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【インド万華鏡】試される世界最大の民主主義国家 (1/2ページ)【産経】
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/080324/asi0803241541001-n1.htm
2008.3.24 15:39
このニュースのトピックス:アジア・オセアニア
「リトル・ラサ」と呼ばれた町はインド北部、ヒマチャルプラデシュ州の丘陵地にある。
チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世と亡命チベット人約6000人が暮らすダラムサラだ。
万年雪のヒマラヤ山系を仰ぐ標高1800メートルのこの地が今、世界の注目を集めている。
1959年に現在の中国チベット自治区ラサを逃れ、チベット亡命政府を樹立したダライ・ラマがチベット騒乱に関するメッセージを発信しているのだ。
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「いささか慎重すぎるのではないか」
16日の会見でダライ・ラマが不満をもらしたのはインド政府の対応だった。
「中国の自治区であるチベット問題の原因を除去するため、すべての当事者が尽力することを希望する」
ラサで起きたチベット騒乱で多数の死傷者が出たことに対し、インドのマンモハン・シン政権が発表したコメントは中国政府に配慮した内容となっていた。さらにインド政府は、ダラムサラ近郊で反中国のデモ行進をしたチベット人ら100人以上を拘束していた。
だが、インドの対応はダライ・ラマには十分予測できたはずだ。インド亡命直後、当時のネール首相から通告されていたのである。
「亡命下の自由・ダライ・ラマ自伝」によると、ネール首相は机をたたきながら「インドは亡命政府を認めるわけにはいかないのだ」「流血を避けてチベット独立を実現したいというが、それは不可能だ」と、当時23歳のダライ・ラマに言い聞かせたという。インドはその後、88年にチベットを中国の自治区として承認さえしている。
亡命政府を認めないインドになぜ、「リトル・ラサ」ができたのか。インドの不思議がここにある。
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インド東部コルカタ(旧カルカッタ)郊外のタングラ地区は、治安が悪いため観光客が寄りつかない場所だ。インドに唯一存在するという中華街、つまり「リトル・チャイナ」である。