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http://www.burmainfo.org/essay/nilar_jimmy.html
より引用
2007年9月
T.M
(付記)2007年8月の燃料価格急騰への抗議運動で、ビルマ国内に留まっていた1988年の民主化運動活動家は再び立ち上がりました。当時は血気盛んな10代から20代の若者たちも30代後半から40代となり、投獄や弾圧の経験を経て、家庭を築く人も増えています。そうした「88年世代」に属するチョウ・ミン・ユウ(ジミー)氏とニラー・テイン氏のカップルも、今回の運動に身を投じました。しかしチョウミンユ氏は即座に逮捕・拘束され、難を逃れたニラー・テイン氏は、生後4カ月の長女を親元に預けて、軍政の追及の手を逃れる潜伏生活に入りました。二人をよく知る方からBurmaInfoに寄稿をいただきました。
8月22日未明、ビルマで元学生運動指導者たちが一斉に逮捕された。
ニュースなどによると、その1週間前に、政府が燃料費を大幅に値上げしたことに対し、彼らが抗議のデモ行進を行ったことが理由らしい。しかし、そのデモ行進は扇動的なものではなく、プラカードも持たず、シュプレヒコールも挙げずに、ただ無言で歩くというものだった。政府当局はこれを問題視し、取り締まったのだという。
日本にいる私が、逮捕者の中に、知人であるジミーが含まれていると知ったのは、22日早朝だった。
「本当に逮捕されたの?」
あまりにも突然の出来事だったので、にわかには信じることができなかった。そして妻ニラーのことも気になった。
2人の間には、4月に誕生したばかりの娘がいたからだ。「ジミーが逮捕されたのだとしたら2人はどうなってしまうのだろう」。すぐ、彼女に連絡をしてみたが、電話は呼び出し音すら鳴らない。その夜は、ほとんど一睡もできなかった。
数日後、ニラーは逮捕されなかったものの、彼女自身も当局から追われ、身を隠すために、娘をジミーの母親に託して家を出たと、人づてに聞いた。まだ親子となって4か月。これから3人で幸せな生活を存分に味わおうという矢先に、離れ離れになってしまったのである。
「どうしてこんなことに…」
ジミーとニラーの気持ちや、両親がいなくなったことすら理解できない赤ん坊のことを考えると、いたたまれなくなった。
ジミーことチョー・ミン・ユウ(Kyaw Min Yu)と、ニラー・テイン(Nilar Thein)。2人は、1988年にビルマ全土で起こった民主化運動で積極的に活動した学生グループのメンバーである。ジミーは1989年、ニラーも、96年に逮捕され、長年にわたり、刑務所に投獄されていた。そして、釈放後も2人は、祖国の民主化をめざし活動を続けていた。ジミーは38歳、ニラーは35歳だ。
私がそんな彼らと出会ったのは、2年近く前だった。先に会ったのは、ジミーだった。Tシャツにジーンズといういでたちで現れた彼は、「ごく普通の、快活な青年」だった。彼を紹介してくれた知人から、「約15年間刑務所にいて、しばらく前に釈放されたんだ」と聞いて、言葉も出なくなるほど驚いた。にこやかに話す彼の表情からは、そんな過酷な経験をしてきたことなど、とうてい読み取れなかった。
「刑務所ってどんなところなの?15年間もいると、つらいことが多かったでしょ?」 私のぶしつけな質問に対しても、ジミーは「そんなことは思わなかったよ。英語の勉強をしていたんだ」とさらりと答えた。私は、そんな彼に、前向きで強い意志を感じ、一人の人間としてひきつけられた。
ニラーに会ったのは、それから数ヶ月後だった。レストランで食事をしている最中、ジミーが「婚約者がいるんだ」と打ち明けてくれたのだ。
「会ってみたいな」
私がそう言うと、ジミーは、仕事中だったニラーを呼び出してくれた。「美人でしっかりもの」。そんな言葉がぴったりの女性だった。同時に、人を優しく包み込んでほっとさせてくれるような温かさも持っていた。
「あなたの話は、ジミーから聞いていたわ。私も会いたかった」。ニラーは、そう言って、ジミーが翻訳したという英語の単行本を、私にくれた。その本には、彼女手作りのブックカバーがかけられていた。
「お似合いのカップルだな」。2人が並んでいる姿を見ているだけで、仲の良さが、こちらに伝わってきた。
「正式には、まだ、決まっていないけど、近く結婚するつもりなんだ」。そういうジミーに「結婚式には出席したいな」と私が言うと、はにかみながらにっこり微笑んだ2人。その笑顔がとても印象的だった。
数ヵ月後、2人は結婚。まもなく、新しい命が宿った。
その知らせを聞いた後、私が再び彼らに会ったのは、今年の初めだった。結婚後1年も過ぎてはいなかったが、親になるという自覚からか、ジミーには、大人の男性としての落ち着きが加わり、ニラーも「家庭を守っている」という自信が、その立ち居振る舞いに現れていた。彼女が時折、膨らんだおなかにやさしく手をあてる表情は、母親そのものだった。
「予定日まで、あと3か月だよね。男の子と女の子のどっちがいい?もし双子なら、私が一人育てようか?」
そんな軽口をたたきながら、私はデジタルカメラをプレゼントした。子供の成長や、それを見守る彼らの様子を記録していってほしいという思いからだった。
そして今年4月、女の子が誕生した。「ピュー・ネイ・ジー・ミン・ユウ(Phyu Nay Gyi Min Yu)」。「純粋で、太陽のように明るく照らす」とでも訳せばいいのだろうか。子供の幸せを願う、2人の思いがあふれるほど込められている名前だった。
私は、彼らが赤ん坊を抱いている姿を見るのが、とても待ち遠しかった。
「ニラーが子育てに慣れたら会いに行こう」
「ジミーも少しはニラーを手伝っているのかな。いや、女の子だからジミーの方が片時も離れたくないという感じかもしれない」
などと考えながら、子供服を数着買ってその日を待っていた。「年内には会える」。そう信じて疑わなかった。
ジミーたちが逮捕されてから1か月となる。彼らが今、どのような状況に置かれているのか、政府当局は明らかにしていない。「ジミーが拷問によって亡くなった」「実は、病院に収容されている」など、さまざまな噂は聞こえてくるものの、その真偽はわからないままで、家族や友人たちは不安な日々を過ごしている。ニラーも、依然として行方を追われていて、どこにいるのかわからない。時折、メディアのインタビューなどで発言しているために、無事であることが確認できるだけだ。
ここに2枚の写真がある。1枚は、ジミーたち親子3人が並んでいるもので、もう1枚は、無邪気に笑っている、ジミーとニラーの娘の写真だ。おそらく撮影したときには、家族でいる喜びをかみしめていたに違いない。それがつかの間のものになってしまうとは、本人たちだけでなく、周囲の誰もが想像していなかったはずだ。
愛する家族と引き裂かれてしまったジミーとニラー。2人は今、どれほどつらい思いで過ごしているのだろうか。そして、突然両親を失った赤ん坊は、母親や父親の温かい腕の中で眠りたいと、泣いているのだろうか。一日でも早く、3人に、この写真を撮影したころと同じ、幸せな生活が戻ってきてほしい。【了】