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http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2007/shuchou0312.html
(1)外山恒一氏の勇気ある挑戦だ
石原都知事の対抗馬が続々と名乗りを上げてますね。黒川紀章さん(建築家)は以前「朝生」でご一緒しました。浅野史郎さんは我が宮城県の知事を3期も務めた人です。丸山弁護士、ふくろう博士も名乗りを上げました。さらに、外山恒一(とやま・こういち)さんが出馬します。
3月1日(木)の夜、ネーキッドロフトで外山さんの出馬宣言がありました。外山さんの他、すが秀実さん、山本夜羽さん(漫画家)、そして私が出ました。供託金が300万円で、それをどうするかの話から始まりました。そういう初歩的、実務的な話から激論するところが実に人間的、庶民的でいいですね。他の大物候補にはないカラーです。
本人のビデオも上映されました。その中で政見放送は、こんな感じでやるという試作盤も披露されました。普段の外山氏とは一転して、やけに迫力のある演説でビックリしました。こんな外山氏は見たことがない。ウン、これを全国的に流すだけでも都知事選に出る意義はある。私は思いました。満員のお客さんもそう思いました。
実は、もう一人ビッグな人が、「都知事選に出たい」と言ってました。本気だったのかどうか分かりません。酒席の発言だったので、私の聞き違いかもしれません。「出たら面白いだろうなー」と言っただけかもしれません。
へたなことを書いちゃマズイので、本人に電話をして確かめました。『エッ、あれは冗談ですよ」と言ってました。「でも300万の供託金があったら、やってみてもいかな」と言ってました。だから名前は書きません。出られたら面白いのに…。と思いました。
では都知事選の話は終わりです。そうそう。石原都知事は野村秋介さんとも親しく、野村さんについての小説、エッセイも書いてます。野村さんのような激烈な生き方をした人への羨望と嫉妬があるのでしょう。又、三島由紀夫論も書いてます。三島、野村両氏に対する嫉妬心、羨望と共にライバル意識もあるのでしょう。都知事の顔とは違った本音の部分が出ています。読んでみたらよかでしょう。
これは人に聞いた話です。「座頭市」シリーズで有名な勝新太郎と石原都知事が会った時です。いきなり勝新は仕込み杖を抜いて石原に斬りかかったそうです。そしてつぶやいたんですな。「いやな渡世(都政)だな」。笑いましたね。前にこのHPでも書いたかな。志の輔さんかな。続きがある。勝新は大麻をハワイから持ち帰って捕まったことがある。「パンツの中に勝手に入ってた」と言ってた。「これからはパンツをはかない」と反省した。よく分かんないけど、大スターなんだから、いいだろうよ。奥さんは中村玉緒で、今も生きている。勝新の生前の話だ。
家に帰って、呼び鈴を押した。
「ヒロポーン」
玄関に入って言った。
「タイマー」
玉緒が言った
「コカインなさい」
うーん、いい話だ。本当に言ったそうだ。いいんだよ、大スターだから。
さて、「いやな都政(渡世)だな」の話だ。外山さんも、これをキャッチフレーズにやればいい。でもキャッチはもう決まっている。
「政府転覆」
これなんだ。物騒だ。3月10日、ネーキッドロフトに行ったら、ドアに「政府転覆、共同謀議!」と大きく書かれていた。思わず足がすくんだ。オラは気が弱いから、思わず帰ろうかと思っただよ。
ネーキッドは超満員で、激越な意見、提言、罵倒が飛びかい、凄い雰囲気だった。後半、昔の新左翼の人が5、6人入ってきた。山本夜羽氏と激論になった。そんで、何と、取っ組み合いの喧嘩になった。いやー、盛り上げてくれますね。さすがは、「乱闘酒場」「流血酒場」と言われるだけのことはある。ロフトは…。まわりの人は必死に止める。私は思わず叫んじゃった。「とめるな!やらせろ!」と。
大の大人が自らの判断でやってるんだ。自由に、伸び伸びとやらせたらいい。何をやっても警察は入ってこない(あっ、昔、警察を呼んだアホな左翼の親玉がいたけど)。みんな「自己責任」だよ。かつての大学は毎日、こんなことをやってたんだ。
この乱闘劇には皆、驚いていましたね。「やめろ!お前はクリスチャンだろうが!」という声も飛んでました。これは本当です。山本夜羽(ヨハネ)という名前は、キリストの弟子のヨハネからとったんです。この「神の声」にヨハネはハッと我に返ったのでせう。乱闘をやめて、懺悔しロフトの大地に接吻してました。いや、そこまではしなかったか。「剣によって立つものは剣によって滅ぶ」「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」とイエスは教えている。そう言って、ヨハネをいましめました。私も。でも、さっきは、「とめるな!やらせろ!」と叫んでたんだし。いかんな。ミッションスクール出身の私も。懺悔です。
(2)私も熱くなって、過激派だった昔を思い出しましたよ
思い出しました。学生時代、内内ゲバがあった。突然殴り合いが始まった。「やらせりゃいいだろう」と私は思って、見とった。そしたら、一人が後ろから抱きついて止めた。頭に来たんで、その止めてる奴に私は抱きついて止めた。「止めるな!やらせろ!」と身をもって示した。そしたら、そいつが殴りかかって来た。何だこの野郎。と私は思った。じゃ、こっちも「正当防衛」だ。殴り返した。そして乱闘が始まった。気がついたら、はじめ喧嘩してた二人はもう終わっている。「あれっ、君ら、何で喧嘩してんの?」と言われた。何でだったのかな。
だから暴力はいけない、ということですよ。山本夜羽氏はクリスチャンだ。教会で結婚式をあげた。何年か前だ。私は招待された。嬉しかったですね。一度、教会の結婚式に出たかったんだ。だって、ミッション・スクールでは毎日、聖書を読み、讃美歌をうたっていた。ところが右翼になってからは、そんな清らかな時間はない。街宣車で怒鳴ったり、軍歌をかけて走ったりばかりだ。聖なるものに憧れた。「聖なる聖なる聖なるかーな…」と讃美歌をうたいたい。でも、カラオケに行っても全くない。
そんな讃美歌に飢えていた時だったので夜羽氏の結婚式は嬉しかった。聖書を読み、讃美歌をうたって、感動した。終わって食事が出た。「粗末なものですが」と新郎新婦は言う。まァ、謙遜してるんだ…と思った。結婚式の食事なんだから、と。(いやしいね)。期待したんですな、私は。ところが、本当に粗末だった。紙コップでビールを飲み、サンドイッチとつまみだけ。当時、「週刊SPA!」に連載を持ってたんで、「本当に粗末だった」と書いた。幼な子のような清らかな素直な目で、その通りを書いたのだ。でも夜羽夫妻は激怒した。すみませんでしたね。もう10年近く前かな。遅すぎましたが、懺悔します。あれは間違いでした。千円か二千円の会費では文句を言えません。それに、本当は豪華な食事でした。みんな、おいしくいただき、こんな素晴らしいご馳走はないと皆、言ってました。お腹もふくれました。
さて、「いやな都政(渡世)」の話です。だから、「渡世」というのは、〈ヤクザ的な生き方〉の意味で使われます。「世の中を渡る」だから、本当は、「生き方」「人生」の意味です。でも、いい意味では使われません。政治家か自分のことを「渡世」とは言いません。大学教授も評論家も言いません。アウトローの、無頼の「生き方」を言うんでしょうな。この「渡世」という言葉だ。「渡世人」とか。「ヤクザ渡世」とか。すべて、「ヤクザ」を表わしてます。
だから、この人が「渡世」と言った時には驚きました。『わたしの渡世日記』(文春文庫)です。ヤクザが書いたと思うでしょう。でも、ちゃいまんねん。高峰秀子です。「極道の女」ではありません。女優です。大女優です。「戦後日本のトップ5人」を選ぶとしたら、必ず入る人です。この『渡世日記』が、実にいい本です。名作です。名文です。そういっちゃ失礼だが、この人は、ほとんど学校に行ってない。小さい時から子役をやってて学校なんか行けない。九九も知らなかった。字もよく知らなかった。でも、文がうまいんですよ。今のタレントのように、誰かに書いてもらうんじゃない。高峰は自分で書いてる。でも人生経験が豊富だからでしょう。それが文にあらわれている。
「現代文」のテキストにもなる。ライターを目指す人には、いい「教科書」であり、「参考書」になります。この自叙伝を、大作家・川口松太郎が「人生の指導書」と絶讃しました。又、これは「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞しています。
(3)「渡世人」高峰秀子の凄絶な人生…
高峰秀子は大正13(1924)年北海道生れです。生きていれば83才です。失礼、生きてます。83才で元気です。5才のときから「子役」として映画界にデビュー。その後、「二十四の瞳」「浮雲」「名もなく貧しく美しく」など多数の映画に出演。
木下恵介監督の「二十四の瞳」は何度も映画化されている。田中裕子とか、あと誰だっけ。でも、高峰を超えるものはない。(何という偶然でしょう。現在、銀座の東劇で「二十四の瞳」のデジタルリマスター版が上映されてます。見たらよかでしょう)
「浮雲」など、成瀬巳喜男(みきお)監督の作品にも多く出ている。「ラピュタ阿佐ケ谷」で「成瀬巳喜男特集」があった時に毎日通って全部観た。よかった。何年前かな。5、6年前かな。仕事がなく、暇だった時だ(今も暇だけど)。成瀬巳喜男は余り知らなかった。こんないい映画を撮ってたのかと驚いた。私のような心の冷たい人間でも、胸が熱くなる。ついホロリとして涙ぐんでしまう。「なるせ・みきお」だが、「やるせなきお」と言われたらしい。人生のやるせなさを描いたら第一人者だ。ビデオ屋では「成瀬監督」のコーナーがあるので見たらいいでしょう。
その「成瀬特集」の時、この高峰の本も売ってたんですよ。女優の本なんて、どうせゴーストライターが書いたもんやろう、と思って、パラパラとめくったんです。ところが違う。本人の文だ。本人にしか書けない〈人生〉の凄まじさが出ている。
華麗でうまい、という文章ではないが、味わいのある、いい文章だ。体験した本人にしか書けないという文章だ。ひきこまれた。それで買った。家に帰って読むのも、もどかしくて、阿佐ケ谷の「ルノアール」で4時間かけて上下二冊を読んだ。いやー、いい本に出会ったな、と思った。
この本の裏表紙には、こう書かれている。
〈女優・高峰秀子は、いかにして生まれたか。複雑な家庭環境、義母との確執、映画デビュー、義父・東海林太郎との別れ、青年・黒澤明との初恋など、波瀾の半生を常に明るく前向きに生きた著者が、ユーモアあふれる筆で綴った、日本エッセイスト・クラブ賞受賞の傑作自叙エッセイ〉
「子役」「女優」という枠や殻にはまりたくないと思ったのだろう。スターという虚像から逃れようと、7ヶ月のパリ独り暮らしをしたり、谷崎潤一郎や志賀直哉、梅原龍三郎らとの交友を楽しんだりした。この『わたしの渡世日記』は上下巻とも梅原龍三郎が描いている。なんとも贅沢な表紙だ。こんな豪華な表紙は他にないよ。
彼女はずっと「学歴コンプレックス」に悩んでいた。学校にも行かないで、「子役」をやってたからだ。
〈もう小学校どころの騒ぎではなかった。朝から晩まで、私は助監督の背中から背中に運ばれ、カメラの前に立たされ、それが何という題名の映画なのかも知らず、監督の言うセリフをオウム返しに喋っていた。私は、言ってみれば猿まわしの猿であった〉
〈猿〉だと言っている。凄いね。でも、世の中の「常識」は知らない。12才になったころ、初潮をみて、「お尻がやぶれた!」と叫んだ。同じ年の女の子に比べて、自分は何と物知らずの人間なんだろう…と悩む。30才で結婚した時の話だ。ここが一番、印象的だった。
〈三十歳で松山善三と結婚した私が、二ケタ以上の掛け算に首をひねっているのを見た彼ははじめの内、私がカマトトぶっているのだと本気で思ったらしい。が、冗談ではない。私のほうは真剣に困っていたのである。九九も満足に言えない私を、彼はようやく信用(?)したらしく、掛け算や割り算を教えてくれた。分からない字があると、そこらの新聞や雑誌をガサゴソひっくり返して、それらしい似た字を探している私を見た彼は、しばしあっけにとられていたが、私を神田の本屋に連れて行き、「国語辞典」なるものを買ってくれて、その引きかたを教えてくれた。私は三十歳になるまで、辞書をひいたこともなければ、「漢和大辞典」などというおそろしい本のあることも知らなかった。私は結婚すると同時に、タダの家庭教師を獲得したわけである。
私はしゃにむに勉強がしたかった〉
これは感動的なシーンだ。サリヴァン先生とヘレン・ケラーのようじゃないか。水に手を入れて、「WATER」という字を教える。本で読みましたね。
でも、高峰は30才だ。それでロクに漢字も読めないし、九九も知らない。辞書なんて、見たことも使ったこともない。でも、そんな人が、「二十四の瞳」では大石先生をやって、子供を教える。又、映画を観た何百万という人を感動させ、泣かせた。でも、でも。その「大石先生」は、九九を知らない。掛け算、割り算も知らない。漢字も知らなかったんだ。これは驚きだ。
考えてみりゃ、僕らだって、九九なんてよく知らない。7×8はいくらかな。8×9はいくらかな。君らだって、すぐには答えられないだろうが。ましてや分数の足し算ゃ引き算なんて出来んだろう。私はもう出来ん。分数や小数点なんて使うことはない。通分もしたことがない。そんなもの必要ないんだよ。知らなくっても大女優になれたんだし。
(4)〈映画の力〉で戦争を止めてみろよ!
彼女が子役をやってた時だ。山本嘉次郎演出の「綴方教室」に出演した。これもいい映画だ。この映画については前にこのHPでも書いたので見てほしい。さて、高峰の文だ。
〈この映画は、ブリキ屋の娘である豊田正子が綴方に書いた生活記録で、出版されると同時にたくさんの人々の反響を呼んだ。貧しい家の、貧しい記録であったが、少女豊田正子の眼は生き生きと、その貧しさの背後にある世の中の不平等に向けられていた。彼女と私の貧しさは、はた目から見れば大きな違いがあったこもしれないけれど、私もまた、その不平等を荷物に背負わされた、貧しい少女の一人であった〉
なるほど、うまいですね。〈天才子役〉として、皆にチヤホヤされ、人気はある、お金はある。しかし、学校に行けなくて九九も漢字も知らない。それを、「貧しい少女」と表現している。この感性がいい。今なら、こんなタレントなら、それだけで、何の疑問も持たず、生活をエンジョイして、天下をとった気になるだろう。「九九や漢字なんか必要ないよ」「こんなに有名なんだ」「何だって買えるよ」と驕りたかぶるだろうに…。高峰は違ってたんですね。
戦争中のことだ。彼女は、何本もの戦争映画、国策映画に出させられた。撮影所には軍服に軍刀をさげた陸軍将校が、のべつまくなし姿をあらわし、威張っていた。
ある日、撮影所でマル秘の試写が行なわれた。陸軍が南方で押収した外国フィルムの特別公開だという。数人の軍人を中心に映写がはじまる。当時の日本では上映禁止だったアメリカ映画だった。それも生まれて初めて見るテクニカラーの「風と共に去りぬ」と、ウォルト・ディズニーのアニメーション・フィルム「ファンタジア」の二本だった。
〈軍が何の目的で、この映画の試写をしたのか知らないけれど、「風と共に去りぬ」のヒロイン、ヴィヴィアン・リーの美しさ、ストーリーの美しさ、面白さ、「ファンタジア」の画面に流れるチャイコフスキーの「胡桃割り人形」の素晴らしいオーケストラ演奏…。
私は闇の中で興奮していた。しびれるような感動とショックの連続であった。二本の映画が上映された五時間ほどの間、私は、何か得体の知れない「栄養」が身体の隅々まで浸透するような快さに、われを忘れ、時間を忘れ、ついでに戦争も忘れていた。
試写が終わって、ドアが開かれ、夕闇のせまった戸外へ出たとき、だれかの、呟きとも、ひとり言ともつかない声が低く聞こえた。
「こんな映画を作っている国と戦争しちゃ、まずいな…」〉
この二作品は、今見ても凄いと思う。山本五十六だったかな。アメリカで戦前、「ファンタジア」を見て、やはり同じことを言っていた。だから「半年か1年なら思い切って暴れてみせますが、それ以上は無理です」と言っていた。でも、「バカヤロー、アメリカの〈物量〉には、日本の〈精神〉で闘うんだ!」と言ってた単細胞な軍人たちが多かったんで、日本は無謀な戦争に突入した。映画人も、直接見なくとも、アメリカ映画の素晴らしさは知っていたんだろう。だったら、「こんな国と戦争しちゃまずいな」と開戦前に大声で言わなくちゃ。それで逮捕されてもいいじゃないか。仕事がなくなってもいいじゃないか。と僕も、今だから言えるのかもしれないが…。
考えさせられる高峰の本だった。
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