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□韓国の反米気分 [NET EYE プロの視点]
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/suzuoki/
韓国の反米気分(2007/5/9)
韓国が反米の度を増す。同時に国益よりも情緒で動く傾向も強める。安定を失いつつある東アジア情勢を読むには「韓国の気分」の観察が欠かせない。
米国を一斉に嘲笑――韓国紙
韓国の反米の根深さが改めて観察されたのは、4月に起きた米バージニア工科大学での銃乱射事件だった。32人が銃で殺害された悲劇を、ほぼすべての韓国紙が一斉に漫画で茶化したのだ。
一部の新聞の漫画に対しては、新聞の配達前にネット版で見た読者から、あまりにひどい、と批判が起きて後版で差し替えられたほどだ。政府系紙「ソウル新聞」の漫画で、犯行現場の画面の横でブッシュ大統領が「一晩に33人。これで我が国の銃器技術の優秀性がもう一度……」と語っているものだった。
ただ、この漫画が差し替えられたのは犯人が韓国人だと判明した後であり、差し替えの理由も「米国人がこの漫画を見たら在米韓国人に復讐する」との懸念が韓国内で高まったからだ。もし、韓国人が犯人でなかったなら、まったく無根の事実を掲げて米国を揶揄する漫画が最終版まで掲載された可能性が高い。
もともと風刺漫画というものは毒があるものだし、ことに韓国紙の漫画は他の先進国のそれと比べ相当に毒々しい。「米国をあざ笑ったから反米」と決め付けるのはおかしい、と思う向きもあるだろう。
だが、ほんの10年前まで米国を嘲笑する新聞漫画は韓国には皆無と言ってよかった。韓国の風刺漫画は記事同様に攻撃の対象がはっきりしている。敵味方を峻別し、敵の不幸は徹底的にあざ笑い、味方の失策はかばう。
その観点から見ると韓国の対米感情は「ある一線」を越えた。韓国人の多くは米国を敵と見なしている。少なくとも味方とは考えていない。
世論調査からもそれは如実に分かる。韓国のメディアが時々、韓国人に「もし、米国と北朝鮮が戦争を始めたら、どちらに味方するか」と聞いている。2005年7月にソウル新聞などが実施したアンケートでは、「米国に味方する」が23.4%、「北朝鮮に」が21.3%で、「中立」が48.7%だった。軍事同盟を結んでいる国と、その同盟で敵としている国への支持がほぼ同じ、という異常な結果だった。
同紙の調査結果はまだ「穏健」な方だ。若者だけが対象だと「戦争時に北を支持」が65.9%、「米国を支持」が28.1%という驚くべき結果が出たこともある(朝鮮日報など調査、2005年8月、対象は16歳から25歳)。
「米国こそが戦争勢力」――左派
韓国はなぜ、突然、親米国家から反米国家に変身したのだろうか。決定的な要因は韓国と北朝鮮の関係改善だ。「北がいつ攻めてくるか」との懸念が薄れるのに伴い、韓国人にとって米国のイメージは「韓国を北から守ってくれる頼りがいのある国」から「韓国を無理やり戦争に巻き込む危険な国」へと転落した。
最初の契機は2000年の南北首脳会談だ。この「歴史的」和解劇を見て韓国人は北への警戒感を一気に解いた。これを明確な「反米」にと突き動かしたのは2002年の在韓米軍の兵士により韓国の女学生が死亡した交通事故だった。大統領選挙戦の中で事件は、左派によって徹底的に反米宣伝の材料として使われた。
さらに、2003年のイラク戦争勃発で「米国はイラクの次には北を攻撃する」と多くの韓国人が考えた(「韓国国論の分裂――親米・反北か親北・反米か 2003年11月14日」参照)。
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/suzuoki/20031111n56bb000_11.html
興味深いことに2006年10月に北が核実験をした後でも、反米感情は緩まなかった。もちろん、保守派の中には「北の核の脅威に抗するためにも反米運動を抑えるべきだ」と考える人もいた。しかし、国際社会の緊張が高まるほどに「米国が自分の都合で北を攻撃し戦争が始まる」との懸念を増し、反米を募らせる人も生まれた。ちなみに、左派は「北は核を韓国人には使わない」といった「情報」を広めてもいた(「崩壊する韓国 2006年11月10日」参照)。
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/suzuoki/20061109n59b9000_09.html
保守派も「離米」
ただ、韓国人すべてが左翼の宣伝を信じているわけではない。保守系の人々は左翼の反米宣伝を苦々しく見つめている。でも、保守派の人々の心情の中にも米国への複雑な思いを覗き見ることができる。実は、これこそが韓国の反米を「確かなもの」にしている。
「韓国を作ったのは我々だ」。10年ほど前まで、シンポジウムなど公開の席で韓国人を前に何の配慮もなくこう言い切る米国人が結構いた。これに対し「米国の助けがなければ国が立ち行かない」と考えていた韓国人は、唇をかんで黙っていたものだ。
が、やはり10年ほど前から、反論する韓国人が出始めた。発展に裏打ちされた自信からだろう。
韓国の知識人は多かれ少なかれ、米国の傲慢さへ不快感を持つ人が多い。そして、ちょうど左派が北朝鮮との関係改善をテコに反米を露わにした2000年ごろ、保守派も自信をテコに米国離れを始めた。
もっとも、保守派の米国離れに対しては「日本でも起きた、乳離れ後の反抗期」との見方がある。ことに韓国に関わる米国人の専門家がこうした見方をとる。ただ、それは皮相的で、米国にとってはあまりに楽観的な見方かもしれない。米国に対する思いは日韓では似ているようでいて実は相当に異なるからだ。
日本は米国との戦争に負け、米国に国を改造された。その意味では韓国同様に「米国に国を作ってもらった」。一方、韓国は日本の植民地支配から救われ、援助を貰い、北朝鮮の侵略から救われるなど、常に米国に助けられつつ「国を作ってもらってきた」。
理屈で言えば日本こそがより反米になり、韓国こそがより親米になるべきだが(実際、90年代末まではそうだったのだが)、人の心というものは単純ではない。米国に助けられ続けたからこそ韓国の反米は根深い、という言い方もある。
韓国のある知識人は米国への心情をこう説明する。「常に助けられてきたため常に絶対的な下位に置かれ、その結果、常に見下されているとの思いを抱かざるを得ない」。その論法から言えば「米国に負けはしたが同じ土俵で戦った日本人は米国との対等意識を持てるし、劣等感を抱く必要がない」のだ、という。
合意なき攻撃終末点
最近、韓国人と話すと「経済的にも大国になったのだから、すべての面で米国の助けにならず生きる国になりたい」という心情が高まっているのに気づく。
その心情は日本人よりも強いかもしれない。米国との戦争に負けた結果、米国の核の傘で生きるようになったが、日本は戦前に安保を含め一歩立ちした経験を持つ。それゆえに現状にある程度納得できるのだろうが、「一本立ち」を体験したことのない韓国人は「一度は」と思うのかもしれない。
こうした韓国人の心情こそが「なぜ、韓国の外交はあんなに情緒的で、しかも、その度を増しているのか」との質問への、ある程度の答えになるかもしれない。
冷戦期に対立の狭間に産み見落とされたひ弱な国の国民が、初めて大国から離れ、自由度を増せるとの期待を持ったのだ。彼らは日本と異なり、太平洋の覇権を目指し壊滅的な被害を受けるという失敗の苦い経験はまだ持たない。今は、現実はともかくもなるべく大きな夢を見たい、ということなのだろう。
2005年、盧武鉉大統領が米国と中国を等距離に置くことを前提とした「韓国バランサー論」を展開した時、何人かの韓国の知識人は「夜郎自大な構想」とその荒唐無稽さを笑いながらも、心情的には強く支持したのだ。
「バランサー論」を支持した勢力も、公式には批判した勢力も、米国との軍事同盟をどうするのか、といった具体的な国のあり方に関しては意見を示さず、国民的な議論を始めたわけでもなかった。米国からの自立という「夢」を語っているだけなのだから、当然、「攻撃終末点」に関するコンセンサスも生まれず、コンセンサスをつくるべきだとの意見さえでなかった。
韓国の「親中」と「反中」
では、現実の世界で起きている「中国の軍事的台頭」は韓国の反米感情にどんな影響を与えるのだろうか。
どうやら、対北と同様にここでも判断の二極化が起きそうだ。「中国の脅威や威嚇を減らすには米国が必要。であるから反米を抑えよう」という論理に基づいた発想。もうひとつは「中国に寄ってしまえば中国は韓国をさほどいじめないはずだ。自分を懐に引きとめようとする米国こそが韓国の安全を脅かす」という反米感情を加速する意見だ。
それなら、中国に対する韓国人の感情はどう動いているのだろうか。
一番極端な人々は、韓国外務省のチャイナスクールの一部の人のように、「中国に精神的にひれ伏してしまった人々」だ。彼らは「中国の偉大さ」にいかに自分が圧倒されたかを率直に語り「韓国は中国に従うのが一番」と公言する。「韓国人のDNAには中国への従属心が組み込まれているのか」と外国人を唖然とさせるほどだ。
「バランサー論」を唱える盧武鉉大統領の周辺や支持者にも「親中派」を自認する人が目立つ。ただ、彼らの「親中」は「反米」の反射から来る部分が多く、「本物」とは必ずしも呼べない。
一方、保守派や普通の人々は米国に対し複雑な感情を抱きつつも「独裁国家の中国に心を寄せる気にはなれない」と漏らす人が多い。典型的なのが韓国の風刺漫画だ。そこに中国が悪役として登場することはまずない。それは親中感情の現われではなく、中国に対する恐怖心の深さの現れである。「米国や日本を新聞でいくら批判しても報復はされないが、中国はそうでないから」と韓国の新聞人は明かす。
注目すべきは、普通の韓国人が米国への複雑な思いと同様に中国に対しても、いや米国に対して以上に中国には複雑な心情を持つことだ。韓国は千年以上に渡って中国の保護と間接支配を受けた。中華帝国によってもたらされる安定感と、常に下に置かれるという被支配感。近代以降の日本の植民地下とはいえ中国に先んじて発展したという優越感に加え、70年代以降の中国を経済的に追い抜いたという自信感。さらには最近の、再び台頭する中国に圧倒されるのではないかという抑圧感(「新・華夷秩序と韓国 2006年9月8日」参照)。
韓国の対中感情は対米感情以上に人によって差が大きく、さらに一人の韓国人の中でもより複雑な感情がわだかまるかに見える。
「情緒」から見た韓国の将来
韓国人の反米感情は急速に収まるといった性格のものではない。一方、対中感情も複雑で「外交政策を一気に中国寄りに動かす」ほどには、親中一色ではない。かと言って、多くの韓国の知識人が若いときに夢見たような「強武装中立国家」を裏打ちできるほどの強固な精神的自立心がすぐに生まれるふしもない。
韓国は米国側に完全に戻る選択もできず、中国に完全に走る心情にもなれない。この複雑な情緒を反映して、今後、相当長い間、韓国外交は米中の間を振り子のように揺れ続けることになるのではないか。
もし、韓国が明確に国の方向を打ち出すとすれば、それは強いリーダーシップと明快な哲学を持って国内の「様々の感情」を整理しうる大統領が登場した時だろう。だが、いまのところ、そんなリーダーは見当たらない。