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(回答先: Re: 南洋(サイパン、グアム等々)でも創氏改名してますよ>沖縄はともかく、アイヌは和名を強制されてま 投稿者 Kotetu 日時 2007 年 4 月 26 日 23:07:04)
神戸新聞Web News 遠くにありて 沖縄復帰30年
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/fukki/03.html
より引用
下.変わる町で (掲載日:2002/05/17)
しなやかに、これからも
「パーランクー(太鼓)は、おへその横で持ってね」。四月上旬、エイサー(沖縄の盆踊り)で演奏する太鼓の教室が、うるま保育園=尼崎市武庫元町三=で開かれた。
昨年から始まり、職員も習う。田村由紀子さん(31)が、宝塚市から教えに来ている。
「うるま」は「琉球」の雅名。園は沖縄県人会兵庫県本部と深いつながりを持ち、職員も、田場春江園長をはじめ三分の一が関係者だ。ところが、田村さんは沖縄出身者ではない。逆転とも呼べる現象が起きている。
◇ ◇ ◇
「沖縄(出身)、ええなあ」。友人たちにうらやましがられたという孫の話を聞き、宮城ツルさん(77)=尼崎市戸ノ内町五=は思った。ずいぶん変わったな、と。
田村さんのように沖縄にゆかりのない、しかも若い人が、伝統を次世代につなぐ最前線に立つ。三線(さんしん)を習いに、戸ノ内に足を運ぶ本土の人も増えた。
故郷が沖縄。それだけで苛烈(かれつ)な差別を受けた時代があった。「朝鮮人・琉球人お断り」と書かれた求人。排除は貧困に結び付く。本土に復帰した一九七二年、同県人会が県内の会員に行った調査では、十一世帯に一世帯が生活保護を受けていたという。
ツルさんも、大阪で職を探していたとき、本籍欄に「尼崎」と書いたことがある。周囲には、ルーツを伝える名字を変えたり、方言を、自分の暮らしから掃き出してしまった人もいた。
変わったといえば、町の景色もそうだ。ツルさんの義弟で、同じ団地に住む浦崎晃さん(77)は「住まいが上等になったね。昔は狭くて、バラックみたいで…。水道もなかった」と回想する。
大雨の度、水につかった町は今、再開発が進む。出身者も少しずつ、散り散りになる。そうした変化に歩調を合わせるように、九〇年代後半には、沖縄系の金融機関が関西から相次いで撤退した。「役割は終えた」(沖縄銀行)と判断してのことだった。
◇ ◇ ◇
「しなやかなハングリー精神が、沖縄の人にはあると思うなあ」。ツルさんの夫、清光さん(78)は胸を張る。炭焼き、養豚、スクラップ回収…。時代の動きを読んで、しっかり生き抜いてきた、と続けた。
「でも、人を押しのけるのとは違う。状況や人に溶け込む力がある、と言うんかな。世の中が変わっても、また何かをやっていくでしょう」。そんなまなざしを、あすに向ける。
(新開真理)