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(回答先: Re:善き人のためのソナタ 投稿者 近藤勇 日時 2007 年 3 月 14 日 22:48:31)
監視社会でなら無言の会話に、必要に迫られて手話は発達普及したのでは?
そう思って検索しましたが見付けられませんでした (スパイには必修?)
手話は”ことば”、手真似事ではありません。 (記事切れ→ 題名で検索)
http://zenmz.exblog.jp/3522611/ ・検索→ ド・レペ神父
ゴリラ 「ココ」 の紹介 HP ・http://www.gorilla.org/
No.022 類人猿は手話を話せるという報道について (2004.12.28)
http://deaf.cocolog-nifty.com/culture/2004/12/no022.html
・http://int.moo.jp/ ・http://int.moo.jp/oahu.htm
手話の父ド・レペ神父 ---- 部分抜粋 ------
★ 戦争と天変地異。これが起こると、必ず集団ヒステリーが発生します。
その時、常に人間の本性がむき出しになります。人民の苛立ちは、罪なき人々に鬱憤をぶちまけます。
憎々しげに吐き捨てるような言葉・・・「役立たずの穀つぶし、死ね!」 すべての障害者はジッと
堪え忍びました。これは、我々すべてが、心の深奥に宿す原罪である事を忘れてはならぬ、と思います。
★ 平和な時代でも、我々は、先入観に引きずられて多くの過ちを犯します。聴覚障害者の苦難を思う時、
キリスト教の新約聖書の『ヨハネによる福音書』を巡る、相反するエピソードを思い出します。
この聖書は、次の言葉で始まります。
★「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。
すべてのものはこれによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。」
この聖書の教えに人間は、二つの異なった選択をしました。
★ ローマン・カトリック教会は、ことばを知らぬ聴覚障害者を”神の恩寵少なき者”としました。
それを聞いた人々は、言葉を持たぬ障害者を”呪われた者”と受け止め、聴覚障害者を蔑みました。
そして、自らの生活の中で共に生きることを拒否し、慈善の対象として救済事業に委ねました。
その営みが、キリスト教博愛主義に基づく慈善事業と、後生に評価されたのは歴史の皮肉、それは、
また、後に痛烈に批判されました。
★ しかし、同じこの言葉に打たれて、聴覚障害者に言葉を与えようと、立ち上がった人も、同じ
ローマン・カトリック教会から出ました。フランスのミシェル・ド・レペ神父です。
「言葉がないために福音を知らず、神の恩寵が得られない子どもたちに言葉を」と、たまたま出会った
ろうあの双子が交わす”手さばき”から手話を考案し、学校を設立して、世界で始めて聴覚障害児の教
育を始めたのです。世界初のパリ聾学校、今から245年前の1760年に設立されました。
★ 手話は、こうして、全ろう者を「神の福音に導くために」誕生しました。しかし、誕生とほぼ同時に
大試練に立たされます。ド・レペ神父の教育法はろうあ者のもっとも自然な言語として手話を元にした
「フランス式」(ド・レペ式手話)でした。
しかし、その後、1778年にドイツのライプチヒで始まったハイニックの教育法は、普通の人の言葉を
学ぶのが原則の口話法を打ち出した「ドイツ式」(ハイニック式口話法)で、両者は、その後、相譲らず
100年間、大論争を続けました。
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