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以下引用
【ワシントンIPS=プラタップ・チャタジー、8月11日】
ゴラン・ハベブさんが何者かによって狙撃されたとき、彼は自分の兄弟と7才になる娘のソリーンちゃんと共に車に乗り込もうと家を出たばかりであった。その狙撃犯が警官の制服に身を包んでいるのに驚いて、白のトヨタ・プレヴィアを急発進させ何とか逃げた。
ハベブさんは、イラク北部の都市キルクークの米軍基地へと出勤する前に娘を学校で下ろそうと考えていた。イラク人である彼は、チタン社(本社:カリフォルニア・サンディエゴ)の通訳として働いていた。同社は、イラクにおいて数千人の通訳を雇う莫大な契約を結んだ軍事請負会社である。
ハベブさんがホッとできたのはほんの数分間だけだった。兄弟を車から降ろした後、悪夢が始まった。2台の車が近寄ってきて、またも発砲を始めたのである。彼はピストルを取り出し応戦した。その間、娘を銃弾から避けようと必死だった。しかし娘は3発、ハベブさんは7発の銃弾を受けた。そのうち1発は彼の脊椎を損傷した。
「背中に何かを感じて倒れこんだのです」と彼はインタビューに答えている。
ハベブさんが死んだとおそらくは勘違いし、狙撃犯は急発進で逃げた。地元の人たちがハベブさんをアザディ病院に連れてゆき、彼の父親が、バラッドにある米軍最大の基地であるキャンプ・アナコンダに彼を空輸するようキルクークの基地に要請した。軍医たちが子供用の薬はないと告げたため、娘はまず地元の病院に連れて行かれ、その後に、スラマニア近くのイタリアの病院に連れて行かれた。
それは2004年11月のことであり、ハベブさんはそれまでに1年以上もチタン社に勤めていた。とりわけ、第173空挺旅団、第64軍警察中隊、第21歩兵隊を相手としてきた。キルクークでハベブさんとともに働いていた人々だけではなく、これらの部隊の兵士たちも、ハベブさんの事件は事実であったと証言している。
チタン社のハベブさんの同僚の多くは、もっとひどい目にあってきた。米労働省の統計によると、チタン社の通訳199人がイラクにおいて殺害され、491人が負傷している。これは、イラクの企業の中で最大の被害者数である。
チタン社を買収したL-3コミュニケーションズ社の広報担当リック・キアナン氏は、「従業員は最も危険な目にあっている」と語る。「彼らは戦闘員とともに活動し、特別部隊とともに活動し、歩兵隊とともに活動する。そのため最も危険な場所に行く可能性が高くなる」。キアナン氏は、『ナイト・リダー』紙に対して、昨年末までに殺害された人間の3分の2は、米軍とともに活動していたことが原因で殺された、と述べている。
「L-3コミュニケーションズ」社にこの件でコメントを求めたが回答はなかった。
しかし、『サンディエゴ・ユニオン・トリビューン』紙のある記者は、高い死亡率の責任は同社と政府にあるとしている。この記事には、「チタン社を初めとした企業の従業員は、もっぱら試行錯誤を通じて行われる政府の請負契約の実験の一部であった」と書かれている。2004年の大部分をイラクにおけるチタン社の最高幹部として過ごしたリック・イングラム氏が、同社のイラクにおける契約は「進行中の実験」であると認めたと記事には記されている。「私はそのような訓練を受けたことはない。海兵隊に31年間いたが、私を座らせて、戦場における契約について教えてくれたクラスはなかった」とイングラム氏は言う。
これは、ハベブさんにも当てはまる。公的には彼は民間通訳ということになっている。しかし、彼の仕事にはしばしば軍事的機能も含まれる。たとえば、彼は時たま村々に一人で送り込まれ、武装勢力を探しその場所をひそかにGPSで記録して軍に送ることがあった。これは通常、諜報員が行う仕事である。
「私たちはテロリストを探し、時には兵士とともに出掛けてテロリストの居場所を教えなければなりません」とハベブさんは言う。もし彼が一緒に行かなければ、米兵はしばしば誤った家に踏み込んでしまう。時には、ハベブさんは銃撃に巻き込まれ銃で反撃しなくてはならなかった。これまもまた、彼の職務内容に含まれないものである。
諜報活動と戦闘において積極的な役割を果たしていたことが、おそらくはハベブさんが襲われた原因のひとつだ。「私は、[米軍の]協力者のゴラン・ハベブを殺したとテロリストがテレビで語っているのを見たことがあります。でも、医者が私の命を救うことができないと言ったので、私がまだ生きているとは彼らは知りません」とハベブさんは語る。
チタン社の他の従業員も、戦闘的役割の補佐をするよう軍が時々要請してくることがあると認めている。チタン社の現地管理職の一人、ドリュー・ハルドーソンさんは、第82空挺師団がイラクで最も危険な都市のひとつモスルの下町をパトロールする際に同行するよう要請されたことがある。
ハルドーソンさんは、2005年1月の間に40回以上の戦闘作戦に参加した。ドアを蹴破り、武装勢力と疑われる者を逮捕し、「銃を撃ち、銃を撃たれた」、「1月だけでも300発から500発は弾を撃ったよ」と彼は『サンディエゴ・トリビューン』紙に語っている。同紙は、第82空挺師団の司令官の一人にその事実を確認している。
ハルドーソンさんもハベブさんも、その後仕事を失っている。ハルドーソンさんは、同僚の請負業者とイラクの民間人に攻撃用ライフルと銃を売ったことへの報復として狙撃され、メリーランド州へ帰っている。ハベブさんはキルクークにとどまり、脊椎損傷のために起こった激しい背中の痛みに耐えている。
チタン社の従業員に保険を提供している「アメリカン保険グループ」(AIG)は、ハベブさんがドイツで治療を受けるための保険金を出すことを拒否した。また、保険でカバーされていないとして、娘のソリーンちゃんの治療費を出すことも拒んだ。ハベブさんは、「怪我をした他の通訳もドイツやアメリカに向かったよ」という。
彼はまた、米国人の通訳(そのほとんどがイラク生まれ)が、地元の通訳より10倍も多い給料をもらっていることを快く思っていない。しかも彼らは地元の人間より仕事量が少ないのである。「私たちの給料は、米兵とともに働いて月750ドル、都市の外で作戦に従事して月1,000ドルでした。でも、米国人は、基地内部で文書を訳したりして月に7,000ドルもらうのです」とハベブさんは語る。
しかし、AIG社が完全にハベブさんを見捨てたわけではない。同社は、ハベブさんが治療で3回ヨルダンに出掛けた分の金額を支払った。しかし、医師たちはハベブさんから搾り取ろうとした。「最初彼らは私の週手当を取ろうとしました。しかし、それは本来私が受け取るべきお金だということに気づき、それならもっとよい治療をするよう医者に要求したのです」。ハベブさんはまた、300ドルの週手当では娘の治療費に足りないとわかって非常にがっかりした。
AIG社のヨルダン現地法人「アリコ」は現在、ハベブさんに現金を渡して事態を解決しようとしているが、彼が望むのは仕事に復帰することだ。「いま、私は仕事をすることができず、1日中家にいます。でも、テロリストはいつでも私の背後にいるかも知れず、私はまだ安全ではないのです」。ヨルダンのアリコ社にコメントを求めたが反応はなかった。
しかし、ハベブさんは幸運な方だったといえる。ハベブさんの事件の1ヶ月前、アンサール・アルスンナの武装集団が、ドフクという近くの都市で働いていたチタン社の通訳ラクマン・モハメッド・クルディ・フセインさん(41)の処刑の様子をインターネットに流した。他にも、怪我をして帰ってきた人たちがいる。
チタン社はそれ以後「L-3コミュニケーションズ」社(本社:ニューヨーク)に買収され、イラクの軍隊に5,000人の通訳を供給する新しい契約を狙う筆頭格の企業である。米陸軍諜報安全保障司令部は、この契約は46.5億ドル相当と試算している。契約申請の締め切りは8月14日である。(原文へ)
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