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□<グローバルアイ>直島の奇跡 [中央日報]
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=88344&servcode=100§code=140
<グローバルアイ>直島の奇跡
「どうしてカボチャ?」−−。
日本本州と四国の間にある人口3470人の小さな田舍の島“直島”。1カ月ほど前フェリーで到着したこの島の港でまず目に入ったのは「大型カボチャ」だった。高さ4メートル、直径7メートルの「赤いカボチャ(Red Pumpkin)」。恥ずかしい話だがなんと世界的芸術家草間弥生の“作品”だったと後で知った。
交通表示板として使う三角帽子、巨大なゴミ箱、木のボートなどもすべてこの島では作品に変わっていた。「島の作品化」とでもいおうか。
もう1つ衝撃。夕食を食べようとホテルのレストランに入るとなぜか異国情緒が…(異国なのだが…)。さまざまな国籍の言語が聞こえてきた。島のまわりが16キロにすぎない、極めて平凡な風光のこの島を見ようと世界各地から観光客が集まっていたのだ。ホテルの予約は3カ月以上埋まっているという。5年前には2万〜3万人にすぎなかった観光客数は昨年19万人を超えた。島の人口の55倍だ。もちろんそのうち大部分は外国人だ。うわさが広がり、この島は映画007シリーズの撮影候補地としても浮上している。
住民たちが素直で純朴なため、名前に真っ直ぐな“直”の字がつけられたというこの島が注目されるようになった理由は何か。
実は突然ではなく18年にわたった「直島プロジェクト」の結実だった。日本最大の出版・教育事業グループであるベネッセコーポレーション(旧福武書店)の2代にわたる献身的投資があったから今日の直島が可能だった。1989年、直島国際キャンプ場をここに設置した後、 92年には現代美術品展示館と宿泊機能を複合した「ベネッセハウス博物館」を作った。日本が誇る世界的な建築家安藤忠雄氏を迎えたベネッセは2004年には建物を地中に埋めた「地中美術館」を完成させた。島の田舍村を芸術が生きて呼吸する「芸術の島」に変身させたのだ。
しかし、こうした「直島の奇跡」は、美術館がいくつあれば可能だったことか。
「とんでもない話。こんなところ外地人が好むとでも? でも私たちが島の発展を主体的にさせてもらえるというし、働く機会までくれるので考え方も変わらないわけがなかった」(タナカハルキさん、76、観光案内ボランティア)
ベネッセは98年から直島に投げ捨てられたかのようにあった築200年という木造民家を丸ごと美術作品として修復した。名づけて「家プロジェクト」。その中に島の住民たちが直接参加した各種芸術作品を設置した。伝統と現代美術が同時に呼吸する住民参加型島開発だった。家の外に出なかったおじいさん、おばあさんたち、誰も彼もが腕を捲り上げて働いた。道を掃除して玄関の前に花を飾る運動も自発的に起きた。島全体の発想の転換だった。
直島の「創造的発想」はこれだけではない。2003年には5キロ離れた隣近豊島から出る産業廃棄物の処理場建設を突然認可した。周辺の他の地方自治体は決死の反対をした。直島は違った。価値がないように見えるものも「芸術」に生まれ変わることを経験しているからだ。このような逆発想のおかげか直島の1人当たりの平均所得は今年の3月発表で香川県内35自治体のうち1位になった。
韓国の事情を見よう。観光収入は年々減っている。一度韓国を訪れた外国人たちは再訪問をためらう。行く所がないと言う。どうしてないのか。島全体が天然記念物である紅島(ホンド)、そして珍島(チンド)や甫吉島(ポギルド)の風光がどうして直島に劣るか。ましてやそんな場所は1つ2つではないはずだ。問題は開発の意志である。政府の支援には限界がある。韓国の企業家たちよ、直島を訪れ、熱く創造的なベネッセの心を学んでほしい。そして「紅島の奇跡」「甫吉島の奇跡」を起こしてみようではないか。
金玄基(キム・ヒョンギ)東京特派員
2007.06.13 10:54:57