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僕たち一行が降り立ったのは金浦空港だった。
金浦空港は1939年、日本軍の空港として誕生し、その後アメリカ軍の飛行場として利用されたが、1971年から韓国の玄関、国際空港として生まれ変わった。2001年、世界的な空港として、仁川国際空港が作られてからは、いったん国内線専用になるが、2003年からは羽田─金浦間に限って国際線も復活した(ちなみに2007年には上海─金浦間も復活)。なんとも日本にかかわりの深い空港なのだ。
金浦空港というと、やはり『よど号事件』を思い出してしまう。北朝鮮のピョンヤンと偽って、日韓政府が『よど号』を誘導したのがこの空港だ。そのとき、韓国兵に北朝鮮兵の服装をさせ、女性兵士に「平壌到着歓迎」のプラカードを掲げさせるなど、一大偽装工作が繰り広げられた。もちろん、犯人グループを逮捕するためだった。ところが犯人グループに見破られてしまう。
その理由についてはいろいろな説がある。「アメリカのノースウエスト航空機などが駐機しているのが発見された」「犯人グループが持っていたラジオをつけたらアメリカの音楽が流れた」「ジープに乗った黒人の兵士に気づいた」「北朝鮮の職員に偽装した韓国の警官が『日本の大使が待っています』と発言した」「兵士に北朝鮮の経済発展5ヵ年計画について訪ねたら、答えに窮した」「金日成主席の写真を持ってくるように言ったが、持ってこられなかった」などなど……。
何かの必要からこの事件を誇張しようとする人たちが、あとから付け加えたのではないかと思われるものもある。ただ、僕が北朝鮮で聞いたところによると、犯人グループの誰かが空港の様子を見て不審に思い、ラジオをつけてみたら北朝鮮とはイントネーションが違うアナウンサーの声が大きく流れたことで、異常を察したという。韓国語を知らない犯人グループだったが、南北の抑揚の違いだけは知っていたのだ。うなずける話だ。
だが、北朝鮮の一般の人々は、犯人グループのピョンヤン亡命を含め、『よど号』事件の一切について、知らされていなかった。ましてや彼らが日本人拉致事件に関与しているなどとは……。
いずれにせよ、現代史においては、日本と特別馴染みの深い金浦空港に、韓国訪問の第一歩を刻めたことは、なんだか因縁めいているような気がする。
http://www.shinchosha.co.jp/topics/hasuike/blog/2008/03/_3_1.html