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□ボルトン米国連大使の退任−世界の目は? [JANJAN]
http://www.janjan.jp/media/0612/0612055930/1.php
ボルトン米国連大使の退任−世界の目は? 2006/12/06
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ボルトン(John R. Bolton)米国連大使が、先月の議会中間選挙での与党共和党の敗北を受けて辞任を表明した。民主党の躍進のみならず、共和党内でも同氏の承認に異論を唱える声があり、任期延長に必要な議会承認が得られない情勢に応えた辞任と見られる。ボルトン氏はイラク戦争を推進した強行派とも知られ、ブッシュ政権の先行きに新たな不安をもたらしたとも言える。(参考:NHKニュース、産経新聞、など)
さて、このボルトン氏、一体どんな人物なのか。退陣がブッシュ政権にとって損失だといわれる要因を探ってみる。(参考:ウィキペディア英語版)
1948年、ボルトン氏はメリーランド州バルチモアで、消防士の息子として生まれた。大学時代にベトナム戦争があり、戦争を支持したものの従軍していない。エール大学の25周年同窓会冊子に「私は東南アジアの田んぼで死ぬのなんてまっぴらだった。ベトナム戦争は既に負け戦だと思っていたし」とベトナムに侮蔑を込めた語調で書き寄せているという。
国連大使以前のキャリアは、国務省や法務省、国際開発局勤務を経ており、レーガン、ブッシュ父、ブッシュ息子政権に欠かせない“ブレイン”的役割を果たしてきている。たとえば、日系人の戦後補償問題。最近ようやく政府の謝罪とともに賠償が認められたが、実はレーガン政権時代に問題になった際、ボルトン氏が補償に反対している。麻薬との関連を前提にした不法移民の取り締まり政策、対イラン政策のための調査等、本人も「高校時代からの筋金入りの右派」と自負するほどの、「コンサバ政策」を打ち出している。
一方で、ノーベル平和賞に推薦された経緯もあるのだ。イランの核開発の告発と、イランの国際原子力機関への不正申告の追及を評価するとして、2006年2月、スイスの前副首相で自由党党首のパー・アルマーク(Par Ahlmark)氏より、ボルトン氏と同じくメリーランド出身の共和党系活動家でイラン民主財団代表の、ケネス・ティマーマン(Kenneth Timmerman)氏と併せて後押しを受けたのだ。(参考:Foundation for Democracy in Iran ホームページ)
これは推薦で終わって何よりであったと私は思う。本来、普遍的な平和活動を評価すべきノーベル賞が、一国の政治活動に絡んだ活動を評価するようになれば、その中立性を失う観があるからだ。
ボルトン氏は近年、2005年以来、ブッシュ政権下で米国連大使を務めている。彼のおよその人物像が見えてきたところで、世界各地の報道の様子を見てみよう。(12月5日13:00現在。ホワイトハウスの退任発表は、現地時間12月4日 / 地域別になるべくランダムに選択したが、各国語の新聞ではなく英字新聞限定であること、ローカル紙・中央紙が入り混じっていること、各国の政治体制に筆者が通じていないこと等の理由から、各誌の記事の偏りを見逃している可能性を考慮しながら参考にして欲しい)
◆<ニュージーランド>ニュージーランド・ヘラルドニュース:
米国に関しては、ブッシュ大統領のバクダッド訪問のみ。国際面のトップ記事は、フィジーの政治情勢について。
◆<香港>ザ・スタンダード:
ボルトン氏については国際面に特に記載なし。トップはやはりフィジーの動向。
◆<ケニア>デイリー・ネーション:
国際面トップは、ソマリアの反米運動について。ちなみにボルトン氏については、11の記事中、最後の方に記載あり。
◆<アラブ首長国連邦>DPMニュースエージェンシー:
国際面トップはラムズウェルト米国務長官の対イラク政策の転換について。ボルトン氏については言及なし。
◆<チリ>サンチャゴタイムス:
ボルトン氏については特になし。ベネズエラのチャべス氏3選のニュースが一面に。
(なお、ヨーロッパとアメリカのニュースは、比較的入手し易いことから割愛した)
こうしてみると日本のマスメディアは、とりわけアメリカのニュースに過剰反応しているように見えてくる。世界はアメリカを別の目で見ているし、もっと重大なニュースが世界には渦巻いている。
(根岸朋子)