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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080327-00000964-san-int
騒乱の地ラサ、緊迫ルポ! 欧米メディアが初取材
3月27日21時0分配信 産経新聞
中国チベット自治区ラサは、騒乱から28日で2週間を迎える。中国当局による厳しい取り締まりで表面的には落ち着きを取り戻しているようだ。しかし、チベット族の反発はくすぶっている。騒乱後初めてラサに入った欧米メディアが、中国当局の監視を受けながら伝えるラサの現状をまとめた。
■ハプニング
取材団はまとまって行動しており、完全に自由な取材は許されていないようだ。AP通信によると、27日、中国政府の案内でチベット地区の旧市街にあるジョカン寺(大昭寺)周辺を訪れた際、30人ほどの僧侶が来て、当局者と騒ぎになった。
「チベットは自由ではない!」「(抗議行動と)ダライ・ラマ14世には何の関係もない」。僧侶らはこう言って取材陣に近づいた。当局者が「チベットは何世紀にもわたって中国の一部だった」と説明する声が聞こえたためらしい。
当局者は取材陣に現場を離れるよう叫んだ。ある僧侶は「恐らく逮捕されるだろうが、仕方ない」と覚悟を語った。僧侶らはAP通信に、14日の大規模騒乱以降寺を警備してきた部隊は取材陣の訪問を前に、現場から姿を消したと話した。
■市街分断
ラサは、チベット族が多く住む東側と漢民族が住む西側に分かれている。新たに造成された漢民族の居住地区には警察官の姿が散見された程度。一方、チベット族地域にあるジョカン寺周辺には、治安部隊が配備されていた。
英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)によると、チベット族の居住地域のあらゆる通りで黒こげの建築物がみられた。いずれも漢民族所有の建物とされる。チベット族の所有する建物にはスカーフが掲げられ、襲撃を免れていたからだ。
騒乱から約2週間となるのに、ラサのチベット地区では建物が焼けこげたにおいが鼻を突いた。食料品雑貨店を経営する韓国生まれの男性によると、漢民族の多くは騒乱で生計を立てる術を失い、「多くの人々は家賃が支払えず、(ラサから)出ていかざるを得なくなっている」という。騒乱後、初めて開店した数少ないバーでチベット族の教師2人が痛飲していた。そのうち1人は、「基本的に外出は禁じられていた」と話した。
米紙ウォールストリート・ジャーナル・アジア版(WSJ)は、目撃者の話として、騒乱が起きた14日、チベット族は漢民族に加えてイスラム教徒とも衝突、モスク(イスラム礼拝所)に放火したと伝えた。ラサで取材団が見せられたビデオには、イスラム教徒の商店やモスクに放火する様子が映っていた。チベット族の教師は同紙に、「お願いだから助けてほしい」と言い、漢民族の女性は「チベット族が怖い」と語った。
■取材規制
中国政府は取材には規制は設けないとしていたが、実際は有形無形の規制がかけられたようだ。AP通信によると、26日に空港からラサ市街地に入る際、取材陣が乗ったバスは記者らが急ぐよう求めたにもかかわらず、65キロの道のりを90分かけ、わざとゆっくりと走ったという。
26日夜、チベット地区では部分的に夜間外出禁止令が出された。「ここチベットはとても危険なのだ」。ある治安部隊員は、こうWSJの記者に言い、立ち去るよう求めた。
「抗議行動や暴動などについて自由に話ができるチベット族はごくわずか。主要道には大規模な治安部隊が巡回し、通行人に身分証明書の提示を求めた。周辺には重く抑圧された雰囲気が漂っていた」−。FTの記事は取材団に共通する思いのようだ。