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産経古森記者のブログ ”ステージ風発”より転載です。
コメント欄にもありますが、証言者 高橋正二氏の肩書き
世日クラブ監査役
http://senichi-club.jp/modules/news/index.php?storytopic=3
世田谷郷土大学学長(平成13年12月)
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8947/syoji.htm
どちらも「統一協会」関係。
以下 記事転載
「軍による強制連行はなかった」--元大本営参謀が証言 2007/04/17
慰安婦問題についての貴重な証言を受け取りました。陸士、陸大卒、歩兵連隊中隊長、南方総軍参謀、大本営参謀などを歴任した高橋正二氏の発言です。戦後は明治薬科大学理事長などを務めた高橋氏は93歳ですが、健在で、つい数日前にも世田谷郷土大学で一時間以上の講演をされています。
その高橋氏から「いわゆる従軍慰安婦について」というレポートを共通の知人を介して拝受しました。高橋氏ご本人がその内容を私のブログで紹介してもよいと言われたので、その要点を以下に記します。
「戦争間、従軍記者、従軍報道班、従軍作家、従軍看護婦等は存在しましたが、いわゆる『従軍慰安婦』なるものは絶対にありませんでした。ましてや『強制連行』云々は絶無であったことを強調しておきます。
いわゆる『従軍慰安婦』なる造語も戦後、出現したものであり、戦時中、現地に『慰安婦』が存在したことは事実であります。その理由は現地住民を犯さないこと、性病を防ぐこと、それに防諜の立場からであり、いわゆる慰安婦は公娼制度の延長線であり、それぞれ民間人との契約によるものでありました。
平時において、これらの事柄は警察が取り締っておりましたが、戦時中の現地においては軍が前述の理由で取り締り、かつ慰安婦を保護していたのであります」
(以下、つづく)
なお高橋氏のこのレポートは以前の氏自身の講演記録から要点を拾い上げたものだそうです。そのへんの事情を高橋氏は以下のように説明し、提言を加えています。
「平成十九年二月十五日、米下院の小委員会が元慰安婦女性の公聴会に踏み切り、目下、日、米、いな全世界の問題視するところとなってきた。ここで私は黙視できず、おこがましくも過去の講演要旨を引っ張り出し、真相を皆様に訴えたいと思います。
そこで私は次のことを提言したい。
一、問題の根源を為し、まさに国賊的言動を今日でも言い続けている張本人 河野洋平氏(現衆議院議長)を即時、罷免すべし。
二、同類外国軍による(売春買春の)例を全世界に公表せられよ。日本糾弾決議案を推進している日系三世マイク・ホンダ下院議員(中国系の支援甚大)にとくに説得すべし。
ひとまず以上を報告します。
残りは回を改めます。
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/153445/
「従軍慰安婦の仕掛け人たち」--元大本営参謀の証言(2)2007/04/21
元大本営参謀、戦後は明治薬科大学理事長などを務めた高橋正二氏の報告の紹介を続けます。
以下、高橋氏の講演録からのレポートです。
ここにいわゆる「従軍慰安婦」の仕掛け人および支援者の名前を掲げますが、とうてい全部を網羅することはできませんので、その一例を拾いあげてみます。
青柳敦子(「朝鮮と朝鮮人に公式陳謝を」事務局長、大分県医師夫人。韓国に赴き、寝た子を呼び起こすように、現地の慰問婦と称する人を探し、日本政府に対する訴訟を呼びかけ、発起人には各10万円を、なお日本国では400万円の訴訟金を準備している、とけしかける)
高木健一(弁護士 「従軍慰安婦」訴訟弁護団長)
臼杵敬子(「従軍慰安婦」問題は国家犯罪。「日本の戦争責任をハッキリさせる会」を主催)
戸塚悦郎(弁護士、平成2年2月、国連人権委員会でこの問題を提言)
吉田清治(「従軍慰安婦」強制連行報道の仕掛け人。元山口県労務報国会、下関支部動員部長。済州島で部下とともに200数十人の婦女子を強制連行したとする記事を発表(「私の戦争犯罪」)これは嘘の記事であることを千葉大の秦郁彦教授の現地取材で暴露されている)
本田昭次、清水澄子(ともに社会党参院議員。昭和58年8月、スイスのジュネーブの国連人権委員会に出席し、「従軍慰安婦」問題を提訴)
カトリック教会、日本キリスト教会(白瀬誠一枢機卿、清水範子修道女ら多数)
日本弁護士連合会(会長・土屋公献)平成8年2月7日付声明文「日弁連はこの報告書(クマラスワミ報告書)が国連人権委員会で採決されることを強く望む。日本政府がその実行を逡巡することなく着手することが、国際社会の中で日本が名誉ある地位と評価を得る最後の機会ーー」
私(高橋)の友人の弁護士に聞いてみたが、「そんな声明文は私たちの知らない間に出された」と云っていました。
以上のごとき根元は平成3年12月6日、「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」が提訴されるや、平成4年1月17日、宮沢喜一総理(当時)が盧泰愚大統領に反省とお詫びを言上し、さらに平成5年8月4日、河野洋平官房長官(当時)が、政府調査の結果として、ありもしない「従軍」「強制連行」があたかもあったかのごとき談話を発表したことが問題の根元をなしているのです。まさに国賊的言動というべきであります。
以上が引用です。
まだ続きます。(次回の記載で)
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/156026/
「米軍も売春女性を徴用した」--元大本営参謀の証言(3)
元大本営参謀で戦後は明治薬科大学の理事長などを務めた高橋正二氏の報告を続けます。高橋氏は終戦直後に米軍と直接、接触する「有末機関」の一員だった貴重な体験を経ています。
その有末機関時代に米軍は日本側に売春宿の開設や日本女性の売春婦としての徴用を命じた経緯が証言されています。
軍隊とセックスというのは、なにも日本軍だけが例外だったわけではないことの証明といえましょう。
以下は高橋氏の報告からの引用です
「米軍も女性の強制徴用を求めていた」
「日本が降伏して間もなく、マニラにいた連合軍最高司令官らから命令があった。『進駐軍の着陸を神奈川県厚木飛行場と定め、その進駐受け入れのため、政府、陸・海軍部を代表する将官を差し出すべし』という命令でした。大本営はこの将官に有末精三中将を指名した。私(高橋正二)もこの有末中将を首班とするいわゆる有末機関の一員として厚木に行くことになったわけです。
ちなみに最初から有末機関員として行動した大本営参謀は現在(平成8年9月)、浦茂氏(陸士40期元航空幕僚長)と私、高橋正二(陸士48期)の二人のみとなり、生き証人として寂しい限りです。
昭和20年8月24日、厚木飛行場に参りましたが、それはひどい有様でした。
先遣隊(隊長テンチ大佐)約150名は28日、マッカーサー司令官は30日、到着し、ただちに横浜へ、私どもは神奈川県庁の一部に陣取り、9月20日、ミズーリ艦上降伏文書調印式における代表団一行の出迎えなどに忙殺されていました。
これら期間を通じて、頭を悩まし続けたのが、進駐軍兵士により暴行、強姦などが毎日毎日、被害の訴えがあることでした。
『進駐軍兵士により治安騒乱のうち、最もてこずったのは日本婦人に対する暴行、強姦などの風紀上の問題であった。最初の訴えに対し、第八軍司令官アイケルバーガー中将は「若い学生がジャングルから飛び出して、広々として校庭に出たようなもの、しばらく我慢してくれ、我々の方でも十分、気をつけるから」との話であったが、来る日も、来る日も、この種の訴えは一向に減る様子もなく、そのたびごとに報告者の悲憤慷慨は想像に絶する激越なものであった』(有末精三著『有末機関長の手記』)
当時、進駐軍軍人、ことに黒人の児を宿して生まれた混血児は3000人ともいわれ、澤田廉三元大使、および美喜夫人の経営するエリザベスサンダーホーム(大磯における孤児院)をはじめ、各種の施設や社会事業などのこれら悲劇の対策は講ぜられたものの、わが国、社会に残した傷跡はまことに残念なことでありました」
進駐軍の初仕事とはなんであったのか
「一、厚木飛行場に先遣隊が進駐してきた日の翌日の8月29日、米軍連絡将校が東京の警視庁に現れ、『娼家の施設をみせろ』と言ってきた(売春施設問題が初仕事ではないか)
二、同年9月28日、東京都衛生局が初めて受けた命令は『女』の問題。都衛生課員の与謝野光博士がGHQ(連合軍総司令部)公衆衛生局長サムス大佐のもとで交渉を開始、都内に残っていた花柳街五箇所および特飲街十七箇所(うち一箇所『千住』のみ日本人用)を接取された。
三、売春施設だけでは満足しない米兵は街の一般婦女子にも手を出し、パンパンガールとして自ら乗り出した日本婦人も現れた。
四、昭和28年2月27日、第十五回国会参議院本会議で、社会党の藤原道子議員の質問演説にも左のとおり触れている(当時の女性議員協議の結果)。
『アメリカ当局には軍紀の励行を望みたい。どうしてもそれができないならば、日本の女性をこれ以上、蹂躙することなく、この際、本国から対象となるべき必要数の女性を呼び寄せて、自国の女性によって性の解決をされるように要望したいのであります。(拍手)』
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/157217/