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□「私たちが先にスンヒに手を差し伸べていれば」 [中央日報]
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=86786&servcode=400§code=400
「私たちが先にスンヒに手を差し伸べていれば」
「スンヒの写真を見て『あ、校庭で何度か見たむっつりした学生!』だとぼんやり思い出しました。あのときスンヒに近付いて肩を叩き『食事に行こう!』と声をかけられなかったのが残念です。これから学校で何も言わない孤独な学生に会ったら、その人が話してくれるまで声をかけて友達になりたいと思います」−−。
21日、バージニア工科大銃乱射事件の現場であるノリスホール芝生広場に置かれた33人の死亡者追慕所前で会った同校の学生ローラ・スタンリーさん(22、女、経営3年)はこう言って目頭を熱くした。事件の翌日に設置されるやいなや花や手紙がたむけられた他の32個の追慕石と違い、チョ・スンヒ容疑者のそれは3日後(20日)、スタンリーさんが初めて手紙を置いてから花や手紙が置かれはじめた。
手紙は「スンヒよ、私はお前を憎まない。お前と友達になりたい。これまでどれほど大変だったのか。この世の中すべての人々から遠ざけられ、1人きりみじめな苦痛を経験したあなたに手をひとつ差し伸べられなかった私を許してください。もうあの世でもあなたを締め付けた苦痛から逃れて楽に過ごしてほしい」と書いた。21日、チョ・スンヒ容疑者の追慕所前に花とキャンドルを捧げるため、再び現われたスタンリーさんに思いを尋ねてみた。
−−チョ・スンヒに手紙を書いた理由は。
2日前にもここへ来たが、特にスンヒの追慕石だけさびしそうだった。「スンヒも加害者と同時に犠牲者」という気がした。彼にも私たちのような魂がある。母にも相談したが同意してくれた。それで昨日、手紙を書いてここに置いた。今日来てみたら手紙や花がたくさん置かれていてうれしかった」
−−犯人の銃で死んだ人々と犯人をまったく同じように追慕することはいきすぎだという批判はないか。
「泥沼にはまって『助けてくれ』と叫んでも誰も来てくれず、何日、数カ月、何年を閉ざされて過ごしたと仮定してみてほしい。スンヒがそんな状況だったろう。彼を咎める前に私たちが彼に救いの手を差し伸べなかったことを悔やまなければならない」
−−犯人を許そうというのか。
「許しというものは生きている者にだけ与えられる特権だ。今、誰より苦しい人々はスンヒの家族だろう。彼らに会ったらしっかり抱いて、できる限りの助けになりたい。アメリカが彼らをかばってやらなければならない」
−−チョ・スンヒは韓国出身だ。
「今回の事件は一個人の過ちであるだけで、人種や国家とは関係ない。責任はアメリカにある…」
この日33個の追慕石に列をなして参拝した2000余の米国人たちはチョ・スンヒ容疑者の石の前ではしばらくの間、止まって考え込むような様子だった。多くの人々は手紙をていねいに読んでいた。親が子供に手紙を読むように読む姿も見えた。しかし「どうして犯人を追慕するのか」と声をあげたり、手紙をやぶいたり、追慕石を毀損したりする人は誰もいなかった。許しと包容の現場だった。
ブラックスバーグ=カン・チャンホ特派員
2007.04.23 08:58:32
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