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□<天安門事件>当時のリーダー、ウーアルカイシ氏が会見 [毎日新聞]
<天安門事件>当時のリーダー、ウーアルカイシ氏が会見 (毎日新聞)
【台北・庄司哲也】中国の最高実力者だったトウ小平氏が89年6月、北京で発生した民主化運動を武力弾圧した天安門事件。当時の学生リーダーの一人で、事件後に中国を脱出したウーアルカイシ氏(39)=台湾在住=は毎日新聞と会見し、トウ氏の中国への貢献を認める一方で、天安門事件でのトウ氏の対応について「中国の民主化の抹殺者」と非難した。
事件は、北京の天安門広場で、民主化を要求しデモを続けていた学生や市民を人民解放軍が武力で弾圧。中国共産党の最高指導者だったトウ氏は運動を「反革命暴動」と位置づけ軍の投入を指示した。
民主化運動の背景についてウーアルカイシ氏は「トウ氏は『改革・開放』を唱え、経済改革を行ったが、政治改革は行われなかった。このため、政治改革を求めた。トウ氏が『改革・開放』を鼓舞したことにより、思想開放を求めようという動きが広がった結果だ」と説明した。
事件は、人権抑圧として欧米諸国が批判し、中国は経済制裁を受けた。トウ氏は92年に中国南部を視察し「改革・開放」の加速を訴える「南巡講話」を発表し、その後の経済発展の契機となった。経済発展はトウ氏の功績との評価もあるが、ウーアルカイシ氏は「私たちが政府に要求した経済改革を実質的に認めたに過ぎない。外国から批判が集まったことで、学生や市民に譲歩せざるをえなくなったため」とトウ氏の功績を否定した。
中国の発展を築いたとされるトウ氏について、ウーアルカイシ氏は「トウ氏が唱えた『改革』は中国の発展の核心の思想となり、客観的に言えば、中国に多大な功労がある。だが、天安門事件では仲間を殺害した犯人だ。事件がなければ、中国の最も偉大な政治指導者だっただろう」と述べた。
[ 2007年2月21日15時58分 ]