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議論提案の要約:犠牲となった日本人記者の実名を掲載することの可否
ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダに集う僧侶2007年ミャンマー反政府デモ(にせんななねんミャンマーはんせいふでも)は、ミャンマー(ビルマ)で起きている大規模な抗議デモである。
目次 [非表示]
1 概要
2 経過
2.1 最初のデモ
3 日本人カメラマン射殺事件
4 各国の反応
5 参照
6 関連項目
7 外部リンク
7.1 メディア
[編集] 概要
反政府の抗議の波は、2007年8月15日にミャンマーで始まり、それ以来進行中である。抗議の主な原因は 過去2年間で9倍以上に跳ね上がっていたガソリンなどの燃料価格を突然500%も引き上げた事であった。[1]学生と反政府活動家らによる活動は、何十人もの逮捕者、拘留者を出し、抗議のデモンストレーションは軍事政権によって、早急かつ厳しく対処された。しかし9月18日から、抗議は何千もの仏教の僧侶によって行われた。対する軍事政権側は軍特殊部隊を使って寺院を急襲、抗議勢力の僧侶を逮捕・拘束した他、市民デモ隊への発砲などの強行手段を行使した。[1][2]若干のニュース報道は、サフラン革命 (Saffron Revolution)[3][4]としてこれらの抗議に言及している。
[編集] 経過
[編集] 最初のデモ
2007年9月5日、ミャンマー当局はパコックでの僧侶300人によるデモを強制的に解散させ、3人の僧侶を負傷させた。翌6日、数百人の僧侶によって僧院を訪れた民兵20人が拘束された。[5]彼らは最終期限の9月17日までに謝罪を要求したが、軍隊は謝罪することを拒否した。その後、抗議はヤンゴン、シットウェ、パコックとマンダレーを含むミャンマー中に広がり始めた。[6]
9月22日、デモがミャンマーの5つの官区に広がり、およそ2000人の僧侶がヤンゴンを行進し、1万人がマンダレーを行進した。[7]アウン・サン・スー・チーは未だ自宅監禁中にもかかわらず、仏教僧の賛同を受け入れるために彼女の住居の入口で短い公の場に姿を見せることにした。[8]
9月23日、150人の尼はヤンゴンで抗議に加わった。その日、約15,000人の僧侶と一般市民は、ビルマ軍事政権に対する抗議がエスカレートした6日目に、ヤンゴンの通りを行進した。[9]ビルマ暫定軍事政権が退けられるまで、ミャンマーの全仏僧の連盟は抗議を続けると誓った。[10]
抗議する僧侶
シュエダゴン・パゴダでの抵抗9月24日、ヤンゴンでのデモ30,000人から100,000人の間まで膨れ上がった。BBCは、2人の有名な俳優、コメディアンの Zargana と映画俳優の Kyaw Thu が僧侶に食物と水を提供するために早くからヤンゴンのシュエダゴン・パゴダへ行ったと報じた。[11]デモ行進後、およそ1,000人の僧侶はアウン・サン・スー・チーを迎えるために家に向かったが、警察によって立ち入りを拒否された。その後、軍事政権の宗教大臣、Thura Myint Maung 准将は抗議を導いている僧侶に「規約」を越えないよう警告した。[12]
9月25日、軍事政権は、シュエダゴン・パゴダに軍のトラックを置き、デモ参加者を威圧した。拡声器が取り付けられた車両でヤンゴン中心部に、軍事行動の予告がされた。「行進に続かないこと、応援しないこと、参加しないこと。この命令に違反する人々に対して措置はとられる」と放送された。[13]ロイターは、民主主義リーダーアウンサンスーチーが僧侶をのために彼女の家の前に現れた翌日に拘留され、日曜日にインセイン刑務所に移動されたと報じた。[14]
9月26日付けで、ミャンマーの軍事政権は国の2大都市、ヤンゴンとマンダレーに夕暮れから夜明けまでの夜間外出禁止命令を出した。更に5人以上の集会が禁止された。武装した兵士と機動隊を乗せたトラック数台が、ヤンゴンへもたらされた。[15]
9月26日、デモに協力した著名人らが軒並み逮捕された。軍隊はシュエダゴン・パゴダをバリケード封鎖して、警棒と催涙ガスで700人の一団の抗議者を排除した。軍隊はそれから塔のまわりを地域を立ち入り禁止にした。ヤンゴンを進んでいる5,000人の僧侶は、催涙ガスを見越して多少のマスクを着用しており、行進を止めることができなかった。少なくとも3人の僧と1人の女性がヤンゴンで治安部隊のよって発砲によって死亡した。[16]
9月27日、軍事政権治安部隊は抗議を鎮めるため、国中の僧院を急襲した。そして、少なくともヤンゴンで200人と北東部で500の僧侶を逮捕した。軍隊はデモを解散させるため、10分の猶予をあたえた。ミャンマーのラジオ局 Democratic Voice of Burma は、日本のカメラマンを含む9人の一般人が軍隊によって銃撃され、殺されたと報じた。[17](#日本人カメラマン射殺事件)
夜、ビルマの国営テレビは、9人がヤンゴンで民主主義活動家に対する強制的取締りで死亡し、31人の兵士が負傷したと報じた。[18]
ミャンマーは国際圧力に屈し、国連の特使イブラヒム・ガンバリ国連事務総長特別顧問の入国を許可した。安全保障理事会がニューヨークで開かれたあと、彼はミャンマーに向けて出発した。[19][20]
9月28日、人々は軍からの報復を怖れ、ヤンゴンは異常にがら空きだった。フィリピンのグロリア・アロヨ大統領は、「民主主義の方向へ踏み出す」ようミャンマーを勧めた。米国の使節は、中国にミャンマーにおける影響力を行使するように依頼した。
ミャンマー政府は、公共インターネットの接続を遮断した。[21]
[編集] 日本人カメラマン射殺事件
2007年9月27日、ヤンゴンで日本人APF通信社契約カメラマン記者(50)が抗議デモの鎮圧を撮影中、ミャンマー軍兵士に至近距離から銃撃された。同日、同記者1名の死亡が日本大使館員によって確認された。射殺される瞬間を捉えた映像では、至近距離にいた兵士に真正面からライフルで射殺されており、事後調査では弾は心臓を貫通しており、弾道は下から上へ向かっている事から意図的に射殺されたものと見ているが、[22]ミャンマー政府はデモ隊に対する上空への威嚇射撃の流れ弾によるものだと主張している。[要出典]
[編集] 各国の反応
詳細はen:International reaction to the 2007 Burmese anti-government protestsを参照
中華人民共和国 - 中国の最初の公式なコメントは、張志軍中央対外連絡部副部長による「政府には双方との最小限の接触があり、その同盟国について内政不干渉という長期的な政策は変わらない。」と述べたものである。[23]にもかかわらず中国政府はミャンマーの軍指導者に対し争いを鎮めるよう要請した。[24]
日本 - 日本は、ミャンマー政府と民衆が平和のための対話をすることができることを望むと述べた。外務省は「日本はミャンマー政府が国民再融和と民主化のための対話を含む真実の努力をすることを強く望む。そして、ミャンマーの人々の民意は抗議によって表されている」と表明した。[25]また、日本人1人が銃撃され死亡したのを受け、日本政府はミャンマー軍事政権に対し抗議する方針である。
アメリカ合衆国 - ジョージ・W・ブッシュ大統領は9月25日、「体制の指導者とその財政的支援者」に対する新しい経済制裁を発動したと発表した。そして、言論、集会と信仰の基本的な自由の否定による「19年の恐怖の支配」を課しているとしてミャンマー軍事独裁政権を非難し、ミャンマー軍事政権に対して断固たる政策を採るよう各国に要請した。[26]
[編集] 参照
^ a b Monks pressure Myanmar junta.
^ UN envoy warns of Myanmar crisis
^ Military junta threatens monks in Burma
^ 100,000 Protestors Flood Streets of Rangoon in "Saffron Revolution"
^ ミャンマーで仏僧数百人が、民兵20人を人質に 国際ニュース AFPBB News
^ Monks lead largest Burma protest BBC, September 24, 2007.
^ 20,000 march in Myanmar protest.
^ AFP:Democracy icon Aung San Suu Kyi greets Myanmar monks
^ Monks' protest swells The Bangkok Post, September 23, 2007.
^ Nuns in Burma anti-junta rallies
^ ミャンマー反軍事政権デモ、ついに10万人に拡大 国際ニュース AFPBB News。
^ Burmese military threatens monks
^ Myanmar junta threatens military force Reuters, September 25, 2007.
^ Myanmar junta sets curfew Reuters, September 25, 2007.
^ Myanmar imposes curfews after mass protests AFP, September 25, 2007.
^ Over 100,000 people in Rangoon and parts of Burma protest Mizzima News, September 26, 2007.
^ "Video shows Japanese journalist 'being shot deliberately'", timesonline.co.uk, 2007-09-28. Retrieved on 2007-09-28.
^ At least nine dead, 10 injured Mizzima News, September 27, 2007.
^ Bush hits out at 'brutal' BurmaBBC News, September 27, 2007.
^ UN confirms its envoy to be allowed in Myanmar Inquirer.net, September 27, 2007.
^ ミャンマー軍政、インターネットへのアクセスを遮断したもよう - Reuters
^ asahi.com:カメラマンが撮影中、兵士が気づき発砲か ミャンマー - ミャンマー情勢
^ Faced with Myanmar protests, China reaffirms nonintervention Inquierer.net, September 25, 2007.
^ China quietly prods Myanmar leaders to calm tensions CNN, September 26, 2007.
^ Japan calls for restraint and dialogue in Burma Mizzima News, September 25, 2007.
^ Bush Urges U.N. to Spread Freedom AP (via The New York Times), September 25, 2007.
[編集] 関連項目
1988 Uprising (英語)
タン・シュエ
アウン・サン・スー・チー
[編集] 外部リンク
ウィキメディア・コモンズに2007年ミャンマー反政府デモに関連するマルチメディアがあります。asahi.com:朝日新聞 ミャンマー情勢 - ニュース特集
[編集] メディア
Demonstration (video) Mizzima News
Protests, September 26 (video) Mizzima News
Monks demonstrating on September 24 (video) YouTubeより。
この「2007年ミャンマー反政府デモ」は、政治分野に属する書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(ポータル 政治学/ウィキプロジェクト 政治)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/2007%E5%B9%B4%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E5%8F%8D%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%83%87%E3%83%A2" より作成
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最終更新 2007年9月29日 (土) 02:29。 All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. (詳細は 著作権 を参照)
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