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http://www.nnn.co.jp/rondan/tisin/061005.html から転載。
温故知新 −ビル・トッテン−
テロ戦争への道歩む日本
2006/10/05の紙面より
イギリスのブレア首相が二〇〇七年に退任することを表明した。ブレア首相は、ブッシュ大統領と緊密に連携してイラク戦争を支持しているということから英国民の不評を買い、特に労働党内での支持率が低下していた。
米国追随ますます
イラク戦争で米国に追随した国のリーダーは、イタリアとスペインの首相がすでに退任している。米国の、武力によってテロの脅威を封じ込めようという政策が、多くの国で国民に受け入れられなくなっている中で、小泉首相の後を継いで米国追随をさらに深めようとする安倍首相は、世界の中でもますます際立つことになるだろう。
安倍首相の外交政策のキャッチフレーズは「主張する外交で『強い日本、頼れる日本』」だという。そしてその基盤は日米同盟関係にあるというわけだから、これまでにも増して海外での武力行使を可能にすることで、つまり「集団的自衛権の行使」という名目で日本を米国とともに戦争をする国にしていこうとするだろう。小泉政権はイラクへ自衛隊を派兵したが、これからは武力行使やミサイル防衛など、過去六十余年間平和が続いた日本を戦前に退行させるかのような勢いとなるだろう。ブレア首相退任の後、イギリスに代わって米国の先制攻撃を支援する国が日本になることすらあり得る。
矛盾だらけの報告
「テロとの戦い」は、小泉政権になった年の九月十一日、米国が世界貿易センタービルに航空機が激突するなどの、いわゆる「同時多発テロ攻撃」を受けてから始まった。それから五年たち、そのテロで二千九百七十三人が殺されたことへの報復として、犯人であるサウジアラビア人を訓練したというアフガニスタンを攻撃し、次にイラクが侵略され、新たにイランやシリアまでもが「テロとの戦い」の場になりつつある。アフガニスタンやイラクでは、当初のテロで亡くなった人をはるかに超える数の民間人が殺された。
しかし今になって、九月十一日のテロリストが行ったとされる攻撃があらためて疑問視されている。米国や日本の政治指導者たちは言わない。大新聞もテレビの七時のニュースでも報道されることはない。しかしフリージャーナリストや反戦活動家、一般の人々、それから米軍兵士でさえも、米国の「テロとの戦い」を検証し、不自然さを問い始めている。
なぜなら調査委員会の報告書は矛盾だらけであり、あまりにも多くを米国政府は隠しているからだ。テロの後しつこくテレビで何度も放映されたビルへの激突シーンはその後スクリーンから消えた。ビルは解体されたかのようにきれいに崩れ落ちた。飛行機が激突したはずのペンタゴンには穴だけで飛行機の破片もなかった。しかしそれでも半分以上の米国民にとっては、脳裏に焼き付いた飛行機の激突シーンだけでアフガニスタンとイラク攻撃を納得させるには十分だった。
今年の九月十一日、英インディペンデント紙は同時テロを特集し、「テロとの戦い」で殺された世界の民間人七万二千人、九月十一日以降にアフガニスタンとイラクで殺された米国人兵士二千九百三十二人、イラクで殺されたイギリス兵士百十七人、といった数字を列挙した。そして、この「テロとの戦い」にイギリスが勝っていると思うかという調査結果では、Yesと答えたイギリス人はわずか7%だった。英政府はイラクとアフガニスタンの戦争に四十五億ポンド(約九千七百九十八億円)も支出している。
戦争自体テロ行為
日本政府はこのテロとの戦いにも参戦しようとしているが、われわれは現実を冷静に見つめるべきだ。それは、テロと戦うという大義名分を振りかざして行っている米国の軍事攻撃や無差別攻撃は、非難されるべきだけでなく、それは平和をもたらすこともないということだ。暴力は無意味なだけでなく、兵器が強大になるにつれ多くの人々を巻き込み、無差別に民間人をも殺してしまう。つまり現代においては戦争それ自体がテロ行為なのだ。アフガニスタンで、イラクで米軍が殺した民間人の数がそれを如実に表している。
テロリストがどんなに悪人でも、殺される側の一般市民にとってはテロで殺されるか、米軍が戦闘機から投下したロケット弾で殺されるか、恐怖や死に変わりはない。テロリズムを世界からなくすための戦争、という選択肢自体がおかしい。与党自民党に対して、選挙という手段で有権者である国民がそれを訴えなければ、このままいくと日本はこの無意味なテロとの戦争に参画させられてしまうということだ。(アシスト代表取締役)