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民主選挙の”洗礼”に重み
中東「テロ組織」だけ悪いのか
敵視、自己正当化する側にも責任
疑問があった。
レバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラはなぜ、イスラエル軍との無謀な戦闘に突入したのか。指導者ナスララ師は停戦後、なぜ「大規模報復を招くと事前に分かっていたら(発端となった)イスラエル兵拉致は起さなかった」と述べたのか―。だから、ベイルート南郊はじめ”戦場”の実態を確かめつつ考えてみた。
もともと敵対関係の両者。拉致が大報復に直結することは想像できたはずだと、普通は思う。謎解きの鍵は、十年前に成立した、イスラエルの合意にあった。要点は「いかなる状況でも、民間人は攻撃対象としない」ことだ。合意はイスラエルとヒズボラの敵意が前提だから、兵士・戦闘員への攻撃の是非には直接触れていない。「戦争にもルールがある。やるなら民間人を巻き込まず、戦う者だけでやれ」と読める。
今夏の戦闘はヒズボラが始めたとされる。最初に仕掛けたのは確かにヒズボラだ。だが合意の経験から、報復は戦闘員に限られると思っていた―。ナスララ師発言の真意は、ここにあると思う。
「軍」を攻撃されたイスラエルは「民間人」に報復した。ヒズボラの論理では「イスラエルが拉致を口実に戦争を始めた。われわれは自衛のために反撃し、イスラエルによる民間人への攻撃に報復した」となる。ヒズボラの視点では、イスラエルはルール違反の「テロ国家」だ。
イスラエル政治家らは「民間人の犠牲を抑える最大限の努力をした」と話す。事実ではある。だが、ベイルート南郊はもとより、イスラエルとレバノン、パレスチナの主戦場のすべてを歩き、ヒズボラの攻撃の恐怖にも身をさらした者として、この論理に説得力はないと断言できる。「努力」とは「もっと殺せたが、そうしなかった」という意味でしかない。廃墟に立てば、イスラエルの目的が、民間人と戦闘員を区別しない「壊滅」だったことが一目で分かる。自衛権には限界がある。
ヒズボラと、パレスチナのイスラム原理主義組織ハマス。どちらも「テロ組織」として世界は排除し、彼らに対する「報復」の暴力行使も黙認した。彼らを擁護はしない。「イスラエルに民間人はいない」という特殊思想で正当化する自爆テロを、私は拒絶する。だが、その根源に踏み込まず、国際社会が「テロ組織が悪い」と言い続けても、何の展望も開けない。彼らは「占領と相手の暴力が終われば、武器を置く」と言っているのだ。気に入らない者に「テロ組織」とレッテルを張り、ハマスやヒズボラが民主的選挙で選ばれた事実も、背後に控える多数の支持者の存在も、無視する。「9・11」以降、世界を覆う「反テロ」思想の帰結は、民間人多数の遺体と血だった。
何度でも書く。世界を本当に危うくしているのは、一方的に「テロとの戦い」と称して自己正当化する側の、この独善的な価値観だろう。
萩文明(カイロ支局)
「東京新聞」11/11夕刊