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韓国戦争休戦協定 当事者は3者か4者か
2007-10-24
1951年7月、開城で開かれた休戦会談に出席した国連軍側代表団。左から2人目が白善Y少将(当時)
韓国言論のミスリード 追随の日本言論
今月4日に南北首脳が署名し、発表された「南北関係発展と平和繁栄のための宣言」に韓国戦争(1950〜53年)終結のための「3者または4者」の首脳会談推進が盛り込まれ注目された。これと関連して「休戦協定の署名者は米朝中の3者であり、韓国は同協定の当事者ではない」「『韓国排除の3者協議』はもともと北朝鮮が主張していたものだ」「北朝鮮はずっと米国との平和協定締結を主張してきた。韓国を当事者として認めたのは初めてだ」などとの報道・解説が、日本主要紙によってなされている。だが、本当だろうか。(編集委員・朴容正)
「国連軍の一員」で当事者
金前大統領も在任中に強調
韓国排除論の誤り
協定署名当事者は「米朝中」の3者だったのか。
韓国戦争は50年6月にソ連・中国との合意のもとに北韓軍の全面南侵により開始された。
米軍を中心とした国連軍(16カ国)に加えて中国軍まで参戦、3年余りにおよんだ戦争の休戦協定は、53年7月27日、板門店で国連軍側首席代表のハリソン米陸軍中将、中国・北韓軍側首席代表の南日・北韓軍総参謀長がそれぞれ終始無言のまま署名した。
この協定の正式名は「朝鮮における軍事休戦に関する一方国連軍司令部総司令官と他方朝鮮人民軍最高司令官及び中国志願軍司令との間の協定」。クラーク国連軍総司令官が汶山で、金日成北韓人民軍最高司令官が平壌で、彭徳懐・中国人民志願軍司令が開城でそれぞれ最終署名した。
このように休戦協定の署名者は、国連軍総司令官と、北韓軍最高司令官および中国人民志願軍総司令の3者である。
当然のことながら国連軍総司令官は、米軍だけを代表して署名したのではなく、「米軍=国連軍」であっても「国連軍=米軍」ではない。従って、署名者は「米朝中の3者」とするのは誤りである。
当時、韓国の李承晩大統領が「休戦は国土の分断(固定化)と同義語だ」とし「統一を阻む休戦」に強硬に反対し執拗に抵抗したことはよく知られている。だが、韓国軍はすでに国連軍司令部の指揮下にあった。
ソ連および中国の支援のもとに圧倒的に優勢な兵力を有し、十分な準備に基づく北韓軍の突然の全面南侵により総崩れ状態にあった韓国軍を建て直し、国土防衛にあたるため、李承晩大統領が50年7月14日、臨時首都大田で駐韓米国大使を通じて韓国軍の作戦指揮権を国連軍総司令官(マッカーサー元帥)に委譲していたからである(「大田協定」)。
このため休戦会談の開始に際して韓国軍代表は、国連軍代表団の一員として参加した。
国連軍側は、韓国軍を含む参戦17カ国が統一的司令部を構成、その指揮下にあったので、国連軍総司令官の署名をもって休戦協定の参加が完了した。韓国も米国などほかの参戦国と共に休戦協定の法的当事者となったのである。
休戦協定は、戦闘行為の停止とそれに伴う捕虜交換などの取り決めが目的であったから、交戦当事者の軍司令官が署名したのであり、また軍司令官の署名だけで十分であった。
協定署名者に韓国の名前がないことをもって「休戦協定当事者でない」とするのは明らかに間違いだ。
同協定に直接署名したか否かが問題だとするなら、一方の当事者は国連(国連軍総司令官)だけとなり、米国もまた当事者ではないことになる。
金大中前大統領は在任中の2000年10月31日の「コリア・タイムス」創刊50周年会見で「休戦協定締結当時、米国のクラーク将軍が署名したが、これは国連軍代表(総司令官)として行ったもので、韓国は国連軍の一員だったので当然協定当事者である」と指摘している。
金大中アジア太平洋平和財団著「金大中平和統一論」(朝日新聞社、2000年1月発行)でも「韓国は、すべての国連参戦国と共に国連軍総司令官によって代表されるという形で休戦協定締結の当事者になっていた」と指摘。韓国戦争当時、国連軍司令部の統一的指揮下にあった韓国は、米国など他の参戦国と共に法理的に休戦協定の署名当事者であることを強調していた。
休戦会談に国連軍代表団員として参加した白善Y「6・25」50周年記念事業委員長(元陸軍大将)も「(韓国は)休戦協定にサインしなかったのでなく、国連軍の一員として韓国は含まれていた」と指摘している(韓国日報00年7月25日「6・25停戦50周年」)。
金大中大統領は翌年、韓国戦争51周年に際しての演説で「韓半島での休戦状態を終息させるために南北間で平和協定が締結されなければならない」と呼びかけ、「平和協定はあくまでも南北当事者が主導しなければならぬ。南北双方をはじめ、主要参戦国である米国と中国が支持し実践に協力しなければならず、国連の賛成も必要である」と強調している。
対外秘の北・中連合司
なお、北韓側でも北韓軍の総崩れ・敗走に伴い中国人民志願軍が参戦(50年10月)してまもなく、スターリンの指示のもとに12月には中国軍と連合司令部を構成。北韓の崩壊危機を救った中国軍の彭徳懐司令が総司令官に就任し、作戦は彭総司令官が毛沢東の指示を受けて取り仕切っていくようになった。休戦交渉も毛沢東が管轄していた。
「金日成は名目的に朝鮮人民軍最高司令官のポストを維持したが、作戦の指揮、指導からは完全に排除されることになった」(和田春樹「朝鮮戦争全史」岩波書店)。「韓国の作戦指揮権は国連軍の司令官に一任され、金日成も、朝鮮人民軍最高司令官の肩書きは名目だけのものとなり、戦争の作戦指導から完全に排除されていった」(姜尚中「日朝関係の克服」集英社)
「休戦交渉は毛沢東が個人的に管轄していた。その毛沢東はスターリンに定期的に進行状況を報告し、クレムリンに最重要問題に関して忠告を仰いでいた。金日成は交渉においては補助的な役割を演じただけだった」(トルクノフ「朝鮮戦争の謎と真実」草思社)
だが、中朝連合司令部の存在は、対外的に秘密に付され、公開されることはなかった。そのため休戦協定には両軍司令官がそれぞれ署名することになったのである。
休戦協定署名者に韓国側の名前がみられないことをもって「韓国は休戦協定当事者でない」とするのは、明らかに間違いである。
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問題の日本主要紙論評
▼朝鮮休戦協定は北朝鮮と中国、国連軍(実質は米軍)が調印。韓国は署名を拒否したため北朝鮮は当事国を「米朝中」だとし、韓国排除を主張してきた。【朝日新聞】
▼2000年の南北首脳会談と盧政権による対北融和策を経て、北朝鮮は今回初めて韓国を平和協定の当事者と認めた。【読売新聞】
▼「平和体制構築」は北朝鮮の長年の主張で、平和協定締結相手は米国だ。「直接関係する3者または4者」という表現からは「南北朝鮮と米国、中国」の4者の中から「休戦協定の署名者ではない」という理由で韓国が排除される可能性も想定される。「韓国排除の3者協議」はもともと北朝鮮が主張していたものだ。【毎日新聞】
▼韓国は朝鮮戦争の休戦協定に署名していないため、北朝鮮は韓国が平和協定の交渉に加わることには乗り気ではない。宣言にある「三カ国か四カ国」という表現は南北の意見対立を残した可能性を示唆する。【東京新聞】
▼「休戦協定」の当事国ではない韓国が、休戦協定の当事国(米国=国連軍、中国、北朝鮮)による首脳会談開催を呼びかけるというのは、韓国の過去の政権では考えられなかったことである。休戦協定を平和協定に移行することと、米朝関係正常化を求める北朝鮮の主張に、盧武鉉政権が同調した結果だといえる。【産経新聞】
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無原則な北韓の主張
<平和協定>南北から対米に一変
「6・15共同宣言」後も継続
「北韓は韓国を休戦協定にかかわる問題での交渉相手と認めず、終始米国との平和協定締結を主張し、今回初めて韓国を当事者と認めた」というのも「事実」だろうか。
確かに北韓は「韓国は休戦協定の当事者ではない」かのように喧伝し、米国との間で休戦協定に替わる平和協定の締結を主張してきた。北韓が84年1月に行った南・北・米3者会談提案も「米国との平和協定締結と南北間での不可侵宣言」をめざすというものであった。また韓国側の南北間緊張緩和増進・平和制度化呼びかけで97年12月から99年8月まで開かれた南・北・米・中4者会談でも、北韓は韓国を休戦協定当事者と認めず、米国との平和協定締結・駐韓米軍撤退を主張して譲らなかった。
のみならず、「わが民族同士」を強調した00年の「6・15南北共同宣言」後も、北韓は、「(南北間ではなく)米国と休戦協定に替わる平和協定を結ばなければならない」との主張を繰り返している。
だが、北韓が対米平和協定を主張するようになったのは、韓国(朴正煕大統領)が「南北不可侵協定の締結」を提案(74年1月)した直後の74年3月からのことである。 北韓は、前年までは休戦協定に変わる平和協定を、米国とではなく韓国と、つまり南北間で締結することを主張していた。
たとえば、北韓は、62年以来駐韓米軍の撤収を前提に南北間平和協定を提案してきた。72年1月、金日成主席(当時首相)は日本の読売新聞記者との単独会見で「朝鮮での緊張を緩和するためには、なによりも朝鮮休戦協定を南北間の平和協定に替える必要がある」と強調している。金主席は「まず、現在の状況の下で南と北が平和協定を結び、その条文の中で、お互いを攻撃しないことを宣言する。次に、南からの米軍撤退、最後に双方の軍縮−−という段階をとる」と表明した。
南北の自主・平和・民族大同団結の統一3原則を盛り込んだ「7・4南北共同声明」発表の翌年、73年4月の最高人民会議では「南北平和協定5項目提案」を行い、同年6月の「祖国統一5大綱領」(金日成主席発表)でも南北間の平和協定締結を提唱していた。
73年11月に平壌で日本新聞協会代表団と会見した鄭準基副首相(当時)も「南北の平和協定は今でも結ぼうといっている。米軍が撤退した後とか前とかいっていない」と強調していた(毎日新聞73年11月7日)。それが74年になって方針を180度変えたのである。
こうしたことからしても、対米平和協定主張は、休戦協定の当事者である韓国排除を目的としており、非現実的で法理的にも妥当性を欠く、きわめて政略的なものであることが分かる。
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検証抜きの報道
韓国側の責任大きい 当局もきちんと対応せず
それにもかかわらず、別掲のような報道・解説が、日本の主要紙によってなされているのには、韓国側の責任が少なくない。
韓国のマスコミが、未だに「休戦協定に署名したのは米国と北韓と中国だ」「韓国は休戦協定の当事者でない」「北韓が韓国を当事者と認定したのは今回が初めて」などと伝え、学者もまた同様な主張を繰り返しているからだ。そのような誤った言説に対して、きちんと対応してこなかった当局の責任も大きいといえよう。
5日付の読売新聞にも「今回の南北首脳会談で最も注目すべきは朝鮮戦争の終戦宣言と関連し、北が初めて韓国を当事者として認めたことだ。北はこれまで韓国を終戦宣言の当事者と認めたことはなく、この問題は米国と論議すべきことだと常に主張してきた」との白承周・韓国国防研究院国防懸案チーム長のコメントが掲載されている。
韓国のマスコミには、これ以上国民をミスリードすることがないよう、先入観を排し、また北側の政略的主張に踊らされることなく、冷静に南北対話・交渉の足跡を振り返り、双方の主張の検証などを通じて、韓半島の緊張緩和と平和の制度化に関する建設的な提言を行うよう望みたい。
(2007.10.24 民団新聞)
http://mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=2680&corner=2