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(回答先: ちょっと待ってくださいよ! ダライ・ラマのもう一つの顔 投稿者 おっさん 日時 2008 年 3 月 21 日 22:45:27)
>>ただ、チベット独立に関しては私は慎重な態度を取るべきと思います。チベット人が固有の領土と考えている地域は、チベット「自治区」よりもはるかに広い領域です。その領域には、パキスタンとインドが領有を争っているカシミール地方も含まれています。チベット独立を望まない国は中国だけではありません。
>といいますが具体的な内容が書かれていません! 当然チベットの国土は自治区だけではありません。 自治区は占領者が軍事的に制圧し制定したものです!カシミールをチベット民像が領有を争っているなどとの話は聞いたことがありません? どうして話を複雑にするのでしょうね? 何か特別ナイトが見え隠れしますね!
世界史地図(吉川弘文館、1986、(^^;)を開いているのですが、「1600年前後のアジア」という地図では、「烏斯蔵」の領域がコータンとカブールを直線で結んだ1:2のあたりまで飛び出していて、おそらくカシミールの北東部を含んでいると思います。
で、http://ja.wikipedia.org/wiki/チベット によると
チベット亡命政府は、難民を受け入れているインド・ネパール等の諸国への配慮もあってか、自身が主張するチベット国家の領域としては、吐蕃王朝時代の領域ではなく、グシ・ハン王朝時代(1642年〜1724年)の統合領域を主張している。
となっています。
地図帳では、次の地図は清朝に呑み込まれた後の1724となっていて、残念ながら「グシ・ハン王朝時代(1642年〜1724年)の統合領域」は出てきませんでした。
* 「吐蕃」(12世紀末)ではカシミールを含んでいる。「吐蕃」(13世紀末)と「烏斯蔵」(15世紀前半)ではコータンの南にまで後退している。「烏斯蔵」(1600年前後)で再び含んでいる。清朝の西蔵(1724)では含んでいない。
(1)「1600年前後の」「烏斯蔵」の領域ではカシミールの北東部を含んでいたが
(2)「グシ・ハン王朝時代(1642年〜1724年)の統合領域」ではカシミールは放棄していた
という認識でよろしいのでしょうか?