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■お茶を売る少年―パレスチナ・ガザ地区 -The Tea Boy of Gaza- (その1)
ディレクター オリー・ランバート
12歳のマムードは、独特の目線からパレスチナの派閥紛争を見つめています。彼は、ガザ地区最大の病院であるアル・シファ病院で、患者やスタッフにお茶を売って一日を過ごしています。
マムードは、医師や看護師や病院職員や患者たちでごった返した中を、実に巧みに身をかがめて縫うように進みながら、熱くて甘いお茶の入ったやかんをその間ずっと手に持ち、お茶が冷めないうちに必死に売り込みます。しかし、マムードがお茶を売る相手は医師や看護師だけではありません。
アル・シファ病院には、ガザ地区に無数に存在する対抗派閥やグループの武装戦闘員であふれています。昨年のイスラエルへの入植者や軍隊の撤退以来、2大政治派閥である「ファタハ」と「ハマス」の抗争を始めとして、対抗する有力グループ間の抗争が激化してきました。
負傷した、戦闘員とその仲間は、必然的に病院の通路で顔を合わせることなり、彼らによる銃撃戦は、日常茶飯事となっています。「たいてい何でもないことから撃ち合いが始まるんだよ」マムードは語ります。「彼らは、本当は病院の中へ銃を持ち込んではいけないんだけど、いけないと言われると、とたんに発砲し始めるんだ。でも僕はこういうめちゃくちゃな状態がすごく気に入ってるんだよ」。
マムードが好んでお茶を売り歩くのは、産科病棟です。たいていの場合、ひとまわりすればお茶を全部売り切ることができます。その後、彼は整形外科棟や手術棟などの込み入ったエリアへ向かいます。彼はそこで、新たにアル・シファ病院の職員として加わった、重武装をした「ハマス」の警備兵の間を上手く擦り抜けねばなりません。
2006年1月のパレスチナ評議会選挙で、ハマスが衝撃的な勝利を収めアル・シファの支配権を握ってからは、すべてが変わってしまいました。国際社会は、選挙で軍事組織が選ばれたことを非難しました。イスラエルは、ガザ地区との国境を封鎖し、パレスチナ人の移動と物資の流入を禁止したうえ、通常であればガザ地区の銀行を通して送られるはずの、1ヵ月あたり5000万米ドル(2800万ポンド)の税収送金を凍結し始めました。
国際社会もまた、これまでガザの人々の生活を支えてきた、年間10億ドル(5億8400万ポンド)にのぼる資金援助を停止しました。その結果、ここ5ヵ月間、公務員には全く給与が支払われていません。日常的な食料品の値段が高騰し、マムードのお茶を買う小銭を持つ人さえ、次第に減ってきました。
アル・シファ病院の多くの職員同様、看護師であるアフマド・アル・マグリブも、収入を補うために他の手段に目を向けざるをえなくなりました。空いた時間には、ガザ市内でタクシーを運転しています。「私たちはなんとかして生き延びなければなりません」彼はこう語ります。「私は看護師として23年の経験があるにもかかわらず、この5ヵ月間、給与をもらっていないのです。これが、私たちが民主主義と引き換えに払った代償です」。
■お茶を売る少年―パレスチナ・ガザ地区 -The Tea Boy of Gaza- (その2)
アル・シファ病院での銃撃戦多発を憂慮して、「ハマス」は200人規模の重装備「新治安部隊」を導入し、病院を統制下に置くようにしました。「ハマス」軍司令官アブー・アブドゥラの指揮下で、6人1組の武装兵チームが、ドアを警備し、定期的に敷地内と駐車場の見回りを行っています。
「商売がとてもやりにくくなってしまったんだ」。アル・シファ病院の門から、目と鼻の先にある家のバルコニーに座り、マムードは言います。彼は、この家に6人の兄弟姉妹と暮らしています。「以前は、1日にカップの山2つ分のお茶を売っていたけど、今では山1つ分くらいしか売れない。ひどいときは、その半分もいかないんだ。でもだんだん、兵士たちに見つからずにこっそり忍び込む方法がわかってきたんだよ。もしドアを警備している兵士が1人だったら、たいていの場合、無料でお茶を1杯こっそり渡せば中に入れてくれる。それもやりにくくはなっているけどね」。
マムードは、何年間もの経験から、お茶の売り上げを上げるための多くの技を磨いてきました。「例えば、誰かが3人座っているところで、他の子たちがお茶を売ろうとしていたら、僕は割り込んでいってその人たちみんなに無料でお茶を差し出すんだ。すると彼らはお茶を受け取るんだけど、気が引けて、いくらかお金を払ってくれる。この方法はいつもうまくいくんだ」。
マムードの父親ワヘルは、幼い息子が売り込みの達人になっていくことをあまり快く思っていません。3年前、彼の金属工場は、パレスチナ軍の兵器を製造していると疑われ、イスラエル空軍に爆破されました。ワヘルの暮らしは一夜にして破壊されたのです。
「息子には、私より恵まれた生活を送ってほしいと願っているのに、私は眠っている彼を起こして、生活のために働かせないといけないのです。こんなことはしたくはありませんが、こうして生きるしかないのです。私の手には負えません。マムードに働いてもらわざるを得ないのです」。
「彼は兄弟を養うためにお茶を売りに出かけていきます。人生とはまったく過酷なものです……」。
(以上)