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●第1楽章 Adagio:こども嫌いの理想と現実
姑と嫁の会話。
「まさかあなた、孫をあたしに押しつけて、自分は仕事を続けようなんて考えていないでしょうね。冗談じゃないわよ、あたしは孫の世話をする気なんか、さらさらありませんからね」
「ああら、お義母様、ご心配なく。あたしだって、自分の楽しみや生活を犠牲にしてまでこどもが欲しいとは思いませんのよ」
「おや、あたしたち案外、気が合うかもね」
「そうみたいですわね、オホホホホホ」
こんな会話を耳にしようものなら、まったく、近頃は女どもが揃いも揃ってこんなだから、少子化が一向に止まらないのだ、日本人の母性愛よ、いまいずこ――と、保守派の中高年諸氏は憤ることでしょう。では、この会話が、江戸時代末期になされたものだとしたらどうですか。この会話は私の創作ですが、根拠のない話ではありません。太田素子さんの「少子化傾向――近世日本」の中で紹介されているものをはじめとした、江戸時代の資料を総合すると、当時の民衆のこういった考え方が浮かび上がってくるのです。
天保2年(1831)宮負定雄『民家要術』では、「愚婦の年老いたるは、唯欲ばかり深くなりて、孫の世話・厄介を厭い……」と、強欲でこども嫌いの姑がみられる現状を嘆いています。当時の日本では「間引き」といって、産まれたばかりの赤ん坊を殺してしまうことで一家のこどもの数を調整していました(堕胎も行われていましたが、母胎への影響を考えると、間引きのほうが安全確実だったのです)。間引きの実行者は母親本人もしくは、トリアゲババア、つまり産婆でしたが、間引くかどうかの決定権は、おもにその家の姑が握っていたとされています。
一方、慶応2年(1866)佐久間義隣『一夜雑談』では身勝手な嫁の側が批判されています。子育てのために物見遊山もできず、おいしいご飯も食べられないのはイヤだと、さほど困窮しているわけでもないのにこどもを産まない(あるいは間引く)女がいる、と記しているのです。ほら、どうです、歴史資料の行間から、冒頭に示したような姑と嫁の会話が聞こえてくるではありませんか。
現代の倫理感覚をあてはめてしまうと、間引きというのは、日々の食料にも事欠くほど貧しくて、こどもを養えないので涙ながらに仕方なくやるものだろう、とドラマチックに考えがちです。しかし、どうも実際には、ある程度の生活水準を維持するために、あえてこどもを増やさないという例も多かったようなのです。昔の日本人はこどもが嫌いでした。こどもより自分の生活の豊かさが大事だったのです。
もっと時代をさかのぼり、平安時代の倫理観を『今昔物語集』の逸話で見てみましょう。こどもを背負ってひとり山中を歩いていた若い女が賊に襲われます。女は「おなかをこわしているので用を足してくる、この子を人質に置いていくから必ず戻る」といって逃げ出します。運良く出会った武士に助けを求めて現場に戻ると、賊はダマされたことに気づいて、こどもを殺して逃げた後でした。すると武士は、こどもを捨ててまで貞操を守った女を、あっぱれだとほめるのです。なにしろ平安時代には、子が親を捨てると罰せられたのに、親が子を捨ててもおとがめなしだったのですから。
こどもを産まない現代女性も昔の日本女性も、こどもが嫌い、母性愛がないことにかけてはいい勝負ですが、いとも簡単にこどもを殺してしまう昔の人のほうが、ヒドイといえばヒドイでしょう。――なに? 現代女性は、べつにこどもが嫌いだから産まないのではなく、本当は欲しいのだけど社会的制約で産めないって? またぁ。いいんですよ、無理に体面を取り繕わなくても。たしかに日本では、「私、こどもが好きなんですぅ」というと合コンで男性にウケがいいとされますが、正直にこどもなんか嫌いだとおっしゃっても、私は責めませんよ。
現代の少子化に関して、「女性が理想とするこどもの数と、現実に産むこどもの数にギャップがある」という指摘をもとに社会システムの不備を原因とするのが、おおかたの社会学者の論調です。そもそも、この世の中で理想と現実が一致することのほうが、ごくまれだという人生の真理は、学者以外の一般人はほとんど気づいているのですが……ま、それをいってしまうとミもフタもないのでおいときましょう。
歴史人口学の研究者フランシーヌ・ヴァン・デ・ワラさんは、意外な盲点を指摘しています。「理想のこどもの数」という概念そのものが、避妊法が確立する前の時代には存在しなかったのだそうです。いわれてみればたしかにそうです。だから昔の人は、産まれすぎたら殺してしまうという方法で調整していたわけですし、逆に、こどもが死んだからもう一人産もう、なんて思っても、そう都合よくいくものでもありません。「理想とするこどもの数と現実に産むこどもの数が一致した」しあわせな時代なんてものは、人類の歴史上一度たりともなかったのです。
●第2楽章 Allegro:ようやくこどもを大事にするようになった日本人
念のため、現代の子殺しを犯罪統計で確認しておきましょう。日本の犯罪統計では、1歳未満の赤ん坊が殺された場合、嬰児殺として統計に載ります。『平成15年版犯罪白書』には、嬰児殺被害者数の推移がグラフで示されています。これによると、昭和54年には160件ほどあった嬰児殺は年々減少し、ここ数年はおよそ30件ほどで落ち着いています。このグラフには一緒に出生数も載っています。出生数の低下率に比べても、嬰児殺はかなり激しく低下していますので、ここ20年ばかしの間に、日本人はずいぶん赤ん坊を大切に扱うようになったことがわかります。
ついでですから、犯罪白書の資料で殺人被害者と殺人犯(正確には被疑者)の関係を確認しておきましょう。「日本人はいったい誰に殺されているのか」ベスト3(平成14年:殺人の総数は1231件)。
1位:知人・友人 26.4%
2位:配偶者 16.0%
3位:面識なし 15.7%
日本の殺人事件の検挙率が高いのは、ほとんどが顔見知りの犯行だからというのが大きな理由です。あなたの身近で殺人事件が起きた場合、被害者の知人・友人を指さして、「犯人はお前だ!」といえば、あてずっぽうでもかなりの確率で名探偵になれます。
また、このデータから判断するかぎりでは、殺されないためには、ひきこもるのが一番だという結果になりますが、安心はできません。親がこどもを殺したケースが9%、こどもが親を殺したのが10.4%あります。親殺しの件数がじわじわと増加した一方で、子殺しは急激な低下を見せ、ここ6、7年は伯仲したまま推移しています。嬰児殺しの減少が、全年齢の子殺し件数にも反映されているのです。
小西聖子さんは、1979〜91年にかけて筑波大学社会医学系精神保健グループが行った調査について報告しています。実子を殺した母親19例(嬰児だけでなく子殺し全般)の犯行時の家庭環境に関して見ると、19例中、核家族(夫婦とこどもだけ)が14、夫の父母と同居が5、妻の実家で暮らしていた例はゼロでした。どうやらタラちゃんは安全ですが、イクラちゃんの身には危険が迫っているようです。『サザエさん』を見ていてイクラちゃんが登場しないと、なにかあったのでは、とやきもきしてしまいます。
FBIの統計によると、アメリカでは現在でも嬰児殺しが年間200件以上起きています。2001年にはそのうち14人が銃で殺されているのですから、マイケル・ムーアならずとも銃規制を唱えたくもなろうというものですが、相変わらずアメリカでは「善良な市民には銃を持つ権利がある」の主張が優勢なので、銃を持ってない赤ん坊は善良でない市民とみなされ、撃ち殺されても文句はいえません。
日本では嬰児殺しは減少しているといいましたが、逆にいうと昔は多かったわけで、昭和30・40年代には現在のアメリカ並みに年間 200件ほど起きていました。ところが、佐々木保行さん他による『日本の子殺しの研究』によると、同時期の英・独・仏・伊では、すでに年間20件程度しか起こっていなかったと報告されています。西欧では早くからピルが使用されていたから、子どもが生まれてから殺す必要性が低かったのだろう、との読みもありますが、そうなると、同じくピルが使用できるはずのアメリカでの嬰児殺しが多い理由が説明できません。ともあれ、なにかとアメリカのマネをしたがる日本人ですが、嬰児殺しに関してはヨーロッパ並みになってなによりです。
●第3楽章 Largo:平気でこどもを殺した昔の人たち
しかしそのヨーロッパでも、昔はやはりこどもは邪険に扱われていました。フランスのフィリップ・アリエスは『〈子供〉の誕生』で書いています。こどもがかけがえのないものになったのは、たかだかここ200年くらいのことで、それ以前は、死んじゃったらまた産めばいいやという程度の存在でしかなかった、と。さきほども登場したヴァン・デ・ワラさんも、18世紀の工場労働者は、自分のこどもが何人死のうとまったく気にしていなかったといってます。
ニール・ポストマンさんによれば、アリストテレスの時代のギリシャでは、嬰児殺しには道徳的にも法的にも何ら規制がなかったそうです。イギリスでは18世紀まで、オトナがこどもを盗んだり売ったりすることに法的な罰則はなかったのに、反対にこどもが盗みをはたらくと絞首刑にされました。L・ドゥモースさんは、総じて西洋では19世紀までは私生児は殺すのが当たり前だったといいますし、それを「大きくなって罪人になれば地獄行きだが、無垢な赤子のうちに死ねば天国へ行ける」と、ヘリクツのはなれわざで正当化していました。
16世紀後半、信長・秀吉の時代に日本に滞在したポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、そうした西洋庶民の考え方を知ってか知らずか、著書の『日本史』で、日本の子殺しと捨て子の多さを、さも珍しいことであるかのように記しています。
日本では婦人の堕胎はきわめて頻繁で……何ぴともそれを不思議とは思わぬのが習わしである。ある婦人たちは、出産後、赤児の首に足をのせて窒息死せしめ、……堺の市は大きく人口が稠密なので、朝方、海岸や濠に沿って歩いていくと、幾たびとなくそこに捨てられているそうした子供たちを見受けることがある。
『日本史』中の別のエピソードでは、野良犬に食われそうになっていた捨て子を助けたある司祭が、日本の信者たちから、二度とそういうことはしないようにと忠告を受けています。もしこれが世間に知れたら、毎晩たくさんのこどもが司祭館の前に捨てられることになる。そうなると、キリスト教を敵視している仏僧たちに、バテレンは赤児を集めて食っているのだ、とあらぬウワサを立てられますよ、というのが理由です。
江戸時代になっても相変わらず子殺しは続きます。『徳川時代児童保護資料』では、これは江戸時代が発展を禁じられていた時代だったからと説明しています。社会体制の維持と社会の発展は相反するものであると考えた徳川幕府は、体制維持を選びました。ある程度まで農地の開拓が進むと、米の生産を担う農村の人口は、増えも減りもしないのが理想とされたのです。
江戸末期ともなると農民の間にも幕府の意向が根づきます。3人以上の子だくさんは身の程をわきまえぬ恥知らず、が常識となり、間引きが日常的に行われます。江戸末期の農学者佐藤信淵は、出羽と奥州(現在の東北地方)で毎年1万6、7千人、上総(現在の千葉県)では3、4万人の赤ん坊が間引きされている、と記録を残しています。間引きが多かったのは事実でしょうが、千葉だけで東北地方を上回りすぎじゃないかという気もしないでもないのですが。
調子に乗って間引きをやりすぎるのも危険です。なにしろ江戸時代の乳児死亡率は現代とは比べものにならないくらい高かったのです。11代将軍徳川家斉は55人のこどもを作ったハッスル将軍でしたが、家斉のこどもで15歳まで生きたのが21人、40歳まで生きたのはたった7人だったとのこと。衛生・栄養面でもっとも恵まれていた将軍家でさえ、その程度です。農村ともなれば、鬼頭宏さんの著書では、成人するまで生きているのは4、5人に1人だったとされています。ですから、間引きをしすぎると子孫全滅という落とし穴が待っています。美濃(現在の岐阜県)のある地方では、小作人の35%の家系が、跡継ぎがいないため途絶えていたのです。
明治時代になると国の方針は一転、国家発展のためには産めよ増やせよ、こどもは大事、嬰児殺しは殺人罪とされます。しかも突然全国に小学校を作り、こどもを通わせろと命令します。教育制度自体は悪いことではないのですが、小学校運営費用の9割は地元住民の負担であり、お上は民衆に、たばこや芝居などの楽しみをやめてその費用を捻出せよ、と勝手なことをほざきます。腹に据えかねた民衆は暴動を起こし、日本各地で小学校が焼き討ちにされました。いまは学校の窓ガラスを割るのは生徒ですが、明治初期に学校を壊していたのはオトナでした。
法律で禁じられたからといって、江戸の260年間でつちかわれた慣習がかき消えるわけではありません。地方では間引きはこっそりと続けられました。柳田国男は、すべての家に一男一女のこどもがいる村があったといいます。ちょっとしたホラーですね。人為的な産児調整が行われないかぎり絶対ありえないことです。
間引きや堕胎が禁じられると、今度は「貰い子殺し」の形態が主流になります。表向きは養育料を払ってこどもを引き取ってもらうのですが、『日本子どもの歴史6』を見ると、それは実際には「死体埋葬料」「殺害料」であり、引き取られたこどもは殺されていたとあります。大正・昭和初期になると、連日のように新聞に「こども売ります・買います」の広告が掲載されるようになりました。もちろん、こどもがいない夫婦が本当に養子を求めていた例もありますが、それと裏ビジネスとしての貰い子殺しとを、広告から区別する手だてはありません。
●第4楽章 Vivace:極道のサルたち
おそろしい。こんな歴史に比べたら、幽霊がテレビから出てくるホラー映画なんて、ギャグにしか思えません。本当にコワいのは人間です。そこいくと、動物はこどもを命がけで守るし、仲間同士殺し合うこともないといいますね。気分転換に、こどもたちを連れて動物園へ、ケータイを持たない本物のサルを見に行きましょう。親切な飼育係のおじさんが、こどもたちにおサルさんのことを教えてくれるようです。
「よいこのみんな、チンパンジーは、なにを食べるかわかるかなー?」
「バナナー!」
「ちがいまーす。チンパンジーは、サルを食べるのでーす」
「ちょっと。やめてくださいよ。こどもたち、ひいてるでしょ」
本当です。五百部裕さんの「アカコロブス対チンパンジー」によると、アフリカの野生のチンパンジーは、1年に平均10kgの肉を食べていますが、その5〜8割はアカコロブスという中型のサルなのです。以前NHKで放送されたイギリスBBCテレビの『ほ乳類大自然の物語』でも、チンパンジーがサルを狩って肉を食らう、ちょっとショッキングな光景が映し出されていました。
『霊長類生態学』にはこの他にも、興味深い論文がいくつも掲載されていて、サルはじつはかなりのワルだということがわかります。インドに生息するハヌマンラングールは、群れのリーダーのオスが交代すると、新リーダーは前リーダーが残した赤ん坊をすべて殺してしまいます。
ゴリラの社会では、メスが群れのオスに飽きると、別の群れに移籍するという行動が見られるのですが、メスの去就をめぐってオス同士の暗闘が繰り広げられます。その様子をVシネマ風に再現しましょう――
新興ながら急激に勢力を拡大している群れのボス、ゴリ川翔は、偶然出会った若くセクシーなメスゴリラに目をつけ接近する。しかしそのメスは敵対する群れのボス、ゴリ内力の妻だった。ゴリ内と妻の仲はすでに冷え切っていたが、メスは、乳飲み子を抱えているのでゴリ内のもとを去ることはできないと、ゴリ川の誘いを断る。するとゴリ川は、非情にもその赤ん坊を殺してしまう。夫との唯一の絆だった赤ん坊を失ったメスは、「いいわ。あなたと地獄に堕ちる」とゴリ川のもとへ向かう。すべてを知ったゴリ内は「ゴリ川、おのれ、外道じゃあ!」と絶叫し、かくしてゴリ内とゴリ川は全面抗争へとなだれこむ……
映像化の際は原案料をいただければさいわいです。ただし、一般人にはゴリラの個体の区別がつかないため、映画のラストで二頭が凄絶な死闘を繰り広げるシーンで「あれ、どっちがゴリ川?」とまぎらわしいのが難点です。
ワルなのはサルだけではありません。群れの新リーダーが前リーダーのこどもを皆殺しにする行動はライオンにも見られます。昆虫の世界では、タガメのオスは卵が孵化するまでつきっきりで守るのですが、それに感動して筆をとり、小さな虫でさえこどもを愛しているのだなぁ、などと友人にヘタクソな絵手紙を出すのは間違いです。オスは何から卵を守っているかというと、じつはタガメのメスなのです。タガメのメスは、他のメスが産みつけた卵を見つけると、すべてつぶしてしまいます。その上で、つぶした卵を守っていたオスと交尾して、自分の卵を産みつけるのです。ではこの究極の略奪愛をVシネマ風に……もういいですか。
エドワード・ウイルソンさんの計算では、野生の動物を現地で観察している研究者は、千時間に1回の割合で、動物が同種の仲間を殺害するのを目撃するはずだとのこと。また、(サルの知能と凶暴さを考えれば)もしマントヒヒに核兵器を持たせたら、1週間以内に世界は破滅だろう、ともいってます。うーん、なんだかんだいって、核兵器を持ったサルより、ケータイを持ったサルのほうが安全なようです。
●第5楽章 Al dente:敵か味方かフリーライダー
というわけで今回は、こどもが嫌いなのに、世間体を気にしてなかなかそれを口にできない人たちの魂の救済をテーマとしました。それというのもじつは、とてもこどもを嫌っている社会学者を発見したので、ちょっとかわいそうだなと思ったのがきっかけでした。
社会学には、フリーライダー理論というのがあります。名前だけ聞くと、個人営業の正義の味方みたいな印象を受けますが、この理論を唱える社会学者たちにとっては、フリーライダーは憎っくき敵役です。どういうことかといいますと、要は「ただ乗り」、社会の便益を利用しながら、それに見合った費用負担をしていない人を指します。近年の代表的な使用例はこうです。
「こどもを産み育てることで、その子が将来年金を納めて老人を社会的に養うことになる。つまり、こどもを産まない者は、子育ての費用を負担しないくせに、他人のこどもの保険料で老後の面倒を見てもらう、ずうずうしいフリーライダーである。我々の使命は、こどもを産まないフリーライダーを抹殺することだ!」
「イー!」(←戦闘員の声)
いかにも正論っぽいでしょう。もっともらしい正論ほど、眉にツバつけて聞かなければいけません。フリーライダー理論を、社会学的想像力の大きな成果といえよう、などと手放しで評価する社会学者がいるのですが、よく考えれば、これはむしろ社会学的想像力の限界を示す格好の例だとわかります。
たしかに子育てと年金という要素だけを都合よく取り出せばそうともいえますが、ひとりの人間は社会の中でさまざまな役割を果たすわけです。例えば、一生独身で自分の子を持たなかったある女性が、保育園の保母、そして園長として働いていたとしたらどうですか。何千人ものこどもたち、そして働く母親のために貢献したにもかかわらず、この人はフリーライダーだから老後に年金をもらう資格がないのでしょうか。こういうとフリーライダー理論信奉者は、そんなのは特殊な例だ、と耳をふさぎ、自分の想像力のなさを認めようとしません。
もうひとつおかしいのは、子育ては百パーセントお荷物、負担であり、そこから得るものはなにもないという前提に立っている点です。「こどもの成長を見るだけでうれしい。こどものいない人にはわかんないよ」という人は、精神的にこどもから多大な利益を受けています。また、現実には、立派に出世した息子や娘に全面的に世話にならなければ生きていけないダメ親もたくさんいます。将来こどもが長者番付に載るほどの人気ミュージシャンになって両親に豪邸をプレゼントするようなこともありうるのに、そういった子育てのボーナス面についても完全無視。
こういったことから導かれる結論。フリーライダー理論を信奉する社会学者は、自分のこどもをまったくかわいいと思っていないし、将来出世して自分に利益をもたらすことも決してない、と考えています。おそらくは、ご子息・ご令嬢が相当グレてらっしゃって、そのいらだちが、彼らをフリーライダー叩きへと駆り立てるのでしょう。かわいそうな学者たち。だからこそ、私は今回、こどもがかわいくないのはあなただけではありませんよ、昔の日本人もあなたと同様にこども嫌いでこどもを殺していたのですよ、と彼らに伝えたかったのです。今回の講義で、彼らの魂が癒されたことを願ってやみません。
今回のまとめ
* 昔の日本人も、生活水準を落とすことを嫌ってこどもを持とうとしませんでした。
* 理想とするこどもの数と現実に産むこどもの数が一致した時代は、人類の歴史上一度たりともありません。
* 現代は、史上もっとも子殺しが少ない時代です。
* 西洋人も昔はこどもの命など屁とも思ってなかったようです。
* 明治初期には、オトナが学校を焼き討ちにしていました。
* サルはけっこうワルです。
* フリーライダーは改造人間ではありません。
* 社会学者の魂に安らぎあれ。
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