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生体解剖:フィリピンでも 大戦末期 元衛生兵が証言
第二次大戦末期、フィリピン・ミンダナオ島で、負傷兵の治療などに当たっていた元上等衛生兵曹の牧野明さん(84)=大阪府枚方市=が、仕えていた軍医とともに現地住民を生きたまま解剖したことがあると証言、その体験を基に、近く語り部活動を始める。解剖は軍医が衛生兵の医療実習として個人裁量で行ったとみられる。戦時中の生体解剖は旧満州(現中国東北部)の生物戦部隊「関東軍731部隊」が中国人に行った例が知られているが、専門家によるとフィリピンに関する証言は初めてという。【久木田照子】
牧野さんは海軍第33警備隊の医務隊に所属。1944年8月から同島西部のサンボアンガ航空基地で負傷兵の治療などに当たった。医務隊は30代の軍医(大尉)を筆頭に、補佐役の牧野さんら三十数人がいた。
牧野さんによると、解剖は同年12月から、米軍のスパイと疑われた住民(捕虜)に対し、基地内の病院で行われた。軍医の指示を受けながら2人で執刀。麻酔をかけた上で、10分〜3時間かけて、手足の切断や血管縫合、開腹手術などをした。解剖中は部下が助手や見張りをした。
米軍上陸直前の45年2月まで3日〜2週間ごとに行われ、犠牲者は30〜50人に上るという。遺体は部下が医務隊以外に知られないように運び出して埋めた。
牧野さんの部下だった80代の男性は「かわいそうで解剖には立ち会わなかったが、(何が行われていたかは)仲間に聞いて知っていた。遺体も見た」と話している。
解剖が始まる2カ月前には、レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅的な打撃を受け、サンボアンガも空襲されるなど戦局は厳しさを増していた。軍医は牧野さんに「おれが死んだら、おまえが治療を担当しなければならないから」と解剖の理由を説明したという。
45年3月に米軍が同島西部に上陸後、日本兵はジャングルを敗走。病気や飢えなどで医務隊も大半が死亡し、軍医は自決したという。
牧野さんは「命令に逆らえず、むごいことをした。戦争体験者が減りつつある今、自分には戦争の真実を伝える責任がある」と話している。
毎日新聞 2006年10月19日 3時00分
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061019k0000m040119000c.html