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http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2008/02/273_a8f5.html から転載。
02/05/2008
第273号 韓国で小林多喜二を読む
>「日々通信」いまを生きる 第273号 2008年2月5日<
発行者 伊豆利彦
ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu
「帝国主義と文学」 韓国で小林多喜二を読む
全州大学で開かれた韓国日本語文学研究会の講演の原稿化がようやくできてほっとしたところだ。「帝国主義と文学」というテーマが重かった上に、体調もわるく、いろいろ事故もあって難行苦行した。おかげでこの通信も発行がすっかり遅れてしまった。
前号に記したように、小林多喜二は北海道の植民地的搾取を追及したが、日本人労仂者に対する苛酷な虐使は朝鮮人に対するさらに苛酷な虐使の基盤であり、朝鮮人や中国人に対する強制連行による虐使の基盤である。
一方、日本人労仂者には低賃金で働く朝鮮人に対する反感がつよかった。この問題は朝鮮人労働者の労働条件を日本人労仂者と同じにすることによってのみ解決されるのだが、資本家階級は敵対的な民族感情をあおって労働者階級を分裂させ、朝鮮人労働者の低賃金を維持し、これによって日本人労仂者の労仂条件を悪化させた。
「東倶知安行」「蟹工船」「転形期の人々」は日本帝国主義の植民地的搾取の実態をあばき、北海道の底辺を流浪する朝鮮人の問題を描き、民族的差別と対立を超えた共同のたたかいによってのみ、日本人労仂者も解放されることを示した。
多喜二が死んだとき、魯迅は次のような言葉を寄せた。
日本と支那との大衆はもとより兄弟である。資産階級は大衆をだまして其の血で界 (さかい)を描いた、又描きつつある。
しかし無産階級と其の先駆達は血でそれを洗っている。
同志小林の死は其の実証の一つだ。/我々は知っている、我々は忘れない。
我々は堅く同志小林の血路に沿って前進し握手するのだ。
朝鮮問題に則して魯迅の言葉をを読むならば、次のようになると思う。日本と朝鮮の人民はもとより兄弟だ。資本家階級はだまして互いに反目させ、対立・抗争させる。しかし、小林多喜二ら無産階級とその先駆達は、血を流してこの対立を乗りこえともにたたかう道を切り開いたのだ。多喜二はそのたたかいの途上に倒れた。我々はこの同志小林多喜二の道を受け継いで日朝両国人民の握手を実現するのだ。
これは1933年、朝鮮は日本の植民地であり、中国では日本の軍部が満州事変をはじめ、長い戦争に突入した時代の言葉である。その後12年間戦争1945年8月に日本帝国主義がついに倒れ、アジアの諸民族が独立を実現し、日本人民も帝国主義的抑圧から解放された。戦後60年、独立したアジア諸国は新しい共同によってさらに大きな飛躍を実現しているが、米国に追随する日本では過去の侵略の歴史を美化し、新しい諸国間の共同と発展に反対する勢力が支配しつづけている。いま、多喜二の道を受け継ぐということは、この勢力とたたかい、新しい共同と繁栄の道を切り開くことだと思う。
昨日は立春、いよいよ旧正月を迎える。一昨日は久しぶりの大雪だったが、昨日はおだやかに晴れて、春を思わせる白雲が浮んでいた。寒がきわまって春がくる。ながくつづいた戦争も必ず終わる。旧正月といえば、ヴェトナム戦争のテト攻勢を思い出す。中国をはじめアジアの国々が旧正月を祝う。日本でも私の子供の頃までは旧正月にはお餅をついて祝った。古い習慣を未練なく捨てて、日本人の生活は根無し草になっているのかもしれない。そして一度捨てたものは取り返すことが難しい。この頃、日本人の根無し草性を思うことが多い。
漱石は英国留学中、次のように書いた。
人は日本を目して未練なき国民といふ。数百年来の風俗習慣を朝食前に打破して毫も遺憾と思はざるはなるほど未練なき国民なるべし。去れども善き意味にて未練なきか悪しき意味において未 練なきかは疑問に属す。西洋人の日本を賞讃するは半ば己れに模傚し、己れに師事するが為なり。其支那人を軽蔑するは己れを尊敬せざるが為なり。 (句読点は引用者による)
漱石における「過去」の問題は、日本の近代の根本にある問題のように思われる。韓国漱石研究会(2004年11月27日)の講演ではこの問題についていくらか考えた。あらためて考えてみたい。
参照 夏目漱石の前期三部作と過去夏目漱石の前期三部作と過去http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/kankoku%20kouen%20sanbusaku.htm
2月は1年で一番寒い月だろう。それを春と呼ぶところに東アジア文化があるように思われる。この2月を皆さん元気におすごしください。