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ダーリントン・ウォール遺跡にある新石器時代の住居で、土の床を考古学者らが掘り起こした。これらの住居には、ストーンヘンジを造った人たちが居住していた。写真右上の住居跡は、道の跡を横切っていて、火打ち石や折れた骨、陶器のかけらなどが残っていた。この道は、ダーリントン・ウォール遺跡で祭りを行った人たちが利用したと考えられている。彼らは葬送の儀式の最後の段階で、死者の遺骨をエーボン川に流した。この調査は、ナショナル ジオグラフィック教会が支援している。http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/news/20070131/gallery/02.shtml
写真=Adam Stanford/Aerial-Cam for National Geographic
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/news/20070131/index.shtml
2007年1月31日
英国イングランドのソールズベリー平原にあるストーンヘンジ世界遺産地域のダーリントン・ウォールで、ナショナル ジオグラフィック協会が支援する発掘調査により、数百人規模が居住していたとみられる古代住居の跡が発掘されました。調査を行った考古学者は、ストーンヘンジを造った人々の住居跡とみています。
英国シェフィールド大学の考古学者マイク・パーカー・ピアソンは「磁気測定調査を行ったところ、調査を行った地域全体に住居が建ち並び、数多くの囲炉裏を確認しました。住居の床からは、箱形のベッドや、木製ドレッサーか食器棚の跡が発掘されています」と語っています。
これらの住居は、放射性炭素測定の結果、ストーンヘンジ遺跡が建造されたのと同じ紀元前2600〜2500年のものでした。このことから、ダーリントン・ウォールで発掘された住居に住んでいた人たちがストーンヘンジ建造に関わっていたと結論づけました。
この住居跡は、これまで英国のブリテン島で見つかった新石器時代の住居では最大で、スコットランド沖にあるオークニー諸島では同様の住居跡がいくつか見つかっています。今回の発見によりストーンヘンジは単独で造られたのではなく、葬送の儀式に使われたより大きな宗教施設の一部だったという学説が裏付けられたと、パーカー・ピアソンは語っています。
ストーンヘンジ複合遺跡を構成するダーリントン・ウォール遺跡は、現在見つかっているなかでは最大の環状遺跡で、周辺は土塁に囲まれていて、内側には堀がありました。これらは宗教的な祭礼に用いられたとみられています。直径およそ420メートルで、同心円状に巨大な木の柱が立っています。ダーリントン・ウォール遺跡は、ストーンヘンジから3キロ程度の場所に位置していて、これまで狭い範囲しか調査が行われていませんでした。
2006年9月に、ナショナル ジオグラフィックの支援で行われた「ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクト」という調査で、英国のパーカー・ピアソンら6人の考古学者で構成される調査隊は8カ所の住居跡を発掘しました。6カ所の床面は良い状態で保存されています。それぞれの住居はおよそ5メートル四方で、床は粘土でつくられ、中心部には囲炉裏がありました。床や杭穴、溝からは4600年前に使われていた木製の家具の一部が見つかっています。
ダーリントン・ウォールの環状遺跡の西側では、調査隊のメンバーである英マンチェスター大学のジュリアン・トーマスが別の新石器時代の住居を2つ発見しました。いずれも木の柱と溝で囲まれていて、少なくともあと3つの同様の構造物が同じ地域にはあるとみられています。
これらの住居は、ほかの住居から離れた場所にあり、共同体のリーダー的な存在だった人物が住んでいた可能性があります。トーマスは、こうした宗教的儀式を執り行う人物は、共同体から離れて住んでいたと考えています。あるいは、これらの住居からはゴミ類が全くと言っていいほど見つかっていないことから、宗教儀式に使われた神殿か祭儀のための建物で、内部の火を絶やさないようにするためだけに人がいて、居住はしていなかったのかもしれません。
残りの住居は、幅約2.7メートル、長さ170メートルほどもある立派な石畳の道の両側にまとまっていました。これらの住居は、調査隊が2005年に発見して、2006年に詳細な発掘を行いました。道は背の高い木の柱で囲まれた環状遺跡とエーボン川をつなぐもので、近くのストーンヘンジにも同様の道があり、人々が川を通って二つの建造物の間を行き来したことを示しています。道の発見は、調査チームにとってストーンヘンジの遺跡群全体の目的を解明することに役立ちそうです。
パーカー・ピアソンは、ダーリントン・ウォール遺跡とストーンヘンジ遺跡との間には極めて密接な関係があったと考えています。ダーリントン・ウォール遺跡は生命を祝福するためのもので、死者を川に流して死後の世界に送り出す役割をもっていました。一方でストーンヘンジ遺跡は、死者を記憶にとどめたり、葬儀を行うために造られました。18世紀に発見されたストーンヘンジ遺跡にある道は、夏至の日の出の方向と一直線をなしており、ダーリントン・ウォール遺跡の道は夏至の日没の方向に向かっています。同様に、ダーリントン・ウォールの環状遺跡は冬至の日の出の方向を示しており、ストーンヘンジ遺跡の巨大な門の形をした5組の組石(トリリトン)は冬至の日没の方向を示しています。
ダーリントン・ウォール遺跡には、新石器時代にあらゆる地域の人々が集まり、大がかりな冬至の祭りが行われて、大量の食料を消費したと、パーカー・ピアソンは考えています。当時の英国のほかの地域で発見されたものとは比べものにならないほど大量の動物の骨や陶器が見つかっていることが、その証拠です。この場所で見つかったブタの歯を調べたところ、生後9カ月だったことから祭儀は冬至に行われたと思われます。
パーカー・ピアソンによれば、祭儀の後に人々は道を通ってエーボン川に向かい、死者をストーンヘンジ遺跡に向けて流しました。それから人々はストーンヘンジの道を通って巨石記念碑に向かい、数人の死者を選んで火葬にして埋葬したのです。ストーンヘンジ遺跡は、先祖を敬うこれらの人々にとって、死者の霊と交信する場所だったのです。
ダーリントン・ウォール遺跡の道は川の向こうにある崖に続いています。「彼らは人の灰や骨、そして死体そのものも水に投げ入れたのでしょう。これはほかの川でも見られる風習です」とパーカー・ピアソンは言います。
パーカー・ピアソンとトーマスは、ストーンヘンジは祖先をまつるための記念碑として石で造られましたが、ダーリントン・ウォール遺跡は木造だったと見ています。ダーリントン・ウォール遺跡は「住むための場所でした」とパーカー・ピアソンは言います。それに対して、石造のストーンヘンジ遺跡は、人が住むためではなく、その当時のブリテン島で最大の墓所だったのです。ストーンヘンジ遺跡では250件の火葬が行われたと考えられています。
ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクトは、マイク・パーカー・ピアソン(英シェフィールド大学)、ジュリアン・トーマス(英マンチェスター大学)、ジョシュア・ポラード(英ブリストル大学)、コリン・リチャーズ(英マンチェスター大学)クリス・ティレイ(英ロンドン・カレッジ)、ケイト・ウェルハム(英ボーンマス大学)の6人が中心となって行われました。 このプロジェクトは、ナショナル ジオグラフィック協会と芸術人類調査協議会が資金を援助し、英国遺産、ウェセックス考古学会の支援により行われています。
ストーンヘンジについて
ストーンヘンジ(stonehenge):英国ロンドンから西に約200キロのソールズベリー平野にある欧州で最大規模の巨石記念碑。円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなる。新石器時代の紀元前2500年ころに造られたと考えられている。この遺跡とその周辺は、1986年にユネスコの世界遺産に登録され、ストーンヘンジ自体は英国が国家遺産として保護している 。
ここに転載した写真以外にも興味深い写真が掲載されています。
以下にリンクします。
ダーリントン・ウォール遺跡で作業をする考古学者たちhttp://nng.nikkeibp.co.jp/nng/news/20070131/gallery/index.shtml
「ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクト」調査で発見された新石器時代の牛の骨
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/news/20070131/gallery/03.shtml
ストーンヘンジ巨石記念碑
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/news/20070131/gallery/04.shtml
「ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクト」調査を率いた、英シェフィールド大学の考古学者マイク・パーカー・ピアソン
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/news/20070131/gallery/05.shtml
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