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先生とわたし
四方田犬彦
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プロローグ
1990年8月10日、わたしは久しぶりに神戸にいた。
その前日まで、わたしは暗黒舞踏の集団の合宿に招かれ、数日を熊野の山中にある小学校の廃校で過ごしていた。朝早くに鬱蒼とした森を抜け、汽車で新宮から天王寺まで出ると、その足で神戸に向かう。かねてから文通をしていた俳人の永田耕衣に会うために、須磨に行く計画であった。西宮に生まれたわたしにとって、須磨は水族館のある海辺の美しい町として、幼いころより親しみのある場所だった。だが運の悪いことに、耕衣さんの都合がつかなくなり面会がかなわなくなった。急に午後が空いてしまったわたしは、なすすべもなく南京町を抜け、神戸埠頭の前に立って、呆然とした気持ちを持て余していた。晴天である。空がどこまでも巨大な炎であるかのように高く見え、とても日中にこれ以上は町を散策する気になれなかった。わたしは何か冷たいものでも飲もうと喫茶店に入った。このとき偶然に手に取った新聞の死亡欄で、わたしは由良君美の死を知った。
http://www.shinchosha.co.jp/shincho/200703/yomota.html
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図書館で新潮3月号を読む。
四方田犬彦 「先生とわたし」400枚の長篇批評
前半を読む。後半は「仮面劇とマダン劇」を紹介した
久保覚が登場する。なかなか面白い。
2年前、図書館で、新潮に掲載された
四方田犬彦の「ハイスクール1968」を読んだが
これも面白かった。
70年代後半から80年代初期、黒テンテが発行している小雑誌は
読み応えがあった。
久保覚も関わっていたからだと思った。
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