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ベトナム戦役兵が、日本国内の米軍基地からベトナムに向かっていった頃の事だが、ジャクリーン夫人は『反戦姿勢を示したり、夫人の軍人に対する失言等で軍人から疎まれてもいたJFK』の評価を覆さんとして、ベトナム戦役兵の慰問様の行動を行っていた事がある。
夫人は、来日して米軍基地滞留のベトナム戦役兵の慰問を行い、加えて『戦死者の家族への生活保障の充実』にも従者の進言もあり積極的に着手してもいたのだが、戦没者の家族に『生活保障及び救済の充実』を強調的に謳い懇願登録者を集めている際に、『好ましからぬ人間性の戦死者の家族、つまり傭兵の家族』が登録をしていた事に気付くと、『汚らわしい傭兵の家族を、例え子供といえども、ケネディ家の名の付された団体で生活支援をしたり預かるのは、ケネディ家に悪いイメージが付くので断固拒否したい』として、政敵側の生活支援団体に登録させ面倒を見させる様に謀ることになる。(敢えて政敵側の団体に登録させように謀ったのは、『悪いイメージの傭兵の家族の面倒を見させる事により、何らかのイメージダウンが期待できる』と言うアイデアを夫人が閃いたからであり、それを思い立ったのは『政敵をイメージダウンさせる謀を幾つかを教わり実践していた』からであった。)
夫人のこの謀事は政敵側に知られる事になるのだが、それでも政敵側は生活支援を行う事を取り止めることはせず、一方の夫人は、傭兵の家族と言えども、子供は預かる事にして冷たくは思われないように、体裁を図らんとして孤児の要録者を《積極的に》募る行動に出る。
しかし、傭兵や米兵が『親身でなく票稼ぎだから、JFKの世話にはならないほうが良い』と言うスタンスを取り、ケネディ家側団体への登録が行われないように仕向けていたため、そういった邪魔が入らないようなシチュエーション下で『登録が未だの孤児に直接声をかけ、甘言を持って本人の登録意志を得る』と言う方法に夫人はでるのだが、相手は物事に無知な子供であるがために当然子供の承諾を得るにいたる。
この時に承諾を得た子供の中に、確かギリシャ系の人物の息子で、母親が存命であったが、『戦役参加傭兵名簿が流出した可能性があるので、母子共に戦没者の戸籍から離脱し、戸籍文書上から過去の縁故関係を示す情報を消去し、尚且つ母子が共に暮らさない形を採る事により素性追求により身が危険に晒される事を回避する』と言う人命安全保障策により孤児となっていたと言う、曰くが付いていた子供がいた。この曰くは、『戦没者である父親が、非常に残酷な行為を行ったとか、非常に恨みを買いやすい特殊任務に従事していたケース』に付けられるものだと囁かれるもので、この子供の登録が未然であったのは、父親の任務如何情報漏れ如何によっては、預かり先施設の他の人間の身にも危険が生じる可能性があると考えられていたために預かり先決定が先延ばしになっていたからだった。
現実には、『亭主が死んだからには、完全なフリーになって今後の人生を歩みたいが為に、子供を手放すに適した体裁理由を用意していた母親の意向があったがために、先の曰くを体裁的に謀的に母親が用いた為にその子供は孤児の立場になっている』との説明が語られていたが、それでも残る懸念から子供の行く先決定は遅れていた。そしてこの懸念を知ったジャクリーンは、『他の人たちに危険が及ぶだろうし、どの道傭兵の子供(軽蔑的偏見による表現)だから面倒を見るのはよしましょう』として、『登録文書が紛失した為に預かり出来なくなった』と言う理由を体裁確保できると踏んで嘯くに至っている。結局、子供は軍従事者の伝手でとある人物に預けられたのだが、この子供の面倒と安全確保を投げ出した夫人の姿勢が政敵からの非難を浴びる事態に至ると、夫人は『預かる準備が出来たので私に扶養権を譲って頂戴』として扶養先を訪れ、子供の素性が知られてしまうにもかかわらず、子供の面倒を見ているシーンをPRするTV放送を急ぎで行いたいとして扶養している人物が懸念を述べるも『この子の安全なんてどうだっていいでしょう』と言い強引に子供を連れ去ろうとしたのだった。
【Aに続く】
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