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(回答先: 謎に包まれたミャンマー軍政のトップ タン・シュエ議長(AFP) 投稿者 熊野孤道 日時 2007 年 11 月 03 日 17:36:28)
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/070928/asi0709282210018-n1.htm
ミャンマー軍政、議長を頂点とする厳格な縦社会
2007.9.28 22:10
このニュースのトピックス:アジア・オセアニア
ミャンマーの軍事政権は、最高意思決定機関、国家平和発展評議会(SPDC)のタン・シュエ議長をピラミッドの頂点とする厳格な縦社会からなっている。議長の決定は絶対といわれ、過去、議長の不興を買い、汚職などの罪を問われて失脚していった軍政幹部も少なくない。
「ミャンマーでは法律は重要ではない。何でも議長の考え次第だ」。地元紙の記者がこう指摘する通り、「タン・シュエ議長の支配体制は盤石」(ヤンゴンの外交筋)とされる。同記者によると、最近2〜3年で、議長の逆鱗(げきりん)に触れ、汚職などの罪を問われて収監された軍人や政府職員は1000人を下らないといわれる。
タン・シュエ議長の絶大な権力を最も象徴する事件は、2004年10月、軍政内部で比較的、穏健派とされた当時のキン・ニュン首相(序列3位)の失脚劇だった。軍情報局のトップを兼任していたキン・ニュン氏は、不正蓄財や、軍幹部の秘密情報を握っていたことが議長やマウン・エイ副議長(序列2位)の怒りを買い、汚職罪などで懲役44年の刑を受けた。キン・ニュン派人脈は徹底的につぶされ、情報局そのものも消滅した。
キン・ニュン氏の失脚後、軍政指導部は民主化勢力への強硬派で固められている。序列3位のトゥラ・シュエ・マン陸海空軍調整長官は議長の右腕とされ、将来の後継者と目されている。同4位で入院治療中のソー・ウィン首相は2003年に民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの拘束を直接指揮したとされる。
ミャンマーでは、軍が中心となり、英国の植民地支配を脱し独立を勝ち取った歴史がある。しかし、その後、軍は政治に関与するようになり、ネ・ウィン将軍(のち大統領)は26年にわたって「ビルマ式社会主義」を掲げ独裁体制を敷いた。ネ・ウィン氏は1988年、国民の大規模な民主化デモで辞任するが、軍は国民のデモを武力で弾圧し、再び軍政を敷いた。国民の言論や政治活動を厳しく制限する軍の存在は、今では市民の怨嗟(えんさ)の対象でしかない。(岩田智雄)