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“総括”で隠されたもの/第5回フットボールカンファレンスより [スポーツナビ]
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投稿者 white 日時 2007 年 1 月 15 日 19:18:23: QYBiAyr6jr5Ac
 

□“総括”で隠されたもの/第5回フットボールカンファレンスより [スポーツナビ]

▽“総括”で隠されたもの(1/3)

 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/column/200701/at00011991.html

“総括”で隠されたもの(1/3)
第5回フットボールカンファレンスより
2007年01月10日
(文= 宇都宮徹壱 )  

■田嶋前技術委員長による最後の“総括”
 2年に一度、松の内での開催が定例となった日本サッカー協会(JFA)主催によるフットボールカンファレンス。第5回となる今回は1月5日から7日までの3日間、大阪を会場に豪華なゲストスピーカーを招いて盛大に開催された。関西圏での開催は今回が初めて。会場となった大阪国際交流センターには、全国から800人もの指導者や都道府県協会の関係者が集まり、気持ちのこもった講演に熱心に耳を傾けていた。
 さて、私自身は今回が3度目のカンファレンス取材であったが、今年はポスト・ワールドカップ(W杯)ということで、何かと期するところがあった。特に注目していたのが、2日目の田嶋幸三JFA専務理事による「日本代表報告」。昨年のW杯まで技術委員会のトップだった田嶋氏が、この大会の、そしてこの4年間の日本代表をどのように“総括”するのか、どうしても私は当人の生の声を聞いておきたかったのである。
 周知の通りJFAは昨年11月に、2006FIFAワールドカップドイツ オフィシャルライセンスDVD『JFAテクニカルレポート』なる、価格6300円(税込)のDVDを発表。これをもって、先のW杯における日本代表の総括としている。ゆえにカンファレンスでの「日本代表報告」もまた、このDVDとほとんど変わらない内容になる可能性は十分に考えられた。結局は無駄足に終わるのではないか、と。
 とはいえ、こうした公式の場でW杯での日本代表が“総括”されるのも、恐らくこれが最後だろう。であるならば、田嶋氏の“総括”では何が語られ、そして何が語られなかったのか、あらためて確認しておきたい。その上で、もし田嶋氏の肉声から何かしら本音めいたものが発せられたなら、それはそれでひとつの収穫ととらえることができよう。
 そんなわけで今回のカンファレンスでは、この田嶋氏による「日本代表報告」を中心にすえてレポートする。ただし、すでにDVDをご覧になっている方には、あまり目新しい内容ではないかもしれない。そこで本稿は、まず極力主観を交えずに“総括”のエッセンスをまとめ、その上で最後に私の「“総括”の総括」を記すという構成を採用することにした。DVDをご覧になっている方は、途中まで流し読みしていただいても結構。未見の方は、最後までお付き合いいただければ幸いである。


■「総括もなしに」と批判されて
 壇上に立った田嶋氏は冒頭、「総括もなしに」オシム体制がスタートしたことへの批判について「本当に不本意だった」と発言。その理由として田嶋氏は、コンフェデレーションズカップ(コンフェデ杯)が行われた2005年には「過去10年分のレポートをまとめた総括レポートを各都道府県協会や指導者に配布した」ことを挙げ、技術委員会としてはこれまでも指導者向けの講習会や育成の現場などで、情報や分析のシェアを行ってきたことを強調した。
 その上で、「JFA2005年宣言」の柱のひとつである「2015年に世界のトップ10入りを果たす」ために何が必要なのかを分析。まずはジーコジャパンの成果のひとつである2年前のコンフェデ杯の映像を見せながら、日本代表のポジティブな面、ネガティブな面について、それぞれ解説した。
 ポジティブな面は、以下の3点である。
(1)スキルを生かした攻撃
(2)前を向いての1対1
(3)動きの質と量
(1)は、特に中盤において中村俊輔や中田英寿を中心に、スキルを生かしてつなぐサッカーができたことを意味している。具体例として、コンフェデ杯でのギリシャ戦、そして大会直前でのドイツ戦の映像が流れた。
(2)に関しては「?」と思われる方も少なくないだろう。この「前を向いての」というのは「いい形でボールをもらったら」と同義のエクスキューズである。ここではコンフェデ杯の対ブラジル戦で加地亮が見せたドリブル突破の映像が具体例として提示され、「いい形でボールをもらったら、たとえ相手がブラジルでも勝てる」という田嶋氏の説明が加えられた。もっとも、中盤で厳しいプレッシャーにさらされた状態になると「まだまだ足りない部分がある」ことも認めている。
(3)に関しては、特にカウンター攻撃において、5〜6人の選手が攻撃参加できるようになったことを、その具体例として挙げている。これまでなら1人か2人だったのが、チャンスと見るや周囲の選手が連動して攻撃参加するようになったことについて、田嶋氏は「世界のレベルに近づいてきた」兆しであり「大きな進歩」であるとしている。
 その上で、これらのポジティブな面が見られるようになったのは、特にユース世代の育成指導のたまものであることを強調。前技術委員長として、会場に詰め掛けた全国の指導者への感謝の念を示すことを忘れなかった。
<続く>

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▽“総括”で隠されたもの(2/3)

 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/column/200701/at00011992.html

“総括”で隠されたもの(2/3)
第5回フットボールカンファレンスより
2007年01月10日
(文= 宇都宮徹壱 )  

■新味に欠けた「日本に足りなかったもの」
 次にネガティブな面、すなわち課題である。これについて田嶋氏は、やはりコンフェデ杯で明らかになった「日本に足りなかったもの」として、以下の4点を挙げている。
(1)フィニッシュの精度
(2)高さ
(3)球際の強さ
(4)コミュニケーション
 いずれも新味に欠けるものなので、簡潔に補足しておく。
 まず(1)について。これは単にフィニッシュが荒いというのではなく、「完全に相手DFを崩しても得点につなげられない」(田嶋氏)という厳しい現実が指摘された。もちろんJFAとしても、若年層のストライカー養成プロジェクトを立ち上げるなど、ただ手をこまねいていたわけではない。こうしたプロジェクトは今後も継続していくという。
(2)については、特にDF陣の高さが足りず、空中戦での弱さが露呈したことが指摘された。事例として挙げられたのは、コンフェデ杯でのメキシコ戦。3バックで臨んだ日本は、田中誠、茶野隆行、宮本恒靖と180センチ台の選手がひとりもいない状況で、フォンセカのヘディングによる逆転ゴールを許してしまう。結局のところ、防空の任を任せられるのは、中澤佑二のみ(コンフェデ杯はけがのため不参加)。この状況を危惧(きぐ)した技術委員会は、中澤に匹敵し得る高さと強さを誇る187センチの箕輪義信(川崎フロンターレ)をジーコに推挙したものの、結局はジーコの序列に阻まれて“自然消滅”してしまった。
 かくして「クロスを上げさせない」「センターバックは(マークする相手とボールの)同一視野を確保して、相手を自由にプレーさせない」という対処療法で本大会に臨むことになった日本代表。結果として、グループリーグ3試合は「高さではやられなかった」ものの、「いつやられても、おかしくない状況」(田嶋氏)が続いた。
(3)は文字通り、接戦での1対1で日本の選手はことごとく敗れていたことを意味する。これについて田嶋氏は「肩の入れ方、腰の入れ方、倒れない意識」の重要性を説いた上で、W杯本大会で通用していたのは中田英だけだったと指摘している。
 最後の(4)については、田嶋氏の言葉を借りるなら「試合中に(チームメートに)自分の意思を伝えられない」。そこで最初に登場した映像が、フランス代表である。レ・ブルー(フランス代表の愛称)の特別な存在であるジダンに、ギャラスが食って掛かるシーン。ひとつのプレーをめぐって、両者は激しく火花を散らしながら議論している。続いて登場したのはブラジル代表。ロナウジーニョが、カカが、カフーが、互いに指差し確認のようなコーチングを交えて美しいパスをつないでいる。自由奔放、それぞれ好き勝手にやっているように見えるセレソン(ブラジル代表)でさえ、実は要所要所で的確なコミュニケーションを取ることで、意図をもったプレーをつなげていたことが紹介される。
 翻って、日本の場合はどうだったか。アジア最終予選のころから中田英に意見できる選手が増えたものの、残念ながら、それが「ひとつのチーム」として機能するためのコミュニケーション能力へと昇華し得なかったのは周知の通りである。


■ドイツ戦で「ピークを迎えてしまった」
 以上が、ジーコ監督時代の4年間、とりわけコンフェデ杯で顕著となった日本代表の成果と課題である。これらを踏まえて、いよいよ本題であるW杯での“総括”へと話題は移るわけだが、そこで語られている内容もまた、残念ながら目新しいものはほとんど皆無であった。
 田嶋氏が何よりも強調していたのが「コンディション」の問題。とりわけ、W杯初戦の13日前にドイツ・レバークーゼンで行われたドイツ戦で、図らずもチームが「ピークを迎えてしまった」ことである。ジーコは本大会直前に、ドイツでテストマッチ2試合を行うことを希望。そのリクエストは「敗れても(心理的に)ダメージが少ない強い相手」「チームを盛り上げるための楽に勝てる相手」であったことから、JFAはドイツとマルタに白羽の矢を立てたとされる。ところがフタを空けてみると、ドイツ戦では予想外に善戦(スコアは2−2)。逆に5日後のマルタ戦では、アジア予選を想起させるような締まりのない内容に終始し(同1−0)、本番に向けて大いに不安を残すこととなった。
 大会前、技術委員会は日本の実力を「オーストラリアよりも劣っている」とし、グループFでは最下位と考えていたという。その理由は「150人もの選手が欧州でプレーしているオーストラリアに対し、日本は10人程度で、しかもレギュラーを獲得している選手はさらに少なかったから」(田嶋氏)というものであった。ところが、敗戦覚悟のドイツ戦で一時は2点もリードしたことで、国内での報道は過熱の一途をたどり、ついには一部で「優勝候補」にまで祭り上げられてしまうという誤算が生じてしまう。
「(そのため)初戦に臨む心理的コンディションに問題が生じてしまった」
「このムードを止めることができなくなった」
「(大会直前の)マッチメークにかかわったひとりとして責任を感じる」
 無念の思いを絞り出すように当時を振り返る田嶋氏。その上で「どんなにコンディションが悪くてもアジアでは何とか勝つことができたが、やはりW杯では通用しなかった」として、あらためて「アジアと世界との差を痛感した」ことを告白している。
 田嶋氏のW杯敗因の“総括”は、以上ここまで。その後は「日本のストロングポイントを生かした戦い方を追求することで、世界のトップ10入りを目指す」として2015年への指針を示し、およそ1時間にわたる報告を締めくくった。
<続く>

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▽“総括”で隠されたもの(3/3)

 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/column/200701/at00011993.html

“総括”で隠されたもの(3/3)
第5回フットボールカンファレンスより
2007年01月10日
(文= 宇都宮徹壱 )  

■なぜ里内氏を壇上に迎えなかったのか?
 以上、田嶋氏による 「日本代表報告」を急ぎ足で再現してみた。
 いかがであろうか。すでにテクニカルレポートのDVDをご覧になった方も、まだ未見の方も、ここまで読み進めてきて、田嶋氏の報告、あるいは“総括”というものに、どれだけ納得できただろうか。私自身、この4年における日本代表のポジティブな面、ネガティブな面については、それなりに首肯できる部分もあった。だが、その後のW杯における“総括”については、猛烈な物足りなさによる失望感を禁じ得なかった。
 とりわけ私がどうしても解せなかったのが「(ドイツ戦で)ピークを迎えてしまった」と、代表のコンディショニングの失敗が、さながら事故か天災のように語られていることである。この当事者意識不在の言葉には、クロアチア戦後に柳沢敦が語った「(最大の決定機を外して)急にボールが来たので」以上の脱力感を覚えてしまう。この4年の間に費やされた膨大な努力と英知と資金、さらにはサポーターや国民の思いに、いささかの想像力をめぐらせるなら、ただ漫然と「ピークを迎えてしまった」で済まされる話にはとても思えないのだが……。
 そもそも日本には、ピーキングや暑熱対策といった、国外で戦うためのフィジカルのノウハウが欠如していたのだろうか? そうではあるまい。日本代表はA代表からユースに至るまで、炎天下のドイツよりもさらに過酷な環境で過去に何度も試合を重ね、そして十分にファイトしてきたではないか。W杯初見参となったフランス大会にしても、確かに武運つたなく3戦全敗ではあったものの、それでも暑さで足が止まって戦意喪失することなどなかったと記憶する。この10年で歴代の代表選手や監督、スタッフが経験してきたことの蓄積は、昨年のドイツの晴れ舞台で存分に生かされるはずであった。それができなかった原因は何だったのか。責任の所在はどこにあったのか。私が――というより、われわれファンが最も知りたかったのは、まさにその一点に尽きるといってよいだろう。
 ちなみに今回のカンファレンスには、代表の元フィジカルコーチである里内猛氏の姿もあったという。なぜ里内氏を壇上に迎えて、フィジカル面での総括が行われなかったのか。これもまた不思議でならない。
 もちろん、里内氏ひとりに責があるとは言わない。それでも、本番に向けたフィジカル面でのプランニングを手掛け、しかも選手のコンディションの変化を最も間近で見てきたのは、間違いなくこの人である。ならば、想定外のタイミングで「ピークを迎えてしまった」ことについての検証なり分析なりを行い、その知見をカンファレンスの場で共有することこそが、同じ過ちを繰り返さないためにも必要だったのではないか。


■日本の課題はアジアの課題でもあった
 ここで少し話題を変える。
 この日は「アジアの戦い」と題し、AFC(アジアサッカー連盟)の郭家明(コッ・カミン)氏が、オーストラリアを含む今大会のアジア勢の分析を発表していた。郭氏は元香港代表監督のキャリアを持つ知日家で、昨年のW杯ではFIFA(国際サッカー連盟)のテクニカルスタディグループ(TSG)のメンバーとして、アジアとオセアニアの5チームのスカウティングをしている。当人いわく「すべての試合を実際に見たわけではない」そうだが、その客観的な視点と的確な指摘は、実に示唆に富むものであった。
 郭氏によれば、今大会での5チームの総シュート数は173で、そのうちゴールに結び付いたのは10パーセント以下の14ゴール。逆に合計30失点のうち、コーナーキックやFKによるものは3分の1の10点だったという。またアジア勢はおしなべて空中戦に弱く、サウジアラビアなどは7失点中6失点が空中戦によるものであった。こうしてみると、田嶋氏が日本の課題として挙げていた「フィニッシュの精度」にしても「高さ」にしても、いずれもアジア全体に共通する課題であることが理解できよう。
 その上で郭氏は、日本の問題点について「暑熱への対応ができていなかったこと」と「(相手に追いつこうとする)メンタル面の弱さ」を指摘。特に後者については「もっと強いと思っていた」と、失望の念をチラリとのぞかせていたのが印象的であった。
「暑熱への不対応」と「メンタル面の弱さ」――これらもまた、責任者不在のまま「仕方がなかった」で総括されるべき問題なのだろうか。私には、そうは思えない。かつて暑熱対策をサウナで済ませようとしたお粗末さ。スタメン組の疲弊とサブ組の無力感を引き起こした厳然たるヒエラルキー。それらは、前任監督のマネジメント能力と決して無縁ではなかったはずである。
 10秒以内のゴールのパーセンテージや、ゴールにいたるまでのパスの本数といったデータも、確かに重要だろう。しかし、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、ジーコ体制の4年間を精査することもまた“総括”に不可欠な要素ではなかったか。


■完全に“歴史”化された、あの夏の出来事
 ところが、である。先のテクニカルレポートにしても、今回のカンファレンスにしても、ジーコのさい配とマネジメントについて言及されることは、ほとんどなかった。唯一の例外は、技術副委員長である布啓一郎氏のこの発言であろうか。
「ジーコは、あえて日本のウイークポイントにチャレンジしたのではないか。(中略)マネジメントがよければ(W杯で)結果は出たかもしれないが、(日本の課題が明らかになったのは)このタイミングが一番だったと思う」(「JFA−TSGの分析」より)
 なるほど、あるいはジーコはチャレンジしたのかもしれない。だが、当人にとっても日本にとっても不幸だったのは、日本のウイークポイントを是正する術を彼が持ち得なかったことである。「フィニッシュの精度」についてはシュート練習を選手に課していたが、目を見張るような成果は挙げられなかった。そして「コミュニケーション」についてはキャプテンの宮本任せで静観を決め込み、「高さ」と「球際の強さ」については何ら打開策を見いだすことなく、そうした能力に長けた選手を招集することもなく、無為のまま最後の会見で「体格差」を敗因に挙げて“焦土”と化した日本から去っていった。
 念のため申し上げておくが、私は何も前任者の欠席裁判を求めているのではない。そうではなくて、なぜにジーコの4年間を精査・総括し、次の4年間につなげるための知見を共有しようとしないのか。それがまったくもって理解できないのである。
 ちなみに、4年前のカンファレンスでは「2002FIFA World Cup 日本の準備と戦いについて」と題し、トルシエの目指したサッカーについて、世界のトレンドを引き合いに出しながらの検証報告が行われている。このときの講演者も田嶋氏で、トルシエを中心に行われた3年8カ月のち密な計画と準備に一定の評価を示していた。
 ところが、同じ日本代表監督でありながら、ジーコの4年間そのものへの精査や総括はほとんど行われることなく、第5回フットボールカンファレンスは「Brand New Start!(新たなる前進)」という、実に心地よい響きのフレーズととともに閉幕したのである。
 今回のカンファレンスは、総じて内容の濃い、興味深い講演やディスカッションが目白押しだったと思う。それだけに、私は残念でならない。結局のところ、コンディショニングの失敗にしても、暑熱の問題やメンタル面の弱さにしても、「原因不明」「責任者不在」のまま日本の惨敗は“総括”され、最も肝心な部分は封印されてしまったからだ。
 かくして、あの夏の出来事は完全に“歴史”化された。そして日本サッカー界は、晴れて「新たなる前進」を始めたのである。
<了>


宇都宮徹壱/Tetsuichi Utsunomiya
1966年福岡県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、欧州を中心に「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旧共産圏のうらぶれたスタジアムと、現地で飲む酒をこよなく愛する。著書に『幻のサッカー王国』『サポーター新世紀』(いずれも勁草書房)、『ディナモ・フットボール』(みすず書房)。自身のWEBサイト(http://supporter2.jp/utsunomiya/)でコラム&写真を掲載中

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