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http://www.chosunonline.com/article/20050425000074
2002年6月、西海(ソヘ)交戦当時、夫韓相國(ハン・サングク) 中士(下士官で旧日本軍の軍曹にあたる)を亡くした金鍾善(チョン・ジョンソン)さんが24日、故国に背を向け、米国行きの飛行機で旅立った。キムさんはタラップを上る前、「国を守ろうとして戦死し、負傷した軍人に対する無関心と冷遇が今後も続くとすれば、果たして誰が戦場で命をかけるでしょうか」という一言を残した。
西海交戦は韓日ワールドカップの閉幕を翌日にひかえた2002年6月29日、西海・延坪(ヨンピョン)島近海で北方限界線(NLL)を越境してきた北朝鮮警備艇の奇襲攻撃により、海軍6人が死亡し、18人が負傷した事件だ。
この事件の遺族らはこの3年間、思い切り号泣することさえ難しい雰囲気の中で生きてきた。これまで、太陽政策に悪影響を及ぼすのではと気が気でなかった政府関係者から「静かにしていて欲しい」という注意を受けたことすらあった。
2003年の1周年、2004年の2周年の追慕式の行事では、国防長官や政府の高位関係者は1人も姿を現さなかった。1、2周年の行事の前後に遺族に慰安の手紙を送ったのは、韓国政府の関係者ではなく駐韓米軍の司令官だった。
北朝鮮の銃弾により蜂の巣になった海軍の高速艇を龍山(ヨンサン)戦争記念館に移し、「国のために命を落とした人々がいた」という事実を知らせて欲しいという遺族の要請は黙殺された。ある遺族は「敵に命を奪われた夫の子どもたちが、南北の和解の雰囲気を壊す罪びとのような扱いを受けている」と語った。
02年、西海交戦が起きた当時からこの年の末にかけて、米軍の装甲車に引かれて死亡した女子中学生を追悼するキャンドルデモが全国的に行われた。国中の社会団体の全てが名を連ねたデモだった。
西海交戦2周年となる04年6月、イラクで殺された金鮮一(キム・ソンイル)氏の葬儀には政界、高位公職者などをはじめとする5000人が詰め掛けた。彼らの死も切なく痛ましいことに変わりないが、西海交戦の戦死者のように国を守るために戦って命を失ったのではない。
大韓民国は祖国の命令で、祖国のために戦って花と散った兵士を追悼しない国、また彼らに理由もなく銃弾を撃ち込んで命を奪った敵の機嫌を損なうことを心配し、遺族たちに口止めする国だ。今この瞬間にも38度線を守っている若き韓国軍兵士たちに対し、このような国のために命をかけることを求められるだろうか。
朝鮮日報/朝鮮日報JNS