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http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070122/117394/?P=1
1996年11月の四川省の寒村。若い未婚の男性農夫が草むらに捨てられた女の子の赤ちゃんに気づきました。赤ちゃんを育てるのは、貧乏な彼にとって重い負担。そう考える彼は何回も赤ちゃんを抱き上げては下ろし、立ち去ってはまた戻りました。最後、彼は命が尽きそうな赤ちゃんに呟きました。
「私と同じ、貧しい食事を食べてもいいかい」と。
独身のまま1児の父親になった農夫は、粉ミルクを買うお金もないため、赤ちゃんはお粥で大きく育てられました。病気がちな体は心配の種でしたが、聡明で近所からとてもかわいがられたのは、お父さんの救いでした。
女の子は5歳になると、自ら進んで家事を手伝うようになりました。洗濯、炊飯、草刈りと、小さな体を一生懸命に動かして、お父さんを手伝いました。ほかの子と違ってお母さんがいない少女は、お父さんと2人で家をきり盛りしました。
【突然押し寄せた不幸】
小学校に入ってからも、少女はお父さんをがっかりさせたことはありませんでした。習った歌をお披露目したり、学校での出来事を話したりと、お父さんを楽しませました。そんな平和な家庭に突然の暗雲がたれ込みました。
2005年5月。ある日、少女は鼻血がなかなか止まらない状態になりました。足にも赤い斑点が出たため、お父さんと病院に行くと、医者に告げられた病名は「急性白血病」でした。
目の前が真っ暗になりながら、お父さんは親戚と友人の元に出向き、借りられるだけのお金を借りました。しかし、必要な治療費は30万元。日本円にして400万円です。中国よりずっと裕福な日本でも、庶民にとっては大金になるような治療費を、中国の農民がどうにかできるはずもありません。集めたお金は焼け石に水でした。
かわいい我が子の治療費を集められない心労からか、日々痩せていくお父さんを目にして、少女は懇願しました。「お父さん、私、死にたい。もともと捨てられた時に、そのまま死んでいたのかもしれない。もういいから、退院させてください」と。
【自ら治療を放棄すると退院】
お父さんは少女に背を向けて、溢れ出た涙を隠しました。長い沈黙の後、「父さんは家を売るから、大丈夫だよ」と言いました。それを聞いて、女の子も泣き出しました。「もう人に聞いたの。お家を売っても1万元しかならないのでしょ。治療費は30万元ですよね」と。
6月18日、少女が読み書きできないお父さんに代わって病院に「私は娘への治療を放棄する」との書類を提出しました。彼女はまだ8歳でした。幼い子につらい思いをさせてしまったことを知ったお父さんは、病院の隅で泣き崩れました。そして娘を救うことのできない自分を恨み、運命の理不尽に怒りを覚えました。
娘は生まれてまもなく実の父母に捨てられたうえに、貧乏な自分と1日も豊かな生活を経験したことがありません。8歳になっても靴下さえ履いたことがありません。それでなくてもつらい人生を歩まなくてはいけなかったのに、さらに追い打ちをかけて病に苦しめられるとは。
退院して家に戻った少女は、入院する前と同じように家事をし、自分で体を洗います。お父さんに、自分は勤勉で、かわいく、そして綺麗好きな娘として記憶に残してほしい。そう願いながら、1つだけお父さんに甘えました。
新しい服を買ってもらい、お父さんと一緒に写真を撮ってもらったのです。それもお父さんを思ってのこと。「これで、いつでも私のことを思い出してもらえる」と。
【70万元の寄付が集まり、治療を再開】
ささいな幸せの日々も、終わりが見え始めてきました。病気は心臓に及び始め、ついに彼女は学校に行くのもままならなくなりました。苦痛から、学校に向かう小道を、1人カバンを背負って立ち尽くすこともありました。そんな時には、目は涙で溢れていました。
少女の死が近づいたころ、ある新聞記者が病院側からこの話を聞き、記事にしました。少女の話はたちまち中国全土に伝わり、人々は彼女のことで悲しみ、わずか10日間に70万元の寄付が集まりました。女の子の命はもう一度希望の火が灯され、彼女は成都の児童病院に入院し、治療を受け始めました。
化学治療の苦痛に、少女は一言も弱気を吐いたことがありません。骨髄に針を刺した時さえ、体一つ動かしません。ほかの子供と違って、少女は自分から甘えることをしないのです。
【訪れた運命の日】
2カ月の化学治療の間に、何度も生死をさまよいましたが、腕のよい医師の力もあって、一時は完全回復の期待も生まれました。しかし、…。やはり化学治療は、病が進行し衰弱していた少女の体には、無理を強いていたのです。
化学治療の合併症が起き、8月20日、女の子は昏睡状態に陥りました。朦朧とした意識の中で彼女は自分の余命を感じます。翌日、看病に来た新聞記者に女の子が遺書を渡しました。3枚もの遺書は彼女の死後の願いと人々への感謝の言葉で埋め尽くされています。8月22日、病魔に苦しめられた女の子は静かに逝きました。
少女のお父さんは冷たい娘をいつまでも抱きしめ涙を流しました。インターネット上も涙に溢れかえり、彼女の死のニュースには無数の人々がコメントを寄せました。8月26日、葬式は小雨の中で執り行われました。少女を見送りに来た人にあふれ、斎場の外まで人で埋まりました。
女の子の墓標の正面には彼女の微笑んでいる写真があります。写真の下部に「私は生きていました。お父さんのいい子でした」とあります。墓標の後ろには女の子の生涯が綴られてありますが、その文面の最後は「お嬢さん、安らかに眠りなさい。あなたがいれば天国はさらに美しくなる」と結ばれています。
【殺人は微増にとどまるが…】
紹介した話は、僕が中国で旅している間に偶然に耳にしたものです。詳細に興味を持つ方はどうぞ僕のブログをご覧ください。
セレブの奥さんが夫を、医師を目指す兄が妹を、バラバラ殺人する事件が相次いで報道されたり、息子が父親のしつけに耐えられなくなり、母親と幼い兄弟を放火殺人してしまったり、とここ最近、家族同士の殺人事件のニュースを聞かない日がないくらい増えています。
家族同士の殺人事件は、今に始まったことではありませんが、どうも最近はこれまで以上に凄惨になり、数も増えている気がします。
2006年版の警察白書によれば、刑法犯で警察が被害届を受理した件数(認知件数)は2001年度に273万5000件だったのが、2005年度には 226万9000件と減り、殺人事件は同じく1340件が1392件と微増、放火は2006件が1904件と減っています。検挙件数で見ると、殺人は 1261件が1345件と、これも増えてはいますが、目立って増えているわけではありません。
白書の統計の中で、家族間の殺人がどのようになっているのか分からないので、凄惨な家族殺人が増えているというのは単なる印象論なのですが、どうも現代の日本は、家族の絆や生命の重みを大事にする気持ちが、薄まりつつあるのではないかと感じます。
【カネや国に頼る前に、必要なこと】
もちろん勘違いだとは思いますが、そう感じるのは「カネ」さえかければ的な議論が先行し、何をするにしても基本である人の気持ちが置き去りにされているようだからです。例えば、現在、安倍内閣が掲げている教育再生や少子化対策などの是正の議論の中では、必ずといっていいほど、国が対策を講じず、必要な予算をつけなかったから「学校が荒廃した」「子供を産めない夫婦が増えている」というものがあります。
カネがないからダメになった、という意見に、僕は素直に賛成できません。紹介した中国の少女の家庭は貧乏だったけれども、少女を優しい思いやりのある子供に育てました。お金はなかったですが、少女には夢があり、家族愛が育まれました。
この少女が生きた四川省の農村部では、1人当たりの年間現金収入は1000元(約1万4000円)も届かないと聞いています。ですから治療費の30万元というのは、年間収入が500万円の人が15億円の治療費を負担するようなものです。
【思いやる心がない社会の寒さ】
少女の話がまたたくまに中国全土に広がったのは、中国も最近の経済発展でカネがすべてという退廃した空気が充満し、そして日本をはるかに凌ぐ格差社会の実態があるからだと思います。少女の話からお金よりも大事にしなくてはならないものがある、いくらお金があっても得られないモノがあるのだということに気づかされ、それがなんの見返りもない寄付という形になったのだと思います。
お金は、あることに越したことはありません。予算もそうです。教育再生、格差社会の是正に限らず、どんな改革を実行するのにも、予算は少ないより多い方がましです。しかし、お金をかければ、必ずいい結果が出るものでもありません。
学校が荒れているのは、教育予算の規模も関係しているかもしれませんが、僕には家族が、人を思いやる心を子供に与え、教えていないことに根本の原因があると思えます。もちろん家族だけが人を思いやる心を教えるものではありません。家族が教えられなくても、教師、地域、仲間が代わりを務めることもあるでしょう。
暖冬の中、寒々しい話をたびたび聞くにつけ、心のぬくもりについて考えてみました。