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(回答先: ダライラマ法王に直接お聞きしたお言葉. 投稿者 Narongchai 日時 2008 年 3 月 24 日 01:08:52)
>それで私はそのあまり例のない立場の人間として、チベッタン民族、
>チベット仏教への影響の岐路に立った時、私は祈りとか不思議な力とかには頼りません。
チベット民族の守護神との対話なしに、行き先の道路(みちろ)に誤りがあるかどうか神との祈りと相談なしに動く事は出来ない。上の話では、基本的に唯物論者になってしまい、神の存在をそのものがあるかないかレベル問題に終っている。だから、手を翳して直す霊的手術の存在も否定している唯物論者になっている。当然、唯物論のマルクス共産主義政党である中国共産党に近付き、悪魔に近付いても疑念を持たないのは当たり前であると。
単なる手を翳して手術をしている訳ではなく、守護神の医者の霊が其の病気を治す為の知識を持っていて、其れを局部に光線治療によって治しているのである。だから、霊的治療であると。其れは霊の存在があるから霊的治療が行なう事が出来るのであって、見た目では、霊能者以外は、霊を見る事は出来ない。たまたま感度の良い写真に、波長があって写真に霊の存在を写す事は出来るが、それはまれしかない。電磁波の波長が合わなければ
写す事が出来なくなるからである。人間の目で見える波長の範囲は、限られている事も忘れてはならない。守護の神々は、色んな意味で働き掛けていると思う。まして宗教指導者と権威を与えるダライダマ法王は、天の権威を与えなければならないから働きかけるでしょう。雷が落して働き掛けても自然現象だと思えば、それでおしまいであると。自分の心を照らして、良心があっていない時に雷が落されれば、これは叱られたと感じるのが昔の自然崇拝の宗教感情であるが、其れさえも忘れた人の言葉であるが。神の存在、霊の存在を否定し、求めなければ、何を指針として話をなされているのか。佛教で言う静けさの中の神との良心との対話の中で、仏様から頂いた知恵を基づいてチベット民族を救わなければならない立場の人が、神無しチベット民族の救いはないでしょう。
先ず、ダライダマ法王は知る事は、神の存在を知る事である。でも可笑しいな。チベット仏教に導かれて、悟りを開きアダムスキーは、お墓の中で泣いているのでは。
金星にいる人工基地の異星人との霊的会話で世界に導いたアダムスキーは可愛そうだよ。