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□「屈辱の石碑」の移転を願う周辺住民 [朝鮮日報]
▽「屈辱の石碑」の移転を願う周辺住民(上)
http://www.chosunonline.com/article/20070722000009
記事入力 : 2007/07/22 11:01:33
「屈辱の石碑」の移転を願う周辺住民(上)
ソウル松坡区石村洞にある三田渡碑(史蹟101号、1639年建立)。幅1.4メートル、高さ5.7メートルの大理石(32トン)で作られたこの巨大な石碑は、丙子胡乱で敗れた朝鮮が、清の太宗の要求に従い太宗の功徳を記した「屈辱の石碑」として有名だ。また、碑面に漢字・満州文字・モンゴル文字の3つの文字が一緒に刻まれている珍しい遺物でもある。三田渡は、南漢山城で47日間抵抗を続けた仁祖が屈辱的な江華協定を結んだ恥辱の場所として、金薫(キム・フン)のベストセラー『南漢山城』にも重要な作品の舞台として登場する。だが、「朝鮮の屈辱の象徴」である三田渡碑は、今や付近の住民らに「厄介者」扱いされ、石碑の移転も本格的に推進されている。
◆「元々違う場所にあったのに…」住民らの不満
今月16日、記者は三田渡碑を訪れた。石碑の周囲は公園のように整備されていたが、石碑を訪れる人はほとんどなく、わびしい雰囲気が漂っていた。石碑の周辺には雑草が生い茂り、タバコの吸い殻とビールの空き缶が散らばっていた。さらに、昨晩ホームレスが段ボールを布団代わりに寝ていた痕跡も残っていた。
こうした情景に相応するかのように、住民らの石碑を眺める視線も温かいものではなかった。パク・クムジャさん(58)は「いくら文化財とはいえ、町内の発展を妨害するのは困る」と話した。幼稚園の子供を持つある親は「毎晩のように不良少年たちが酒を飲み、タバコを吸うなど、非行の場として悪用されている」と眉をひそめた。また、付近の不動産会社代表は「地下鉄8号線の石村駅が目と鼻の先にあるという優れた立地条件にもかかわらず、三田渡碑のせいで商圏が死んでしまっている。“石碑を移転すれば、不動産が相応な価格に上がるはず”と不満をこぼす声が多い」と語った。
こうした住民らの移転要求が高まっている背景には、石碑がそもそも元の位置とは違う場所にあることも1つの理由として挙げられる。三田渡碑は1963年の大洪水で流され、石村湖周辺で発見された。その後、石村洞百済古墳群付近に移転され、83年にそこから東側に300メートル離れた現在の位置に移された。こうした事情のため、「周囲100メートルの新築建物の高さ制限」などの規制を受けている付近の住民らは、「(元々の位置とは違う場所にある石碑のせいで)不当に財産権を侵害されている」と不満をこぼしている。
チョン・ジソプ記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
▽「屈辱の石碑」の移転を願う周辺住民(下)
http://www.chosunonline.com/article/20070722000010
記事入力 : 2007/07/22 11:02:46
「屈辱の石碑」の移転を願う周辺住民(下)
◆「元の位置が明らかになれば移転可能」
こうした中、今年2月には誰かが石碑に赤いスプレーで「撤去」と落書きをする事件が発生した。松坡区は「現在のまま放置し続ければ、いつまた同様の事件が発生するか分からない」と移転を推進している。区は2003年にソウル市と文化財庁に石碑の移転を公式に要請し、04年には区議会も移転決議文を発表、区議会議長らが直接文化財庁を訪問するなど、粘り強く移転に向けた努力を続けている。
だが、当面のカギを握る文化財庁は「元の建立位置についての正確な究明と交渉が必要だ。それが行なわれるまでは現在の場所にそのまま置くべき」との立場を取っている。ところが、文化財庁は最近、「元の位置を考証するための学術調査と研究用役を実施する場合、この結果に基づき元の位置に移転する案や、歴史教育の場(博物館など)に移転・保存する案を検討する」と表明した。
松坡区はこうした文化財庁の意向を受け、先月ソウル市立大ソウル学研究所に元々石碑があった正確な位置を究明し、多様な移転案を検討する研究用役を発注した。研究結果は今年11月に出される予定で、松坡区は「文化財庁も認める学術機関による公式研究用役だけに、研究結果により今回こそは三田渡碑の移転が実現するものと期待している」と述べた。
チョン・ジソプ記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS