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□イスラエル大統領にウィーゼル氏浮上=ノーベル平和賞受賞者 [AFP=時事]
http://news.www.infoseek.co.jp/world/story/20061018afpAFP009178/
イスラエル大統領にウィーゼル氏浮上=ノーベル平和賞受賞者 (AFP=時事)
【エルサレム18日】女性への暴行疑惑で弾劾の危機に立たされているイスラエルのカツァブ大統領の後任として、1986年にノーベル平和賞を受賞した作家エリ・ウィーゼル氏(78)が浮上している。≪1枚目の写真はウィーゼル氏≫
イスラエル紙マーリブは、オルメルト首相の側近の話として、同首相は次期大統領の最有力候補の1人としてウィーゼル氏を検討していると伝えた。ただ、同氏にはこれまでのところ打診はないという。ウィーゼル氏は米国籍だが、イスラエルに帰国すれば同国の市民権を獲得できる。≪2枚目の写真はカツァブ大統領≫
ウィーゼル氏は40作品以上の著書を執筆。中でも、アウシュビッツ強制収容所での体験を描いた「夜」は高く評価されている。ルーマニア生まれの同氏は、10代の時にアウシュビッツ収容所に送られた。その後、フランスから米国に渡り、63年に米市民権を獲得した。
[2006年10月18日22時18分]
▽エリ・ヴィーゼル [フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』]
エリ・ヴィーゼル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エリ・ヴィーゼル(エリー・ウィーゼルとも表記、Elie Wiesel 1928年9月30日 - )はルーマニア出身のアメリカのユダヤ人作家。自らのホロコースト体験を自伝的に記し、1986年にノーベル平和賞を受賞した。現在、ボストン大学教授。
ハンガリー名ヴィーゼル・エリエーゼル(Wiesel Eli斯er)としてシゲトに生まれる。生家は食料品店を営む、ハンガリー系の正統派ユダヤ教徒の家庭だった。ヴィーゼルは幼時よりヘブライ語やトーラーやカバラを学んだ。
シゲトは1940年にナチスドイツの占領を受け、この町のユダヤ人は1944年に強制収容所へ送られた。ヴィーゼルはアウシュヴィッツで囚人番号A-7713の刺青を左腕に彫られた上、家族と死に別れた。
戦後、フランスの孤児院に送られてフランス語を学ぶ。1948年にソルボンヌ大学へ入学し、哲学を専攻する。ヘブライ語教師や合唱団長の職を経てジャーナリストとなった彼は、イディッシュ語やフランス語でイスラエルやフランスの新聞に寄稿するようになったが、戦後11年もの間、ホロコースト体験だけは扱う気になれなかった。しかし友人モーリアックの勧めにより、ヴィーゼルはホロコーストについて書き始めた。こうして小説『夜』の出版にこぎつけたが、モーリアックの後押しにも拘らず、この本は当時ほとんど売れなかった。
1955年、イスラエルの新聞『イェディオト・アハロノト』の通信員としてニューヨークに移住。1963年、米国に帰化した。
彼は米国で40冊以上の本を書き、多数の文学賞を獲得した。ホロコーストという言葉に現在のような意味を与えたのが彼だということは、多くの歴史家が請け合っている。
暴力や圧政や差別を告発する本を書き続けて、1986年にノーベル平和賞を受賞。このほかにも多数の栄誉を授けられているが、ユダヤ人社会の一部からは批判も受けている。たとえば急進的左翼活動家で言語学者のノーム・チョムスキーは、パレスチナ問題でイスラエルにばかり肩入れしてパレスチナ人の苦しみから目を背けているとヴィーゼルを糾弾した。政治学者ノーマン・フィンケルスタインは、ヴィーゼルが法外な講演料を要求し、ホロコーストを金儲けに利用していると非難した。このほか、ヴィーゼルの政治思想は(過度にイスラエル寄りであるということで)クリストファー・ヒッチンズなど一部の非ユダヤ人からも問題にされている。