はすなわちスターリンの意思だった。そのスターリンの代弁者として建国に関わったのが朝鮮共産党北部朝鮮分局であり、それは後に北朝鮮臨時人民委員会という政府組織に発展する。この委員会の委員長こそスターリンの傀儡である金日成だった。

 金日成は「抗日パルチザンの英雄」とされているが、それは整合性も正統性も存在しない作り話である。かつて1920年代に抗日戦の英雄として金日成将軍という人物がいたが、この人物と北朝鮮建国の父とされる金日成とは別人である。北朝鮮の金日成は明治45年(1912年)4月生まれであり、昭和16年に小規模な抗日運動を行ったとされているが、それすら疑問視されている小物で、本名は金成柱とも言われる。当時、抗日戦という性質上、変名・偽名・改名等は当たり前で、それが問題とされることはなかった。その結果、金日成は十数年前の人物と混同、同化されたようだ。金日成(金成柱)が「抗日パルチザンの英雄」だったという神話は現在にまで語り継がれ、今や北朝鮮以外の地域でもそれを真実だと考えている人もいる。

 朝鮮戦争後の労働力不足、深刻な経済危機、さらには支那とソ連との対立という構図のなかで、窮地に追い込まれた金日成は北朝鮮独自の路線樹立とその貫徹を考えるようになる。ここに強力な影響力を与えたのが彼の側近の金策(キムチェク)である。金策は北朝鮮政府内の主流勢力だった親ソ連派を粛清して壊滅に追い込み、金日成独裁政権を誕生させた。この手柄により彼の出身地とされる城津は「金策」と改名され、また金策工科大学という大学が作られたり、金策を冠に置いた工場や研究所が生まれている。

 朝鮮民族はその歴史の流れの果てに、国家・民族より宗族を尊重するという独特の族譜(本貫図)を持つようになった。わかりやすく言えば国家よりも民族よりも身内が大切、一族郎党を大切にするという姿だ。金策はこの本貫図を強制的に取り上げ、廃棄し、まったく新たな民族構成図を作成した。それは朝鮮民族の父祖を「白頭山に誕生した壇君神話」に求め、それが「金日成を一族とする朝鮮族に至る」という建国神話の創出だった。

 朝鮮半島の民は、常に同族内の対立が原因で周辺国の介入を招き、それが元で自滅していく。本貫図を廃棄し新たな「金日成一族」意識を持たせることにより、いわば戦前の日本の天皇制のような構図を半島の民に授けたと言える。

 金日成の独特の理論とされる主体(チュチェ)思想とは、「思想における主体、政治における自主、経済における自立、国防における自衛」(金日成)と表現される。この理論を確立させた黄チョンヨプ元朝鮮労働党書記(韓国に亡命)は、その基礎理論に戦前のドイツ国家有機体説や天皇機関説を採り入れていることを明らかにしているが、金策が提言した建国神話とあわせて、戦前の日本の影響力を考えざるをえない。

 金日成・北朝鮮を背後から作り上げた男・金策。

 金策とはいったい何者なのか?


金策と明石元二郎

 金策はもともと満州(現支那東北三省)北部、ソ連との国境近くで抗日パルチザン運動を展開していた小部隊に所属していた。後にここで金日成(金成柱)と合流。昭和16年(1941年)に戦争が本格化するや、金日成など二百余名とソ連の沿海州に脱出。終戦後の昭和20年(1945年)9月に金日成ら60人の「朝鮮工作団」と共に北朝鮮に戻ってきた。

 こう記すと金日成の仲間に間違いないと思われるだろうが、じつは金策には謎の部分がある。彼は抗日パルチザンの動向を知るために日本軍が放った間諜(スパイ)だったという説が強く存在しているのだ。いやそれどころか金策は日本人だったという説もある。金策の息子は国泰というが、この名は朝鮮では珍しい部類。「国家泰平」から2文字を採ったとなると、非常に日本人的だ。

 彼が金日成に入れ知恵し、北朝鮮の民に本貫図を廃棄させて戦前の日本の天皇制のような構図を授けたとしたら……。辻褄は合う。

 金策が日本人だったかどうかは不明だが、彼が明石元二郎に連なる間諜だったという説は真実だと考えてよい。明石元二郎という名は日本の近代史に詳しい方なら良くご存じだろうが、念のため以下に概略を記しておこう。

 明石元二郎(あかしもとじろう)は大正7年(1918年)に台湾総督に任命され、台湾の事業推進や司法改正に尽力し、台湾人に対する差別教育を廃止させた名総督とされ、現地の人々から敬愛される人物だった。余談になるが、彼の墓は台湾に作られたが戦後国民党統治時代には荒れ果ててしまった。平成6年になって陳水扁(現台湾総統)が台北市長になり、明石元二郎の墓が新たに設置された。

 だが明石元二郎が近代史に名を残したのは台湾総督としてではない。

 明石元二郎は福岡藩士の子として生を受け、陸軍幼年学校、陸士、陸大と軍人としてのエリートコースを歩み、陸軍参謀本部員として台湾、東南アジア、清(支那)を巡った後、フランス、ドイツ、ロシアに派遣される。そして明治35年(1902年)10月、駐ロシア公使館付き武官(陸軍中佐)に任命されモスクワに赴任。この地での彼の真の任務は、「ロシア・ヨーロッパにおける諜報活動」。――それは日露戦争開始1年数カ月前のことだった。

 日露戦争に日本が勝利した原因は3つある。奉天大会戦、日本海会戦の勝利、そしてロシア革命煽動。

 最大の勝因はロシア革命煽動とされるが、その功績はすべて明石元二郎に帰する。明石は全ヨーロッパを舞台に縦横無尽に動き、レーニンの革命運動を支援して帝政ロシア・ニコライ2世を揺さぶった。ときにはレーニンを罵倒してその活動を促したのだ。

 明石は参謀本部に連絡して莫大な機密費を投じ、ロシア、ヨーロッパに拡散していた革命分子を大同団結させ武装蜂起の工作を行ったのだが、その資金は百万円――現在の金額に換算すると凡そ百億円ほどである。レーニンが後に、「明石元二郎に感謝状を贈りたい」と言ったことが理解できるというものだ。

 ソ連共産党国家の産みの親は明石元二郎だったと言える。

 明石元二郎だけが特別だったわけではない。

 当時の日本人の多くは、全世界を見渡し世界の方向を見定め、遠い未来を夢見ていた。明治生まれ、大正生まれのなかにそうした人々が山ほどいた。昭和ひと桁生まれのなかにもかなりの数がいたようだ。だが近年、そうした男が存在しない。社会がそのような男の存在を容認しない。

 昭和20年8月の終戦直後。支那大陸やロシア各地になお相当数の間者(諜報員)が残っていた。そうした諜報員の一人が日本に引き上げる軍属に漏らした言葉がある。

 ――そうか、わが軍は敗れたか。仕方がない。自分は大陸に残り、大陸中の女を抱いて50人 100人の子供を作ってやろう。そのなかの何人かが先祖返りをして、再度大東亜共栄圏の夢を果してくれるかもしれぬ……。

 こんな思いで支那大陸やアジア各地、ロシアに残った猛者たちがかなりの数にのぼったという。

 大陸中の女を抱くという夢が素晴らしいとは断じて言えない。また、大東亜共栄圏構築が正義か否かは意見が分かれるところだろう。それが問題なのではない。敗戦後に自らの意思で大陸に残った彼らに正義感などがあったかどうかも疑問だ。ただ彼らは、遙かに広がる大アジアを体の中で理解していた。

 アジアを見据えヨーロッパを見据え、民族の未来、人類の未来を考えていた。

 中学卒業程度の英語を操って海外に旅行し、「国際人」気取りになっている昨今の若者たちは、中東で起きた事件を「対岸の火事」以下の認識で深く考えようなど夢にも思っていない。

 庶民大衆が今、いったい何をすべきなのか。

 無力な個人として今、何をしたら良いのか。

 生きざまの真価が問われる刻が来ている。


□北朝鮮の深奥を考える! [インターネット行政調査新聞]

 http://www.gyouseinews.com/international/nov2005/001.html

北朝鮮の深奥を考える!
  ――大東亜戦争を継続する国家――
2代目首領・金正日の正体を角度を変えて眺めてみよう。

1年ぶりの日朝交渉、収穫はゼロ

 さる11月3日、4日、北京で1年ぶりとなる日朝政府間交渉が開かれた。日本側は拉致問題、核・ミサイル等の安全保障問題、国交正常化の3点を重点協議として交渉に臨んだが、いずれについても明確な進展はなかった。北朝鮮側は「過去の清算」を前面に出してきたと伝えられるが、収穫としては両国とも「国交正常化交渉再開にとって有益」(宋日昊ソンイルホ外務省アジア局副局長)といったところだった。

 総選挙での小泉圧勝後、外交問題の最大課題であった日朝協議が進んだウラには、これまで田中均審議官が秘密交渉のパイプ役と重宝してきた“ミスターX”に代わり、斎木昭隆(外務省アジア局副局長)が金正哲(金正日の三男)側近とされる“ミスターY”をパイプ役にしたからだとの説も流れている。

 日朝政府間交渉の前には、曽我ひとみさんの夫ジェンキンス氏が自伝『告白』を出版。この書でジェンキンス氏はタイやルーマニア人が拉致されている事実を記述。タイ国政府は外相が北朝鮮大使館を訪れて事実関係の調査を本格化させるなど、関係各国の間でも拉致問題が重要視されはじめている。また韓国の拉致被害者の会「拉北者家族の会」(代表=崔成竜)は「横田めぐみさんの夫とされるキム・チョルジュンとは偽名で、彼女の夫は韓国から拉致されたイ・ミンギョ氏だと思われる」との情報を流している。

 11月8日に北京空港を発ち平壌に戻る直前に、宋日昊副局長は、「次回の日朝協議について12月開催を検討する」と述べた。

 翌9日から11日まで北京の釣魚台国賓館で第5回六者協議が再開された。

 今回の六者協議には、日米韓3国の共同提案として「核廃棄行程表」作りが協議されることになっていたが、日米間の調整がつかず先送りされてしまった。米国のヒル首席代表(国務次官補)は、「北朝鮮がNPTへの復帰とIAEAの査察受け入れを果たした後でないと、軽水炉提供を議論できない」としているのに対し、北朝鮮側は「軽水炉の提供なしに、核放棄はできない」と、意見は対立したままだ。議長国・中国の武大偉(外務次官)は11日午後に、「早期に検証可能な朝鮮半島の非核化を目指す」とする声明と、5項目からなる共同声明を発表して六者協議は「休会」となった。

 日本を含めた米・中・露・韓の5カ国が北朝鮮のわがままに翻弄された感じがする。

 11月18日から韓国の釜山でAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が開かれるため、六者協議は初めから3日間しか余裕がなかったのである。問題は年内に再開される予定の六者協議で北朝鮮がどのように歩み寄り、5カ国がどう立ち回り、どのような共同声明が発表されるかである。

 いったい北朝鮮は何を考えているのか――。正直なところ、世界中の政府首脳は金正日の思惑を理解できずにいる。かつてこの国を「悪の枢軸」と呼んだ米国ブッシュ政権にしても、自分の掌の中に入ったかと思えばまたスルリと抜け出してしまう北朝鮮に対し、歯ぎしりしていることだろう。

 北朝鮮・金正日王朝とは何なのか? 残念ながら正確に把握することは不可能だ。世界中のあらゆる諜報機関、あらゆるメディアが束になっても理解できない北朝鮮・金正日王朝の実像。――その実像に迫るためには、これまで世界中が行ってきた分析や世界の常識から一旦外れて、まったく別の視点から北朝鮮・金正日に迫ってみるしかない。

中朝蜜月は真実か

 六者協議の開催を直前に控えた10月末、中国の胡錦濤国家首席が北朝鮮を公式訪問した。胡錦濤と金正日の会談内容はもちろん極秘だが、中国側が巨額の長期経済援助を表明したとか、金正日が後継者を説明したとか伝えられている。朝鮮中央放送は、両首脳が二人だけの単独会談を行ったことを明らかにしたうえで、「すべての問題での見解の一致をみた」(10月28日)と放送し、その蜜月ぶりを内外に誇示した。

 じっさい、歓迎宴での親密ぶりはたいへんなものだった。金正日は胡錦濤に、「最も尊い国賓」と最大級の賛辞を贈り、「わが国が厳しい試練を経たこの10年余、変わらない信義と友愛の情で物心両面の支援を誠意の限り贈ってくれた」と謝意を述べたほど。胡錦濤もこれに応えて、「中朝親善強化はわれわれの確固不動の戦略的方針」と言明。国際舞台での協力について、「共同の利益の守護で意見が一致した」と語っている。

 中国と北朝鮮の蜜月ぶりについて韓国では、「中国が投資などで北朝鮮の安定化を図り、核問題の緊張を緩和し、地域安保を主導しようとしている」との見方が一般的だ。それだけでなく、衆院選で圧勝した小泉政権が米国と一体化をますます強化していることに対する焦燥を、中国はたしかに持っている。強化された日米同盟に抗するためにも、中国は北朝鮮をうまく操らなければならない。

 だが、中国と北朝鮮の間には、歴史認識――「渤海国」を中心とした軋みが数年も続いている。そこには、経済(カネ)の問題より遥かに重要な領土の問題が存在しているのだ。

(中国と北朝鮮の歴史認識――「渤海国」をめぐる話題に関しては本紙2004年2月21日号『東アジアに迫る激変!中国は、朝鮮半島は、そして日本は?』に簡単に記述されています。ぜひご参照ください)

 中国は2002年(平成14年)7月に、中国社会科学院の内部に「中国辺疆史地研究中心」を立ち上げ、5年間 200億元(約2900億円)を投入すると発表している。この莫大な時間とカネはすべて、渤海を中国の一地方史に繰り入れる理論作りのために費やされるものだ。

古代朝鮮史

 中国と北朝鮮の軋みの代表例とされる「渤海国」。渤海という国は高句麗の民が興した国家である。渤海を理解するためには朝鮮半島史の解説から始めなければならない。

 今から2000年も昔、紀元前後の頃、半島には馬韓・辰韓・弁韓という3つの国と、北部に中国の郡県である楽浪郡が存在した。その後、4世紀から7世紀にかけて三韓時代となる。三韓とは、高句麗・新羅・百済の3つの国と任那(加羅)、耽羅が存在した。

 (耽羅とは現・済州島。5世紀には百済に服属。任那は日本や中国の呼び名。韓国では加羅または伽耶と呼ぶ。任那には大和政権の出張府があったというのが通説。韓国側は任那の属国であった大和が独立して日本になったと主張している)

 この三韓時代の3つの国、高句麗・百済・新羅の民族について眺めてみよう。

 新羅はモンゴロイドで、使用言語は古代朝鮮語だった。このことから新羅の民が原朝鮮族だったとの推測が一般的だ。

 いっぽう高句麗・百済の民は北方からやって来た扶余系ツングースの民であった。大和民族の親戚筋にあたる民である。彼らはまず中国の出先機関だった楽浪郡を滅ぼし、朝鮮半島北部から中国大陸東北部(旧満洲)にかけてを高句麗が、半島南部を百済が制圧した。高句麗・百済の民は言語、文化、習俗、歴史を共有していたが、それは新羅のものとはまったく異質だった。

 百済は倭(日本)と盟友国であり、また百済と高句麗も同族関係にある。そこで、高句麗・百済・倭の3国連合と新羅は絶えず反目しあい、小競り合いを繰り返していた。

 4世紀末に高句麗は好太王の時代を迎える。好太王の在位は 391年〜 412年。広開土王(領土を広げた王)とも称される通り、この時代に高句麗の領土は拡大された。北西に進出した高句麗は旧満洲全域からモンゴルにまでをその勢力下に置き、モンゴル系の契丹族とも手を結ぶ。さらに南進も繰り返し、ついには同盟国の百済と衝突。百済と盟友関係を結んでいた倭(日本)は対高句麗戦に参戦した。この事実は鴨緑江岸(現吉林省輯安県)に立つ「好太王碑」に記されている。

 巨大帝国・高句麗は、たびたび中国を脅かし、6世紀末( 598年)には隋に対し本格戦を仕掛けている。だが7世紀に入ると隋が勢力を拡大。周辺諸国を制圧平定した隋の煬帝は、ついに長年の仇敵である北夷・高句麗を叩くべく大軍勢を仕立てて敵地に向かう。 611年のことだ。だがこの遠征戦は失敗。続いて翌 612年、隋による第二次高句麗遠征戦が仕掛けられたが、これもまた失敗。最後に隋は 614年に、総勢 200万人の大軍団を率いて高句麗に挑む。しかし高句麗軍は勇猛果敢だった。隋の大軍は次々と撃破され、また包囲殲滅されてしまった。隋による第三次高句麗遠征戦では、200万人の軍勢のうち生きて戻ったのはわずか2000余人だったと記録されている。

 3度にわたる高句麗遠征に失敗した隋は、国力が疲弊し、第三次高句麗遠征戦の4年後、滅亡してしまった。隋に代わって中国を制圧・統一したのは唐である。

 朝鮮半島では4世紀に辰韓を引き継ぐ形で表れた新羅が国力を伸ばし、第23代の王・法興王(在位 514〜 540年)の代には国家体制が整い、急激な発展をみせていた。新羅の拡大を危惧した百済は、高句麗と同盟を結び新羅を攻めるようになる。そこで新羅は唐に救援を求めたのだ。

 当時の唐の皇帝は2代目・太宗。太宗は新羅からの救援要請を重要視したわけではなかった。それでも新羅に恩を売るように高句麗を叩こうとする。それはあたかも隋の遺志に魅かれるようなものだった。唐の皇帝・太宗は 644年に第一次高句麗遠征戦、翌 645年に第二次遠征戦、 647年に第三次遠征戦を繰り返すが、その度に撃退され敗走を重ねるばかりだった。中国の歴史上ベスト3に入るとされる太宗も、中国大陸の統一はできたものの高句麗には勝つことができなかったのだ。

 だが、隋、唐との度重なる戦争で高句麗も疲弊していた。

 隋以来の長年の宿敵・高句麗を討つために、唐は最後には本格的に新羅と手を結ぶ。そして唐・新羅連合軍は背後の圧力を取り除くために、まず百済に侵入した。660年のことである。当時、倭(日本)は百済と同盟を結んでいたので、直ちに半島に軍隊を出撃させる。そして 663年、有名な白村江の戦いで、倭・百済連合水軍が、敗けるはずのない戦に大敗を喫してしまう。この戦に敗けたことで倭は半島から撤退を余技なくされた。

 百済を倒し、倭を半島から排除した唐だったが、すぐに高句麗に攻め入ったわけではない。高句麗の脅威は、なお唐を脅かしたままだった。

 名皇帝・太宗の後を継いだ唐の3代皇帝・高宗は優柔不断な人物だったが、太宗が基礎固めをした唐の国を何とか無事に治めることができた。そして皇帝に即位して17年目の 666年、新羅と組んで高句麗との戦争を開始する。そして 668年、唐・新羅の連合軍は高句麗を挟撃してこれを滅ぼしてしまった。

 高句麗が滅亡したところで、新羅は朝鮮半島全土を支配することになった。

 北朝鮮の金正日はこの歴史に注目し、新羅を猛烈に非難している。

 新羅は外国勢力である唐を引き入れ、偉大な祖先の国を滅ぼした。卑劣な事大主義外交の極みであると。

 金正日がなぜ今日、新羅をこれほど非難しているのかを熟慮する必要がある。

渤海国の出現

 唐の皇帝・高宗は宿敵・高句麗を滅ぼしたものの、この強敵が復活することを極端に恐れた。そこで高句麗の王族、王族に繋がる一切の民を虜囚として、営州(現・遼寧省朝陽市)に強制移住させ、高句麗の再興の目を絶った。

 ところが28年後の 696年5月、多数の高句麗人を強制移住させていた営州で、契丹人である李尽忠が反乱(孫万栄之乱)を起こす。この反乱には契丹人だけではなく、強制移住させられていた北方少数民族や高句麗の遺臣も加わっていた。

 反乱に慌てた唐は、大軍勢を反乱軍鎮圧部隊として営州に派遣する。鎮圧軍は契丹人、靺鞨族(まつかつ=北方ツングース系少数民族)など北方民族を制圧したが、高句麗や靺鞨をまとめて反乱を首謀した首領・乞乞仲象(こつこつちゅうしょう=後の大祚栄)の討伐に失敗してしまう。――高句麗遺臣たちにとって、唐の軍勢との戦いに勝利することは、それほど難しいことではなかったのだ。

 乞乞仲象は高句麗遺臣たちと共に営州を逃れ、遼河を越えてさらに東に向かう。唐の軍勢が彼らを追討してきたが、遼河越えでこれを迎撃して殲滅。その後、中国東北部(現在の吉林省延辺州朝鮮族自治区敦化市付近)に移動し、ここに敖東(ごうとう)城を都とする「震国」を建国したのだ。 698年のことである。

 唐の皇帝・高宗は高句麗の強さを理解していた。少数ながら勇猛果敢で智略に富み、数倍、数十倍の数を誇る唐の大軍と対峙しても絶対に引くことのない高句麗の末裔たち。その高句麗の末裔が作る震国を征討するよりも、彼らに独立を認め、懐柔するほうが得策だ――。

 生まれたばかりの国家・震国もまた、唐との全面戦争を望んではいなかった。唐の高宗の求めに応じ、属国として朝貢することを了承したのだ。震国誕生から15年後の713年、唐は大祚栄(乞乞仲象)を渤海国王に任命し、国号も震国から「渤海国」と称するようになったのである。

 金正日や北朝鮮政権中枢の一部が、中国に対して剥き出しの嫌悪感を露にすることがある。また、中国に対して嫌がらせや反抗的な態度を見せつけることが度々ある。その態度は、大国中国に対して余りにも大胆、あまりにも無礼に思える。今回の六者協議で中国の武大偉外務次官が提案した議長声明に対しても、北朝鮮は尊大とも思える対応しか採らなかった。

 北朝鮮の祖先である高句麗、それを引き継いだ渤海国は、低俗で野蛮な中国文明に苦しめられ、また中国を何度も何度も撃退した。中国に対する生理的嫌悪感を持ちつづけ、そして中国に対する自信を漲らせているのが金正日一族なのだ。

 そしてまた、中国にとって東夷の属国のような存在である高句麗、渤海に、何度も何度も手痛い敗北を喫したということは、拭いようのない歴史の汚点であり、このうえない屈辱なのだ。長引く六者協議だけではなく、これまで度々、北京政府が北朝鮮・金正日王朝の扱いに手こずっているのは、過去のこうした歴史をどこかで引きづっているからだ。金正日の反抗的な態度に対し、列車爆破事件などで威嚇をしてみせながら、どこか及び腰なところがあるのは、北朝鮮は制御できないという歴史コンプレックスがあるとさえ考えられる。DNAの奥深くに残された恐怖心と言っても良いのかもしれない。

渤海国と日本の関係

 渤海の初代国王・大祚栄が亡くなったのは 718年。日本では『古事記』( 712年)『日本書紀』( 720年)が成立した頃である。

 大祚栄の後を継いだのは長男の大武芸(武王)だった。大武芸は高句麗の勇猛果敢ぶりを一身に集約したような巨人で、旧高句麗民族だけではなくツングース系靺鞨族のすべてを支配下に入れようと武略を進めた。当然ながら渤海の版図は拡大され、国家はますます隆盛をきわめるようになる。だが、辺境の靺鞨族のなかには渤海に服従しない民たちも存在した。とくに強力だったのが、現中国東北部からロシア南部にあたる地域を治めていた黒水靺鞨だった。彼らは松花江より北方を地盤としていた。ちなみに松花江とは黒龍江(アムール川)の支流で、古代中国では黒水と呼ばれる。

 渤海に従わない黒水靺鞨は、唐にとっては貴重な存在である。これを取り込もうとする動きが活発化する。そうしたなか、黒水靺鞨の大首領・倪属利稽(げいぞくりけい)が唐の都(洛陽)を訪れたのを機に、唐は倪属利稽を外臣とし、黒水靺鞨の地を唐の一部の「渤利州」として倪属利稽に治めさせたのだ。さらに倪属利稽に続いて越喜靺鞨、鉄利靺鞨、払涅靺鞨といった北方ツングース少数民族も続々と入唐。ついに726年、唐は靺鞨族一帯の地を「黒水州」という大きな属州にまとめ、渤海に対する圧力を高めていった。

 唐と結んで渤海を脅かす黒水靺鞨(黒水州)に対し、好戦的で野心家だった2代渤海王・大武芸が黙っているわけはなかった。

 黒水州誕生の翌年、すなわち神亀4年( 727年)12月末、平城京(奈良)に貂の毛皮など豪華絢爛な土産を持参した渤海国の使節がやってきて、ときの帝・第45代聖武天皇に国書(親書)を手渡している。国書の内容は以下の通りだ。

 「武藝啓。山河異域、國土不同。延聽風猷、但増傾仰。伏惟大王天朝受命、日本開基、奕葉重光、本枝百世。武藝忝當列國濫惣諸蕃、復高麗之舊居、有扶餘之遺俗。但以天涯路阻、海漢悠悠、音耗未通、吉凶絶問、親仁結援。庶叶前經、通使聘隣、始乎今日。謹遣寧遠將軍郎將高仁義・游將軍果毅都尉將徳周・別將舍那婁等廿四人、賚状、并附貂皮三百張、奉送。土宜雖賤用表獻芹之誠、皮幣非珍、還慚掩口之誚、主理有限、披膳未期。時嗣音徽、永敦隣好。」

 渤海と日本(大和政権)との関係はその後 200年にも及び(延長7年 930年1月まで)、37回もの使節が来朝している。この関係は明らかに軍事同盟だったが、大国・日本に属国・渤海が朝貢してきたことに対し、大和政権側も大喜びだったようだ。(大王天朝受命=日本の天帝から支配権を授与された渤海という意味。)

 だがこの国書で最も注目すべきは、その直後にある「本枝百世」。これは日本と渤海はかつて1つの国だったという表現。つまり「扶餘」という原初的国家が存在し、それが「高句麗+南扶餘」に分裂、高句麗が渤海となり、南扶餘が百済と日本になったという表現なのだ。この表現の解釈法によっては、大和政権は朝鮮半島出自と読み取ることも可能。韓国系の学者などが大喜びして引用することもあるが、少なくとも韓国の祖先にあたる新羅とは無関係だ。ちなみに日本人と渤海人は、中央アジア起源の天孫族の末裔という意味では間違いなく兄弟民族である。

 そして渤海国王・大武芸は国書の最後にこう記している。「永敦隣好」――日本と渤海は未来永劫、隣国として兄弟国として仲良くやっていこうと。

東亜大乱

 渤海が平城京の聖武天皇に初の国書を手渡した翌年、大武芸は唐と組んで渤海を脅かす黒水靺鞨の掃討を弟の大門芸に命じる。ところが勇猛果敢で好戦的な兄と違って、弟・大門芸は臆病であり、巨大国家・唐に恐れをなしていた。兄の命令に従わず、挙げ句に唐に亡命してしまう。さらには唐の玄宗皇帝に、兄に代わって自分を渤海の国王に任命するよう請願する。

 唐、黒水州の脅威など大武芸には通用しない。大和政権と同盟を結んだ6年後、弟・大門芸の亡命から5年後の 732年、渤海は南下して唐の領土・山東半島を攻める。唐の玄宗は山東に侵出してきた渤海軍掃討のために大門芸を派遣するいっぽう、新羅軍を動かして側面から攻撃を開始した。だが、平壌まで上った新羅軍は大雪に遭遇して進軍を諦めてしまう。
  翌 733年、渤海・契丹同盟軍は馬都山に唐軍を攻め、さらに刺客を放って弟・大門芸を暗殺しようとしたのだ。

 大武芸と大門芸の兄弟喧嘩が東アジア全域に波乱を呼び起こそうとした。

 これを異常事態と考えた唐の玄宗は、最終的に国書を以て兄弟の道を説いた。玄宗の国書を見た大武芸もやっと平常心を取り戻し、 735年に弟・大門芸を許し唐と和解する。

 しかしこの間の武略により渤海の評価は高まった。

 王位継承について唐の介入などを絶対に許さず、周辺諸国と違って独自の年号を使用し、また日本(大和政権)と同盟を結ぶなど、北東アジアの要衝国家としての地位を揺るぎないものに仕上げたのだ。

 かつて金正日は『三国統一問題を再検討するについて』という論文を発表している(1960年10月29日)が、このとき以来今日まで、金正日は「渤海こそわが先祖」と憧れを隠さない。「力には力を。強硬には超強硬で対応!」という、現在の北朝鮮恫喝外交は、まさに最大限に国益を引き出す手段なのだ。いや、そればかりではない。国民の不満を逸らせ、偉大なる首領様を神格化させる最高の手法であることを、金正日は理解している。

 渤海国の2代目国王は勇猛果敢、好戦的な野心家・大武芸だった。そして北朝鮮2代目最高指導者・金正日は大武芸に憧れ、性格も似ているところが多々見られる。――金正日と北朝鮮当局が、渤海国の歴史全般を深く研究していることは知られているが、彼らは大武芸を「理想の指導者像」と見なしているのではないだろうか。

 超大国・米国、隣国である巨大国家・中国。これらを相手に回し、無謀とも思える強硬姿勢を貫き通し、欧米思想を撥ね返してアジア文化を死守する北朝鮮。現在の北朝鮮体制の基礎を作った金日成の片腕・金策が旧日本軍の明石機関に通じていたとの噂は、研究が進につれ真実味を増してきている。それは即ち、北朝鮮がなお、中国、米国を相手に大東亜戦争を貫徹していると考えることも可能なのだ。

 世界中の研究者たちが不思議に思っている、金正日の日本文化好み。なぜあれほど日本文化に憧れるのか――。その謎解きは北朝鮮成立の基礎固めをした金策という人物と、金策の背後関係にあるのではないだろうか。

 この脈絡で読み取るならば、米国の属国に成り下がった小泉政権に金正日が頭を下げることなど絶対にあり得ないという結論になる。

 北朝鮮事情を読み取る際に、以上の視点を加味してみると、これまでとは違った東亜情勢が見てとれるのではないか。■


□横田めぐみは選挙前に帰国する!!!! [文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』]

 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20070407

2007-04-07

■横田めぐみは選挙前に帰国する!!!!
頭の悪さと尻の軽さでは天下一品の、我等が「首領・キム・ジョンイル様」…、じゃなかった、我等がアベッチ総理の頓馬な発言に端を発した従軍慰安婦問題騒動の影に隠れて、ちょっと忘れられそうになっている拉致問題だが、また新しい謀略が密かに仕掛けられつつあるようだ。僕の愛読する「ネット・ゲリラ」http://my.shadow-city.jp/?cid=24131というサイトに、次のような記事があった。それによると、欧州関係の国家的諜報機関からの情報らしいのだが、その情報によると、「横田めぐみさんは欧州の某国にいる。彼女の立場は、国家安全保安部局長よりも高位」ということらしい。しかも、「横田めぐみさんは欧州におり、すでに米軍がその身柄を確保している!」と。米朝接近、米朝和解の過程でどういう裏取引がなされたのか、なかなか見えてこないが、その裏取引の一つがこれだったのだろうか。というわけで、このおいしそうなネタに、早速ダボハゼのように喰いつこうとしているのが、「軽挙妄動ねずみ一匹」の尻軽男・アベッチということのようだ。つまり、参院選挙直前に「横田めぐみ帰国」を演出した上で、選挙戦に突入しようという謀略らしい。しかしそううまくいくはずはない。馬鹿の癖に小細工と猿芝居だけはうまいアベッチ。一方では、先の山拓訪朝をめぐって、アベッチに関する怪しい話もくすぶっているようだ。それによると、山拓は、国内からの非難を覚悟の上で北朝鮮からの誘いに乗って、しかもちゃんと小泉の意を汲んだ上で訪朝したわけだが、その時、北朝鮮からアベッチを震え上がらせるような、ある「お土産」を持ち帰って来たらしいという噂である。あるお土産とは、アベッチがキム・ジョンイルに官房長官時代に送った「密書」らしい。「拉致問題を私(アベッチ)に一任してくれたら、総理就任の暁には貴国のために何でもやります…」とかなんとか記した密書らしい。この密書を運んだのが、朝鮮語がペラペラ(笑)のアベッチの秘書・井上某だったとか。この「安倍密書」とは、公開されたら簡単に安倍政権は吹っ飛ぶだろうというようなシナモノらしい。この安倍密書が、山拓から小泉の手に渡り、それを察知したアベッチ官邸は、山拓批判をいっせいに中止したということのようだ。さて、話は変わるが、アベッチ訪米と、先日、アベッチが強制連行はなかったと発言して物議をかもした「従軍慰安婦発言」を訂正し、ブッシュに土下座して謝罪したと言われている「15分のブッシュ・アベッチ電話会談」に関しもこんな噂が……。ブッシュ共和党の地盤沈下を見越し、アベッチ政権誕生直後に強引に媚中、媚韓派に転向して訪中、訪韓を敢行したアベッチに怒りまくっているブッシュは、アベッチの訪米を快く思っていず、待遇も大統領官邸での会談のみですませるつもりだったらしい。「キャンプデービッドでの歓待」というセッティングは、ブッシュの冷遇にあわてた外務省アメリカ大使館の必死の説得工作によってやっと実現したものらしい。電話会談だって、アベッチ側からの必死のアプローチの結果、やっと実現したもので、それが「15分」というあまりにも短すぎる時間設定の意味らしい。というわけで、現在のアベッチには、ブッシュと組んで、「横田めぐみ電撃帰国」という一世一代の大芝居を演出するだけの力は残っていないはずなのだが……。しかし、何が起こるかわからないのが男女の仲、否、政界の常識だからなー(笑)。それとも、「一寸先は闇」だったかな。


□10月の驚愕 「オクトーバー・サプライズ」は東アジア激変を意味しているのか? [インターネット行政調査新聞]

 http://www.gyouseinews.com/international/sep2004/001.html

10月の驚愕 「オクトーバー・サプライズ」は東アジア激変を意味しているのか?
 ――米大統領選直前に起きる衝撃を解読する――

 さる8月23日、拉致被害者の曽我ひとみさん(45)は、長女・美花さん、次女ブリンダさんを伴って故郷である新潟県の佐渡に渡った。ここで3人は日本の田舎での生活を4日間ほど送り、26日の夕方、東京に戻った。

 この4日間、曽我さんの夫ジェンキンス氏は座間で米軍関係者の事情聴取を受けていたと説明されている。


高英姫死亡情報の背景

 アテネ五輪が閉会式を終えた直後の8月30日、韓国のマスコミはいっせいに「北朝鮮の金正日総書記の妻・高英姫夫人(コ・ヨンヒ51歳)が13日に死亡した」とのニュースを流した。

 金正日総書記の後継者問題と高英姫については、本紙2月15日付『北朝鮮の憂鬱』をお読みいただければその実情をご理解いただけると思う。ぜひ再読していただきたい。

 問題は、北朝鮮軍部内で「尊敬するオモニム(母様)」、「平壌のオモニ」と崇拝されていた高英姫の死を韓国マスコミが報道したことに対し、北朝鮮側がいっさいの反論等を行わないことだ。通常、北朝鮮当局が公表する前にこうした情報が開示された場合、その情報が事実か否かは別として北朝鮮は激しい非難を行う。

 いったい何故、北朝鮮当局は非難を行わないのか? わが国のメディアはこれを「北朝鮮の後継者争い激化」と判断しているが、この見方は正しい。間違いなく北朝鮮・金王朝内部で激烈な闘争が行われており、高英姫死亡情報の開示は体制内部の混乱――とくに張成沢の失脚を表していると考えるべきだろう。

 張成沢とは金正日の義弟(妹の亭主)で、側近中の側近とされる元党組織指導部長。すでに今春に何らかの不正が明らかになり降格させられたとの噂もあった。――一説によると部下の子女の超豪華な結婚式に一族が大挙して参加したことが咎められたという話だ。また6月中旬には韓国の朝鮮日報が「北朝鮮の張成沢部長が金総書記の指示で自宅軟禁されていることが確認された」と報じていた。

 北朝鮮当局の正式発表以前に高英姫死亡情報が韓国から流されたこと。そして側近中の側近である張成沢が失脚したという事実。ここから後継者争いとして再浮上してくるのが警護総局副局長の肩書を持つ金正男――。そう、東京ディズニーランドを見物に来たとして成田で拘束されたあの金正男だ。ところが複数の北朝鮮ウォッチャーは「金正男は後継者レースから脱落」と読んでいる。それも、レースに敗れたのではなく自ら撤退した(降りた)というのだ。詳細は省くがこの説は極めて説得性に富む。

 こうなると金正日の後継者問題は闇の中、迷路の中に入り込む。これまで優位が伝えられてきた金正哲、正雲兄弟は、母である高英姫の力を受けて浮上していたの。だがそれは、反高英姫勢力を巧みに抑え込んでいたという状況の下での話だった。生前、金正日の正妻としての高英姫は確かに力を持っていたが、いっぽうで彼女が在日であった過去や、その出自が済州島の被差別であったことから体制内にも反対勢力が存在していた。そうした勢力との暗闘の末に「高英姫死亡情報」が韓国メディアから流されたと識者たちは観測している。本紙もこの観測を支持する。が正直なところ逆もあり得る。つまり、暗闘の果てに後継者問題が決着し、これまで名乗りをあげていた候補者たちやそれに連なる人脈が整理されたという見方である。――残念ながら現状では、どちらとも判断がつかない。


中朝関係、いよいよ悪化!

 今年(平成16年)4月22日に北朝鮮・竜川(リョンチョン)駅付近で起きた列車爆発事件は、当初、金正日総書記を狙ったテロ未遂事件だったとか、米CIAが関与した北朝鮮破壊工作の一環だったとかといった情報が流されたが、その後この事件の背後に支那北京政府が絡んでいた可能性が高まってきている。

 北朝鮮と支那北京政府との歴史的な関係については読者諸氏も熟知されていることと思う。1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争では、支那人民解放軍が全面参入した過去もある。支那北京政府の本音は「北朝鮮は支那の属国」といったところなのだ。

 ところが・の北朝鮮が北京政府に楯つくことが多い。その暴走があまりに酷いと、北京がお灸をすえることになる。だが、北京政府にとっては〔暴走者・北朝鮮〕は必要悪といった面がある。米国との最終対峙に際し、衝撃隔壁の意味があるからだ。

 しかし、支那北京政府の属国であるはずの北朝鮮は、じつはウラでは米国と深く繋がっている。これについては本紙7月25日「東アジア波高し!! ジェンキンス問題の真相を読み取れ!」という記事の『米朝秘密回路』の項を再読いただきたい。

 北朝鮮の核開発疑惑以降、6者協議の場でもそれ以外の場でも、北朝鮮が終始一貫して言いつづけているのは「米国との単独交渉」であり、それは「米朝秘密回路の復活」を意味している。だが、支那北京政府はその秘密回路の存在そのものが許せない。――支那北京政府と米ブッシュ政権との微妙な駆け引きの局面で、北朝鮮が暴走するため支那側が駆け引きに失敗している――というのが北京側の正直な感覚だろう。

 当然ながら北京政府は北朝鮮との関係修復を図ってきた。すでにわが国新聞各紙が報道している通り、今年6月には支那人民解放軍の参謀クラス数名が平壌を訪れ、極秘理に軍事会議を行っている。この会議がどのような内容であったかは不明だ。だが恐らく、決裂状況に陥ったと推測される。

 決裂は以下の状況から推測される。

 まず7月初旬、北朝鮮は豆満江や鴨緑江などを中心とする支那と北朝鮮との国境を固め、支那側から北朝鮮に入ろうとする支那人の移入を全面ストップさせた。国境界隈には北朝鮮に食糧等を持ち込み、北の物資を支那側に輸入する商人たちが多く存在し、それなりに経済活動を行っていたのだが、これが停止されたのだ。明らかに、北朝鮮が支那北京政府に対して絶縁状を叩きつけたような話だ。

 これを受けて、7月中旬には鴨緑江で支那側が反撃に撃って出た。以下の新聞記事をご覧いただこう。

 「中国軍、北国境で渡河訓練 浮橋利用、兵士1000人程度参加 NGO報告

 中国人民解放軍が北朝鮮との国境を流れる鴨緑江で、七月に浮橋を使い渡河訓練を実施していた(中略)。中国軍が中朝国境でこのような訓練を行ったのは異例。脱北者問題にからむ国境管理の強化策の一環とみられるが、同時に核問題で北朝鮮に対する圧力効果を狙ったとの見方もあ
 訓練は七月上旬から約二週間実施された。場所は中朝国境に位置する中国遼寧省丹東市から車で鴨緑江に沿って上流に三十分ほどのところ。
 対岸には、北朝鮮の新義州が位置する。(中略)
 訓練の内容は、約十本の浮橋(幅五〜七メートル、長さ二十〜三十メートル)を、北朝鮮との国境線である川の中間地点まで設置するというもの。
 中国は昨年九月、中朝国境地帯の警備を人民武装警察(軽武装の治安部隊)から軍に移管しており、解放軍国境警備部隊が行った訓練とみられる。(中略)
 一方で、ある北朝鮮問題専門家は、『六カ国協議の議長役として、核開発を進める北朝鮮に対し圧力をかけるための示威活動ではないか』との見方をしている。」
(『産経新聞』八月八日朝刊より)

 かつて中朝国境を防備していたのは武装警察だったが、昨年末以降これが軍(人民解放軍)に代わり、現在ではその軍が北朝鮮国境突破の訓練を行っているという記事である。支那北京政府が北朝鮮の暴走に怒り狂っていることはこの記事からも窺える。だがそれでも北京政府は北朝鮮を叩き潰すことはできない。非常に近い将来、必ずやってくる対米最終局面に向けて、緩衝戦略地帯・緩衝防止政略点として北朝鮮が必要なのだ。

 だが北朝鮮も、対米交渉が難航し、また総書記後継者問題が解決していないという苦境にある。こうした局面を打開するためにも「米朝秘密回路」を復活させることが、北朝鮮の命綱なのだ。

 北朝鮮の命運を握る「米朝秘密回路復活」――。

 この重大使命を帯びて、曽我ひとみさんの夫ジェンキンス(将軍格)がインドネシア経由で日本にやってきた。(詳しくは本紙7月25日「東アジア波高し!! ジェンキンス問題の真相を読み取れ!」参照)

 たった一人で世界の超大国アメリカを相手に取引をしようとするジェンキンス。北朝鮮は現在、ジェンキンスにすべてを預け、その成り行きを見守っている。そしてもちろん、北京政府もその行方を注視している。……とは言っても、交渉の行方は外部からは見ることができない。日本の新聞、TV、雑誌等から推測するしかない。……そして、幸か不幸か、わが国の新聞TV雑誌メディアは、今や官製タレ流し情報しか流していない。

 いったいジェンキンス問題はどう推移していくのだろうか。

 世界が注目しているなか、さる8月23日、拉致被害者の曽我ひとみさんは、長女・美花さん、次女ブリンダさんを伴って故郷である新潟県の佐渡に渡った。ここで3人は日本の田舎での生活を4日間ほど送り、26日の夕方、東京に戻った。

 この4日間、曽我さんの夫ジェンキンス氏は座間で米軍関係者の事情聴取を受けていたと説明されている。


隠された歴史

 北朝鮮には現在、判明している限りでは4名の米国人捕虜(米国人拉致被害者)が存在している。米国防省はさらに数百名から最大2000名規模の拉致被害者が存在しているのではないかと推測している。それらは、古くはジェンキンスと同時期、すなわち朝鮮戦争時代に北朝鮮に連れ去られた兵士たちだ。最も多いのはベトナム戦争時代の捕虜等と考えられる。

 ベトナム戦争とは1950年代末期(1960年代開始説もある)から1973年(昭和48年)にかけて戦われた戦争で、最大時には米軍兵士は54万人以上が投入された。これに対し北ベトナム解放軍+南側民族解放戦線側(ベトコン)の兵力は30万人規模だった。ベトナム戦争は第2次大戦後の最大戦争として、当然ながら旧ソ連が北ベトナムに加担したが、正面切って参戦する状況になく、代わって資金提供を受けた北朝鮮人民解放軍が参戦した。

 ベトコンに混ざって米軍と戦った北朝鮮解放軍が、米軍兵士や軍属など数十人〜数百人を捕虜にし、北朝鮮に連れ帰った事実がある。

 さて、以上は〔事実〕であり、ここから先は情報通などによる〔仮説〕で確証があるわけではない。確証はないが本紙が確信している説である。それをご紹介しよう。

 北朝鮮に連れ去られた数百人規模の米人捕虜を救うために、米政府は地下ルートを使って北朝鮮側と秘密交渉を行った。このウラ取引の際に、北朝鮮の麻薬・覚醒剤ビジネスを米側が了承したというのだ。――この時点まで北朝鮮の麻薬ビジネスは、いわゆる国際麻薬組織のルールを無視したもので、これを国際闇世界公認のものとすることで米側にも利益があったとされる。さらに北朝鮮の収入源としてスーパーK(贋ドル)印刷機も与えたという話もある。――スーパーKは贋ドルとは言っても実態はホンモノのドル印刷機である。こんなものを与えるのはやり過ぎと思われるだろうが、じつは米側はスーパーKの流通経路を調査することで、北朝鮮の貿易実態、麻薬・覚醒剤ビジネスの実態等すべてを把握しようとしたのだ。

 以上は証拠のない戯れ言と言ってしまえばそれまでである。しかし、捕虜救出が目的のためであったか、他に政治的、政策的要因があったかは不明だが、この時期に米国と北朝鮮が国際舞台のウラ側で何らかの接触を続け、秘密交渉を行っていたことは明らかだ。何処までが真実かは別として、米軍捕虜を巡るこの物語のなかに、隠された闇の歴史の一端が見えている。そして物語はさらに巨大な闇に続く。さらに確証のない隠された歴史へと続く……。


さらなる闇の歴史を追って…

 ベトナム戦争を介して北朝鮮と秘密回路を持った米権力中枢は、北朝鮮軍部内に燻る「大東亜戦争史観」に辿り着いた。

 大戦終結後、GHQ(連合軍占領総司令部)の圧力で「大東亜戦争」は「太平洋戦争」と名を変えられた。その結果、戦後教育を受けたわが国の大衆は「大東亜戦争」という呼称すら忘れ去ってしまった。
 「大東亜」とは「大いなる東アジア」の略語で、わが日本軍が戦ったのは大東亜の解放戦争だった。米欧列強の東アジア支配を断ち切るために戦った戦争という意識が存在した。――その「大東亜戦争史観」が昭和40年代末期にまで朝鮮半島で生き続けていた……。

 旧約聖書に生きる民は真実の積み重ねを重要視する。オカルト的に言えば「数霊に生きる民」であり、わが国の民のように直観に生きる民(言霊に生きる民)ではない。99%間違いないという状況であれば、日本人はそれを 100%と信じ、数霊に生きる民は最後の1%を突き詰める。――ベトナム戦争の影に、大いなる東アジア(大東亜)戦線を展開する勢力があるなどという夢物語の実在の可能性は1%以下と判断されただろう。それでも米権力中枢は大東亜戦争の幻影を恐れたのだ。

 昭和40年代末期から50年代初期――1970年代の話である。

 三島由紀夫の市ヶ谷自衛隊自決事件が起きたのは昭和45年11月のことだった。

 それが世間から忘れられ始めた昭和50年に入って、自衛隊内の三島シンパ、あるいはM研に関連する隊員たちに対し突如として粛清人事が行われた。――この粛清人事は、明らかに米権力中枢が大東亜戦争の幻影を恐れたためだ。

 話は変わる。三島由紀夫自決事件の年(昭和45年)の3月に日航よど号がハイジャックされ、赤軍派9名が北朝鮮に渡るという事件が起きた。よど号乗っ取り犯の赤軍派は、その後、首謀者である田宮高麿ら3名が死亡、2人が日本に帰国して逮捕され、残る4名は今も北朝鮮にいるが、この帰国問題が最近の日朝正常化交渉でも話題に出ている。

 さて。このよど号ハイジャック事件のとき、通説では 200万円のカネを赤軍派が北朝鮮に持ち出したといわれるが、情報通の間では「1000万円」説が常識とされている。(現在の価値にして約1億円超) これも真実は闇の彼方の話で正確な金額など永遠に不明だ。このカネを工面したのは藤本敏夫なのだが、藤本は統一教会から資金援助を受けたという説が強い。

 藤本敏夫とは元三派全学連委員長で一昨年に死亡している。歌手・加藤登紀子の夫であり、晩年は千葉県で無農薬農業をやっていた。ちなみに加藤登紀子は昭和47年に藤本敏夫と獄中結婚している。彼女のヒット曲『ひとり寝の子守唄』は獄中にいる恋人・藤本を想って作られたもの。

 よど号はハイジャックされたとき乗員7名乗客 131名を乗せていた。犯人たちの要求通り北朝鮮に向かうには燃料が不足で、これを理由によど号は一旦、九州の福岡空港に着陸する。ここで病人や女性、子供など23人を解放し、再び離陸。一路北朝鮮を目指した。

 ここから先はあまりにも有名な話で、興味がある方はご自身で調べていただきたい。

 概略を語れば、北朝鮮を目指したよど号に対し国籍不明の戦闘機がスクランブルをかけてくる。緊急通信を試みたよど号機長に対し、管制塔からの無線が入る。「こちらは平壌。進入管制周波数に同調せよ…」。

 こうして降り立った飛行場の周囲は、北朝鮮の軍服を着た兵士で囲まれていた。普通に考えれば北朝鮮の平壌空港に着いたと思うだろう。だが、その飛行場の近くに、微かに米軍機の機影を目撃した主犯・田宮高麿は金日成の写真の提示を要求する。

 ――北朝鮮であれば誰でも直ちに提示できる金日成の写真。それはしかし、韓国には〔存在してはならないモノ〕だった。――提示できなかったのだ!

 赤軍派ハイジャック犯は日本・韓国の連携プレーを見破り、韓国(金浦空港)を脱出。無事(?)北朝鮮に渡ったのだが、じつは金浦空港に着陸した時点で一人の乗客が飛行機を降りていた。それは米国人牧師だったと説明されているが、もちろん名前も職業も現在に至るまで不明である。――こんな人物が実在したとすれば、それは諜報機関員、すなわち米CIA工作員としか考えられない。

 統一教会の資金提供話やCIAの話がどこまで真実かは読者諸氏の判断にお任せしよう。ここで本紙が主張したいのは、大東亜戦争終結から20余年たったこの時点でも、すでに国際勢力は東アジアを舞台に闇の活動をフル展開しており、また『米朝秘密回路』が明確に生きていたということなのだ。


拉致に隠された「闇の歴史」

 政治・思想・経済といった面で考える限り、わが国にとって北朝鮮は〔最悪の国家〕かもしれない。不審船やミサイル恫喝事件を引き起こし、横田めぐみさんを初めとする無防備な庶民を拉致し、なお引き続きわが国に脅威を与え続けている最悪の国だ。だが、不思議なことに庶民大衆の感覚は似た部分を持つ。喜怒哀楽というか、感動して涙を流す、恩義を感じる……等々といった人として生きる生活感情の面では、韓国の民より北朝鮮の民のほうが理解しやすい。百済・新羅の民(韓国)より高句麗(北朝鮮)のほうが日本人に近いのだろうか。北朝鮮が発行している「労働新聞」の翻訳版を読んだ某右翼が、「元気だなぁ。これはなかなか良いぞ!」と感激したという話があるが、本音の部分はこんなところに見えてくる。

 話を本論に戻そう。

 国際舞台では各国が凌ぎを削っている。表面に見える政治、思想、経済世界だけではなく、ウラ世界の諜報戦、情報戦でも思惑や駆け引きが乱れ飛んでいるのが現実た。それは過去も現在も、そう変わりはない。

 三段論法的な理論構築が不得手なわが国の民は、物事を一面的、包括的に捉える。大雑把とも言えるし、大局的とも言える。「松茸は香りが良く、味はシメジが良い」とか、「福島県人は保守的だ」といったように一面的に決めつけて考えることが好きだ。国際関係についても、つい、「北朝鮮人は卑劣だ」とか「ロシア人は狡猾だ」と決めつける。だが現実には進歩的な福島県人もいるし香りの良いシメジもある。

 表向きの政策、ウラ世界の闇取引、相手を裏切り身内を騙し、ときには未来のためにという美辞麗句をもって自身の国家、自身の民すら裏切る国際政治の暗闘の現実は、分析し紹介することが極めて難しい。敵がときには味方になり、味方を裏切ることが愛国的であることもある。敵と敵がウラで手を組む――水面下の秘密交渉回路。この秘密回路によって、外交戦での勝利や実戦での勝利が見えてくる。最近、米国のライス報道官が、かつてイランとも秘密回路を持っていて年に2〜3回の交渉を行っていたことを公表したが、米朝秘密回路も当然ながら存在したはずだ。

 その秘密回路は朝鮮戦争時代にも存在したと推測されるが、これが強力な回路となったのはベトナム戦争時のことだろう。

 ベトナム戦争を戦っているときに米権力中枢が感じた「大東亜戦争の意思の継続」という1%の可能性は、彼らに強烈な警戒心をもたらしたに違いない。そして北朝鮮の真の歴史、すなわちニセ金日成の実体であるとか、紅卍会、あるいは明石機関やそれに連なる可能性のある金策の存在を突き止めたとき、警戒心は恐怖心となって拡大しただろう。

 (金策関連の情報については、ぜひとも本紙3月29日「韓国大統領弾劾と半島情勢」を精読していただきたい。)

 米権力中枢が「金策の秘密」にまで辿り着いたのか、あるいは本当に大東亜戦争の幻影を見たのかは不明だ。だが、当時の虚々実々の駆け引きのなかでこうしたさまざまな物語が「米朝秘密回路」を生み出したことは間違いない。そしてここからが最重要点なのだが、北朝鮮・金日成政権はこのとき、米側の了承の下、日本人拉致を立案・実行に移したと考えられる。――必然として北朝鮮は日本人拉致計画を米軍に通知し、米軍の承諾を得て開始したはずだ。事実、北朝鮮による日本人の本格的拉致はこの時期から始まっている。

 なぜ日本人拉致なのか?

 本紙の妄想的解読では、「明石機関−金策−金日成」の現実が米権力中枢に疑われたためとも考えられる。いやそれより、父なる将軍を崇拝するといった北朝鮮の新たな価値観が日本の皇室崇拝に近い現状であることを米側が恐れたためとも考えられる。あるいは北朝鮮の一般大衆の感情が、日本人の感情に酷似していることが米側の神経に触れたのかもしれない。北朝鮮は日本を敵対視し、日本人を拉致することによって、米側のこの恐怖心を取り除こうとした可能性もある。

 こうした妄想的解読には納得できない読者もいるだろう。実際、現実はもっと単純だったかもしれない。

 北朝鮮の麻薬ビジネスが国際闇世界のルートに参入できること、そしてスーパーK印刷機の入手により実利が得られることで、米中枢と闇取引を行った北朝鮮軍部が、拉致を米側に承認させただけかもしれない。日本人拉致は、日本文化の解読にも役立つし、潜入スパイ訓練の語学・文化指南役ともなる。なにより、拉致という行為を工作員の使命と位置づけることにより実戦訓練も出来るという一石二鳥、三鳥のものとなる。

 日本人拉致問題には、間違いなくこのような隠された歴史(米朝共通認識)がある。

 そして平成14年9月17日、平壌を訪れた小泉純一郎に対し金正日総書記は拉致を認めたのだ。

 「拉致問題の解決なくして国交正常化はない」と断言していた小泉純一郎にとって、拉致を認めた金正日の対応は予想外のものだった。だが金正日は拉致を認めたことにより、共犯の片割れ――米国にシグナルを送っていたのだ。

 ――日本人拉致を米政府は了解していた。その事実を公表してほしくないなら、米朝秘密回路を復活せよ!――と。


サッカー大会で日本にブーイングが起きた!!

 支那北京政府にとって北朝鮮問題は非常に複雑困難な難問である。叩き潰そうと思えばそれが出来ない相手ではない。しかし近い将来の米国との全面対峙を考えた場合、〔暴走国家=北朝鮮〕を味方にしておく必要がある。

 その北朝鮮がかつて米国と秘密回路を持っていた。

 そして今ふたたび秘密回路を復活させようと必死になっている!!

 10年前の北朝鮮危機のとき金日成と会談した米カーター特使は、金日成からこんな話を聞かされた。――東西冷戦が終わった今となっては在韓米軍の存在意味はなくなった。在韓米軍は対支那軍として北朝鮮に駐留させなさい――。

 この発言から3週間後に金日成は急死した。彼の死は支那北京政府による暗殺だったのでは、といった説が世界中のウラ社会通の間で囁かれたものだが、その噂に誰もが頷くほど北朝鮮が米国と結ぶことを北京政府は恐れていた。4月の竜川駅列車爆破事件が北京政府によるものだという説も同様である。

 金日成を北京が暗殺したという証拠などない。竜川駅列車爆破事件の背後に北京が存在していた証拠などない。しかし、北京が北朝鮮の動きに過敏であることは事実だ。そして今、北朝鮮は「米朝秘密回路復活」にすべてを賭け、切り札としてジェンキンスを投入した。

 日本政府は、拉致被害者・曽我ひとみさんの夫であることを前面に出し、インドネシアでの家族再会から急展開の来日、そして米軍との訴追問題解決へと動きだした。この真相が「米朝秘密回路復活」にあることを、もちろん北京は見抜いている。――日本が「米朝秘密回路復活」に重大な役を負っていることを見抜いている。

 そうした状況のなか、サッカー・アジア杯が支那で開催された。ご存じの通り日本チームに対する支那人のブーイングは凄まじいものだった。とくに重慶での4試合では、国歌・君が代吹奏時に支那人はほとんどが起立せず、反日的な文言を書いた横断幕を掲げたりブーイングを浴びせたりした。

 サッカーというスポーツは大衆を熱狂的に動かす。

 スポーツはそもそも武道とは異なり政治・思想に利用されるものである。五輪であろうが何であろうが政治・思想に無関係なスポーツなど存在しない。とくにサッカーは集合意識が大衆を熱病の彼方に追いやるもので、民族心を煽りやすいスポーツとして知られる。支那人の常軌を逸した行動は明らかに支那北京政府が煽動したものであって、その煽動に愚かな大衆が乗せられただけに過ぎない。

 しかし、一旦火がついた反日行動は、抑えることが不可能な炎となって燃え続けることだろう。


ジェンキンス渡米!

 そして8月23日、拉致被害者の曽我ひとみさんは、長女・美花さん、次女ブリンダさんを伴って故郷である新潟県の佐渡に渡った。ここで3人は日本の田舎での生活を4日間ほど送り、26日の夕方、東京に戻った。

 この4日間、曽我さんの夫ジェンキンス氏は座間で米軍関係者の事情聴取を受けていたと説明されている。

 曽我ひとみさんと2人の娘が佐渡に向かったというニュースを見て凍りつくほど衝撃を受けた人が何人いただろうか。

 なぜ女3人だけなのか? ジェンキンスはその間、何をしているのか? 曽我さんを含め家族は当然のことながら、彼が北朝鮮で何をしていたのか熟知している。夫が、父が、密命を帯びて、二度と帰らぬ北朝鮮のためにたった一人で戦っていることを知っている。

 本紙は曽我ひとみさん母娘が佐渡に渡っていた4日間にジェンキンスが米国に渡っていたに違いないと考えている。座間から米軍機に乗れば数時間で米本国に飛べるのだから……。もちろんこれは妄想かもしれないし、邪推かもしれないが。

 8月30日には在韓米軍の独立法務官J・カルプ大尉が来日して病院にジェンキンスを訪ね、司法取引に関する話し合いがなされた。これは表面的なこと――というか、現実に脱走兵であるジェンキンスの処遇を法律的に決定しなければならないのは当然のことだ。この話し合いの後、ジェンキンスは近日中に座間に出頭すると声明を出し、これを受けて米軍は「日中の事情聴取だけで短期間に決着させる」と応じている。

 これがいったい何を意味しているのか?

 ジェンキンスの狙いがある程度の成果をあげたと考えるのが妥当だろう。


10月の驚愕

 曽我ひとみさん母娘3人が佐渡に渡る直前の8月20日〜23日まで、米第七艦隊所属イージス艦「カウペンス」(9500トン)が新潟港に寄港していた。寄港目的は乗組員の休養などだが、米海軍はミサイル防衛の一環として、9月から日本海にイージス艦一隻を配備することになっている。しかも10月には日本海で軍事演習が行われる。

 そして11月には米大統領選がある。

 共和党の現職ブッシュ大統領対民主党のケリー候補の選挙戦は、序盤こそケリー優位で進められていたようにも見えたが、米大統領選で序盤優位の候補が尻すぼみになるのは通例のこと。それでも7月末には、なおケリー候補が8ポイントもリードしていたが、8月30日にABCテレビとワシントン・ポストが行った世論調査ではついに48ポイント同士で横並びとなってしまった。現時点での本紙の観測ではブッシュ圧勝となるが、今後の国際情勢の変化如何ではなお不透明な面も残る。

 ABCテレビとワシントン・ポストの調査では、とくに「米軍の最高司令官として適任な者」という質問では、ブッシュが53ポイントを獲得、ケリーに10ポイントもの差をつけた。しかしこれもイラク情勢で大きく変化する可能性がある。

 8月24日にはモスクワを飛び立った2機の旅客機が墜落するという事件が起きた。少なくともそのうちの1機は機体が爆発した模様で、テロの可能性が高い。そして1週間後の31日にはモスクワの地下鉄入口で自爆テロがあり10人が死亡、続いて9月1日には武装集団が人質をとって学校を占拠し、3日に特殊舞台が突入して死傷者1000人以上を出すといった悲惨な事件に発展している。この事件にはチェチェン紛争で夫や息子を奪われた「黒い未亡人」たちが自爆に参加したとか、国際テロ組織が関与しているといった情報がすでに流れている。たしかにチェチェン紛争がその背景にあり、またチェチェン紛争の未亡人やアラブ・ゲリラたちが実行部隊に加わっていただろう。

 だが、飛行機爆破テロや学校占拠事件など3件が共通の組織の犯行という見方はむしろ危険で、それぞれが非常に深い背後では繋がっているものの、実は別個の事件だと考えたほうが良いだろう。詳細は省くが、これにより4万ロシア軍の中東派兵(イラクではなくアフガン)が遠のく可能性は高い。そしてまた、CIA解体を公表したブッシュは苦境に立たされることになった。解体されることになったCIAが、その返答としてこうした事件を引き起こした――などと言うと陰謀史観に立ちすぎと批判されるかもしれないが、その可能性を捨てる気にはなれない。

 今回の一連のロシアでの事件が、ロシアにおける「9・11」である可能性は高いが、それは一般に報道されているほど単純なものではない。「ユーラシア大異変」を前提とした動きがロシアで噴出してしまったと見るのが正しいだろう。そして、火がついた大衆たちの行動は、演出者たちが描いた思惑を・かに越える可能性も高まってきた。

 いずれにしても、ブッシュ再選に向けてはなおハードルがあると考えられる。

 ユダヤ系であることを公表したケリーが大統領選に当選する可能性は今のところ少ない。まして彼の夫人がファースト・レディになることについては多くの米国人が反対だろう。だが、イラク人捕虜虐待事件のような話や経済問題等ブッシュ人気を一気に突き落とす材料が大統領選直前に突如として噴き出すかもしれない。

 ネオコンの代表格の一人であるジョージ・ソロスは今秋に米国を〔地獄に突き落とす事件〕が起きることを予言している。彼はこれを『オクトーバー・サプライズ(10月の驚愕)』と呼んでいる。(詳しくは本紙3月1日「オイル・ショック再び?甦る恐怖の日々!!」参照) 当初本紙はこれを、サウジ王家絡みあるいは石油絡みの事件と読んでいた。ソロスの発言であるから、その可能性は高いと今も見ているが、新たな可能性も考えられる。それは北朝鮮絡み――日本海に展開する米イージス艦絡みの可能性だ。

 読者諸氏は昭和43年(1968年)に起きたプエブロ号事件をご記憶だろうか。米朝秘密回路が完全に機能すれば、敵と敵が手を握って衝撃の事件を起こすことなど簡単な話なのだ。そのために多少の犠牲がでることなど、権力側は一切関知することはない。――これが理解できれば最近のテロ事件の背景もまた推測が可能となる。

■注:プエブロ号事件■
昭和43年(1968年)に米情報収集艦プエブロ号が北朝鮮に拿捕された事件。
 同年1月23日、北朝鮮東岸の元山沖公海上で、米海軍所属のプエブロ号は、米国家安全保障局(NSA)の秘密情報収集任務に就いていた。その際、プエブロ号は領海侵犯を理由に北朝鮮警備艇などから攻撃を受け、乗員1名が死亡、残る乗員82名が身柄を拘束され、北朝鮮当局の取り調べを受けた。この事件でアメリカはスパイ活動を北朝鮮に謝罪し、乗員は11ヶ月の拘束ののちに解放された。しかし、プエブロ号の船体は返還されず、現在も北朝鮮の管理下に置かれて国内の大同江で一般公開されている。


東亜の将来へ向けて

 アフガン、イラクに続き、シリア、イランにもまた破壊の嵐が近づいてきている匂いがする。中東問題研究家たちはイスラエルがイランに対して先制攻撃を加えるのではないかと懸念しているそのような事態が起きれば中東全域はまさに戦火の坩堝となる。テロに揺れるロシアを含めユーラシア大陸は正常な状態にない。わが東アジア(東亜)の実情はさらに危険な兆候を見せ初めている。

 東亜の現状を簡単に分析しておこう。

 すでに本紙6月26日号で分析した通り、支那北京政府と台湾政府との間は極めて危険な状態にある。米ローレス国防次官補代理は「2006年〜2008年に北京政府が台湾に対して武力行使する可能性が高まっている」と証言している。8月末には支那人民解放軍の軍事演習中止を受けて台湾軍も実弾演習中止を決定し、中台の関係修復に向けての両者の努力が目に見える形になりつつあるが、それでもなお緊張は持続中だ。

 わが国では金融関係まで含めてあらゆる企業が支那へ支那へと向かい、支那経済が過大評価されている。現実には支那大陸は行き詰まりの酷い状況にある。今夏は停電こそなかったものの電力不足は致命的になりつつある。工場を建て労働力を確保してもエネルギーがなければ稼働できない。水不足も深刻で、上海をはじめ大都会の中程度のレストランでは汚れた川の水で食材を洗い米を研いでいる状況だ。一般には2008年の北京五輪までは支那経済は伸長し続けると考えられており、本紙もその考えに賛成だが、それすら危ぶまれ始めている。

 北朝鮮の状況はすでに述べた通りで、金正日後継者問題がどのように解決がつくのか見通しが立っていない。経済食糧問題がなお困窮の状態にあることは確かだ。こうしたなか米国防省は「10月に北朝鮮が核実験を実施する気配を見せている」と懸念している。先に明らかになった韓国の核物質抽出実験と併せて、半島はなお危険がいっぱいだ。

 韓国経済も立ち直りの気配を見せない。

 韓国政府は歴史認識や領土問題で対日硬化の姿勢を崩さず、ひたすら親北政策を採り続けている。しかしこうしたなか、9月1日に起きた北京の日本人学校への脱北者29人の駆け込み、韓国への亡命希望は韓国政府を窮地に追いやっている。

 東亜のなかで日本の状況は早春の雰囲気を漂わせている。アテネ五輪でのメダル・ラッシュが「1兆円の経済効果」と言われるが、夏の猛暑も多大な経済波及効果をもたらしている。長期不況でとくに地方は惨憺たる状況にあり、多少の好景気も焼け石に水といったところだが、しかしトンネルの先に光明が見えてきたことも事実だ。

 かつて欧州から米国に流入した国際金融資本の資金は、やがて東亜に移動する。それは間違いない。東亜――それは最終的には支那大陸を意味するのだが、とりあえず直近には日本に移入することになるだろう。事実、すでにわが国には国際金融資本家たちの出先機関、出先事務所が設置されユダヤ人たちが大挙して押し寄せている。

 これまで不況の嵐のなかで耐え忍んできたわが国の企業家たちにとって、潤沢なユダヤ資金が舞い込んで来ることは大歓迎だ。喉がカラカラの状態のときには一滴の水ですら至幸の甘水である。この水を求めて、恐らくは多くの売国奴的資本家、企業家が争って魂を売る。――ごく僅かな精神的奴隷状態のカネ持ちと、相変わらずの貧乏人がこの国に作りだされていく……。

 しかし嘆く必要はない。

 アジア人にしか理解のできない論理や技術が、すでに最先端の科学分野、工業分野で生き始めている。近代的西欧が終焉を迎え、新たな価値体系が生まれるまでにそう時間は必要としないだろう。
 また東亜のなかでも政治とは無縁の場で連帯感が生まれつつある。支那大陸と日本を結ぶ文化的結合がさまざまなところで構築されはじめている。半島との関係も同様だ。

 大ヒットTVドラマ『冬のソナタ』は日本の女性たちを熱狂させた。これに続く韓国ドラマが続々と日本上陸を企画している様子だ。もちろんここには、日本アニメの韓国解禁の見返りといった面もあるが、盧武鉉政権の反日政策とは裏腹に、政治音痴のわが国女性たちが東亜の連帯を勝手に先取りしているといったところか。ちなみに(筆者は見たことはないのだが)、『冬のソナタ』とは純愛ドラマで、昭和20年代末期にわが国の女性を熱狂させた『君の名は』というラジオドラマの焼き直し版的なものらしい。純愛ドラマに憧れるところもまた東亜の民族の一面なのかもしれない。

 米アーミテージ国務副長官がわが国の憲法改正を望む発言をして物議を醸したが、パウエル国務長官まで、わが国の国連安保理事会常任理事国入りに関して憲法9条の再検討を促していることが明らかになった。

 ネオコン派、反ネオコン派に限らず米国はその総意としてわが国に憲法改正を望んでいる。米国は「日米一体化」を真に望み、わが国が米国の忠実な下僕となってはじめて、米国による一国支配体制が確立すると考えている。

 経済的にも政治的にも、わが国が見かけ上、米国に呑み込まれる日は近い。その、呑み込まれた状況のなかから如何にして日本の真性が現出するか――。

 日本の真性――日本の核が現出する瞬間を、諸氏は間違いなく目撃する。その時、諸氏はどんな立場からこれを目撃するのだろうか。


□竹中平蔵は最終的に許されるだろう [BenjaminFulford]

 http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2007/04/post_1.html

April 07, 2007
竹中平蔵は最終的に許されるだろう

竹中平蔵が立派な売国奴であることには間違いない。しかし本人は敗戦国の立場として英米の秘密結社の顔色を伺いながら、日本のために最善を尽くした。

しかし今の日本は英米の顔色を伺う立場ではなくて、英米に命令を出す立場である。

最終的には真実委員会で今までの裏話を全て公開した上で、日本国のためにそして世界のためにすぐに働いてもらいたい。竹中平蔵は非常に優秀な人物なのでこれができるはずだ。

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