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□「倭寇は日本版アルカイダ」 [朝鮮日報]
▽「倭寇は日本版アルカーイダ」(上)
http://www.chosunonline.com/article/20070609000040
記事入力 : 2007/06/09 17:38:01
「倭寇は日本版アルカーイダ」(上)
【新刊】李領著『忘れられた戦争・倭寇』(エピステメ)
「倭寇が貧しい漁民や商人出身の人々で構成されていたという見方は間違っている。彼らは非常に専門的な武士集団であり、現代のアルカーイダとよく似たテロ組織だった」
韓国放送大の李領(イ・ヨン)教授(日本中世史専攻)が最近著した単行本『忘れられた戦争・倭寇』(エピステメ)は、倭寇を専門的に取り上げた韓国初の研究書だ。われわれは倭寇を「高麗時代と朝鮮時代に数多く出没した日本の海賊集団」と認識しているが、韓国学会の関心は相対的に低かった。それはなぜだろうか。
李領教授は、その理由を「倭寇は根本的に日本史の産物であるため、被害者側の韓国や中国では忘れられた存在となった。そして、その一方で、加害者である日本が倭寇研究を主導することになった」と説明した。
しかし、日本の研究結果は、われわれの立場からすると相当意外な感を受けるものだ。1980年代中盤以降、田中健夫、高橋公明などの研究者らは、14世紀から15世紀の「前期倭寇」について、「日本人・高麗人・中国人をはじめとした多国籍の民で構成された海賊集団」との解釈を打ち出している。
こうした説について、李領教授は「自分たちの祖先が海賊行為をしたという事実を隠ぺいしようとする心理や、『高麗史』『朝鮮王朝実録』などの韓国側史料に対する不信に加え、“国籍と民族の枠を超えて歴史を眺めよう”という当時の西洋史学界の風潮が重なった結果、このような解釈が生まれた」と説明した。
しかし、「倭寇の構成員が日本人であったというのは疑いようのない事実だ」というのが李領教授の見解だ。教授の説明によれば、日本側の主張は、禾尺・才人など高麗の賤民らが“偽装倭寇”として振る舞った記録を根拠としているが、それは例外的な事件に過ぎず、当時のあらゆる正史と文集には倭寇は「倭人」と記録されているという。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
写真=キム・ボベ客員記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
▽「倭寇は日本版アルカーイダ」(下)
http://www.chosunonline.com/article/20070609000041
記事入力 : 2007/06/09 17:39:01
「倭寇は日本版アルカーイダ」(下)
【新刊】李領著『忘れられた戦争・倭寇』(エピステメ)
李領教授は、倭寇を(1)1223年から1265年の「13世紀倭寇」、(2)1350年から1391年の「庚寅年以降の倭寇」、(3)1392年から1555年の「朝鮮時代倭寇」の3つの時期に分類した。このうち、(1)と(3)の時期は襲来の頻度が低いが、(2)の時期には40年間に何と591回もの侵略記録が残されている。なぜ、この時期にこれほど倭寇の襲来が多かったのだろうか。
それは同時期の日本が南北朝時代の戦乱期にあったためだ。特に九州地方は、土豪勢力の少弐頼尚と移住してきた武士勢力との間に軍事的対立が発生し、少弐配下の軍兵が軍糧米や物資を得るため高麗に侵攻した。この「熟練武士集団」がまさに倭寇の実態だったというわけだ。
当時倭寇は、およそ数十人から数百人で構成された複数の集団が地方に上陸した後、内陸に迅速に移動し、略奪を終えると討伐隊が到着する前に撤収したとされている。倭寇が「三面を絶壁に囲まれた場所で、刀や長槍をハリネズミの毛のように立てて抵抗した」という記録があるが、これは南北朝時代の侍たちの戦術と同様のものだ。そのため、「高麗朝廷が漁民や商人で構成された海賊集団すら防ぐことができないほど無能だった」という見方は間違ったものだと李領教授は主張している。
また、李領教授は「1380年の李成桂(イ・ソンゲ)の荒山大捷は、重装甲騎兵らで構成された倭寇を相手に決定的打撃を与えた非常に重要な戦闘だった。記録や現場を綿密に分析した結果、“孫子の兵法”の内容がそのまま応用された卓越した戦闘だったことを確認した」と説明した。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
写真=キム・ボベ客員記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS