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Re: パレスチナ情勢(10/30,31)
http://www.asyura2.com/0610/war85/msg/1293.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2006 年 11 月 02 日 13:07:11: SjhUwzSd1dsNg
 

(回答先: パレスチナ情勢(10/30,31) 投稿者 妹之山商店街 日時 2006 年 11 月 02 日 06:38:13)

多数の人を狭い場所に閉じ込めて、外部に対するアクションを不可能な状態にして、永く置くと、その中で殺し合いを始める、というのは心理学的な法則だろう。

その法則を使って、パレスチナ人どうしで殺し合いをさせようというのが、某占領国家の作戦だろう。

下記のレポートを読む限りでは、パレスチナの現状は、悲しいかな、イスラエルの作戦にのせられて、同胞同士の殺し合いに進んでいるようである。

悪賢く残忍な調教師によって、オリに入れられたパレスチナ人たちの現在の状況は絶望的である。たけ(tk)にはどうすることもできない。

願わくは、彼らには、状況が絶望的であればあるほど、心には希望の力が輝きはじめる、と信じてほしい。たけ(tk)にはそのように願うことしかできない。

>「我々の間では愛と対話と相互理解、敵に対しては力と抵抗と不動の信念」をモットーに掲げよう。これが正しい処方である。

賛成である。彼らを信じよう。

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緊急報告シリーズ
中東報道研究機関

THE MIDDLE EAST MEDIA RESEARCH INSTITUTE

緊急報告シリーズ

Special Dispatch Series No 1339 Oct/30/2006

パレスチナ紙にみる厳しい自己批判

10月中旬パレスチナ自治政府スポークスマンのハマッド(Ghazi Hamad)、パレスチナ自治政府系新聞Al-Ayyamのコラムニストであるアワド(Abdallah ‘Awad)は、それぞれ同紙に署名入り記事を発表し、パレスチナ人社会の現状について、痛烈に批判した。

アワドはその署名入り記事で、パレスチナ諸派とその指導者達を「嘘と欺瞞」の固まりとして激しく攻撃し※1、一方ハマッドは、パレスチナ人同士の暴力を、パレスチナ人社会にとりついたガンであると主張した※2.以下その二つの評論の翻訳である。

パレスチナ人指導者は血を渇望する嘘つき―パレスチナ人コラムニストの批判

パレスチナ人は、何故諸派を信用しなくなったのであろうか。この諸派は如何にしてそれぞれの民兵―傭兵として行動する―を持ち、互いに殴りこみをかけて戦うようになったのか。パレスチナ人は如何にして自ら進んで海外移住を考えるようになったのか。何故パレスチナ社会は、同胞同士が殺し合う武装社会になったのか。占領体制打破に向けられるべき真の武装化を、何故社会は骨抜きにしたのか。如何にしてパレスチナ政治諸派は、パレスチナ人民を民族上政治上経済社会上破滅の淵に追いこんだのか。ここにあるのは混沌と破壊、そして道義、社会、治安の崩壊しかない。このような状態にしたのは、一体誰の責任であるのか。

我々の指導者達は嘘と欺瞞しか語らない。何故ならば、派閥の文化、御都合主義、特権…そしてナルシシズムの文化にどっぷりとつかり、その虜となって、真実を恐れ、すっかり病んでしまったからだ。この指導者達には何の夢もない。彼等を満足させるのは抑制のない情欲と支配欲、自己愛そして権力だけである。

パレスチナ社会はみじめな状態にある。そのみじめな状態のなかで、ファタハとハマスの指導者の頭を支配しているのは、人民や国家、郷土或いは歴史など眼中にない、排外的で横暴な考えである。すべての者が当の昔に郷土という意識を棄て、戦争(dahis wal-ghabra―競馬をめぐって始まったイスラム前の40年戦争)を始めるところまで落ちてしまった…。

一方、占領の罪と、土地と個人に対する占領体制の犯罪は、辞書から削除され…内乱が代って登場した。パレスチナ諸派は、抵抗組織の男達を、諸派とその指導者の代理として行動する私兵に変え…その私兵を動員して内部抗争にあけくれている。つまり、パレスチナ諸派はどんづまりに来てしまい、占領ゴッコをやり始めたのである…。

破滅へ導くハマスとファタハの計画

ハマスが(イスラエルの)承認はノーと言う時、それは自己の組織を守りその存続を目論んで、そう発言する。正にその故にファタハは、調印した合意、国連決議及びアラブの諸決議を守ろうとする。しかし実際問題として考えれば、(双方の)言葉は無意味である。土地は占領下にあり、人民は抑圧されている。簡単にいえば、双方(ファタハ及びハマス)の計画は、破滅の計画で、パレスチナの大義の残滓(にとりつく)だけ。ハマスとその政権が(イスラエルを)承認するかどうかにかかわりなく、ファタハとPAが(合意に)調印するかどうかにかかわりなく、このヘブライ国家は、(パレスチナ人の)地理と人口構成を崩す計画を継続する。状況はおぞましい。しかし、パレスチナの指導者達は盲目同然。人民が地獄の業火で焼かれているというのに、嘘のなかに沈潜する。

報道では、「占領軍機の爆撃で損害」とか「ファタハ部隊とハマス執行部隊の戦闘で損害」といったニュースが流れる。この短いタイトルが、住民が落込んだ悲劇的状況を端的に物語る。占領による殺しが充分といわぬばかりで、(パレスナ)諸派がせっせと殺し合う。この血生臭い惨劇では、ハマスとファタハは同罪である。

パレスチナ諸派はもっと抑圧的な占領者になった

かつてパレスチナ諸派は、住民の目からみれば、占領体制を打破し、自由と独立をかちとる組織、保証人であった。…だが、もうひとつの占領者になり果てた。(イスラエルの)占領者よりもっとひどい抑圧的占領者である…諸派の指導者達は、このまま現在の地位に居座るならば、我々を底知れぬ深い穴につき落し、次の破局へ導く。我々は彼等の嘘を糾弾しなければならない。毎週毎週数百人のシャヒード(殉教者)が攻撃し、損害があり、拘留者がでる。そして占領者は報復戦にうって出て住民を殺し海外移住に押しやる。我等の傲慢な指導者が口にする抵抗はどこにあるのだ。殉教作戦の結果がどうなったか。占領者は道路封鎖を続けて侮辱し、住民の生活は惨めで耐え難いものになるだけではないか。もう一度聞く。抵抗運動はどうした。ハマスの抵抗はどうなった。ヘブライ国家の戦争で狂気のエスカレートがあるというのなら、(抵抗運動が行動をおこす)時ではないのか?…

パレスチナ諸派は、もともと抵抗と土地の解放を目的として形成された。その土地は解放されたか?侵攻はやんだか?シオニストの事業は、明確な境界線を以て終ったか?  答は判りきっている。判らないのは、(パレスチナ)諸派が何故嘘をつき続けるのかだ…。

このままでは海外流出が増える

我等の偉大な℃w導者達は、日夜我々に不動の信念の御託を並べるが、自分が何を話しているのか、全然判っていない。彼等は流出統計を無視する。流出は日々続き、増えているのである。住民は流出する傾向にある…ところが我等が指導者達と諸派は、殺したり、破壊したり、没収したり道路封鎖をやっているのは占領者の国だとのたまう。あたかも今朝発見したか或いはでっちあげたかのように、振舞うのである。そんなことは赤子でも、道路封鎖のゲートで生まれた瞬間から知っている。しかし、彼等は、この紛争で自分達の任務は何か、どんな役割を持つのかは、全然言わない。

占領者は、パレスチナにおけるシオニストの事業を完成したいと願っている。しかし我等が指導者と諸派は、それにどういう風に対抗しているのだろう。彼等の言葉には意味がない。現実がすべてを語っている。治安は乱れに乱れ、経済は不振で物貰いの社会に堕してしまった。社会保障、教育そして医療保障がなく、倫理観も何処かへ吹飛んだ。更にその上に無法のジャングルと血で血を洗う内部抗争が社会を支配している。これが不動の信念の基盤であるのか?流出の原因がこれではないのか…。

パレスチナ社会は暴力社会、安全な所はない―PAスポークスマンの意見 

我々は本当に暴力社会なのではないか。我々は免疫をなくし、暴力が家のなかに入りこみ、平穏と安全を我々の手から奪い去ってしまった。我々は暴力という慢性病を背負いこんでしまったのではないか。我々は暴力という監房に自己を閉じこめ、意志に反しつつも、背負い続ける運命にあるのではないか。我々の問題は暴力でしか解決できないと、本当に信じているのではないか。銃と砲とビラと荒々しい言語で、問題が片付くものだろうか。暴力の文化が、我々の心と体にしみこみ、骨肉となったのではないか。私は、我々が暴力におぼれてしまい、暴力が支配者になった、と心配している。家で隣近所で、親族で部族で、そして組織や大学で暴力が君臨し、今や安全な所は何処にもない。

暴力は我々をもて遊び、底知れぬ深い穴へ引きずっている。我々の子供達すら潔白ではない。子供達も暴力にまみれ恐怖におののいているのだ。血のしたたる死の斧で我々をおいまわす悪夢となった。我々は暴力の手にからめとられ、優れた息子達、子供達が我々からもぎとられていく…。

我々の祝いごとは、ウララ…と叫ぶ女性の歓声と一緒に銃を数百発もぶっ放さなければ意気があがらず、祝賀の意味がない。悲しいことや葬儀の場でも、我等が英雄達は自ら進んで空に向かって数百発をぶっ放す。目的や政治主張が違っていても、デモ行進となれば、銃を手にする者共が、車にのりこんで銃を片手に気勢をあげ、若者達は車の窓から身をのりだし、カラシニコフをふりまわして歓声をあげる。

個人的問題と社会問題を武装グループが扱う。

親族の問題すらも、暴力という慢性病に影響される。一片の土地をめぐる争いがあると、言葉より先に銃弾が飛びかう。言葉をめぐって争うと、爆弾が解決法となる。離婚や結婚をめぐる問題があると、結婚離婚の手続きをする専門家に頼む代りに、カラシニコフが解決する。かくして慶事は服喪の場となる。

政治上の意見の違いには、暴力がわりこんでくる。かくして、友愛関係は破れ、憎しみと嫌悪と涙の交換となる。暴力は友愛の言語を奪い去り、銃で武装させる。郷土のひとつ屋根の下に集まった我々から愛を奪い去った…そして、我々の団結を破壊し、二つの派、三ついや十もの派に分断してしまった。我々を破滅においこんだのだ。

電力会社に怒ると、我々は(施設を)粉々にして事務所の設備を破壊する。これが我々の解決法である。市役所や市長に怒れば、我等が時代の寵児たる覆面姿のガンマンの一団を呼ぶ。連中は屋根の上にのぼり、衛星テレビ(のリポーター達)の前で銃を構える。非暴力のデモ行進は、小さな気勢の声が投石となり、撃ちあいとなる。整然とした合法的なストライキは時として暴力騒ぎとなり、学校や公共施設そして、道路を破壊して終る。

男が妻に怒ると、ガンマンの一団と共にやって来て道路の封鎖から始める。海外での治療の推薦は、武力戦術で得られる。ラファの検問所では、ガンマンの一団となら列に入れる。病院は恰好の餌食、医師は銃をつきつけられて、無理矢理仕事をさせられる。我々は学校を我々の暴力で破壊し、銃を手に立法府を襲い、官公庁の建物を焼き、議員や閣僚、政府高官の顔に銃をつきつけた。一体郷土には何がおこっているであろうか…。

パレスチナ人全員に暴力の責任がある。

我々が我々自身を痛めつけ、我々の住民を守る筈の人々に暴力を振う時、後には何が残るであろうか。我々は我々自身が恥ずかしくないのか。自分の恥を我等が民の前にさらし世界の目にさらして、恥と思わないのか。我々は記者会見では立派な服を着用し、すました顔で「パレスチナ人の血はレッドライン、パレスチナ人の血は神聖」などと言うのだ。

暴力は政治現象だけではなく、我々の文化、教育そして行動様式である。行政や司法の手段だけで扱ってはならない…家庭が暴力の種をまき、公共機関が組織が暴力の種をまき、路上で撃ちあい、結婚式場で葬儀場で銃撃戦になる。誰に責任があるのか。我々全員に責任があるのではないか。そうである。我々全員が共犯者ではないか。そうである。我々の辞書から暴力という語を削除し、対話と協力の語にさし変えることはできるのだろうか。できる。我々が誠実で物事を直視し民族一致の精神で全力を尽せば可能である。政府、人民、諸派、知識人、思想家、作家は、悪臭を放つこの雑草を引抜き、花を植えなければならない。そうすれば日の出の時は来る…。

パレスチナ人は暴力というガンを克服したい。

我々は、治安警察以外の銃を町中で見たくない。慶事も葬儀も行進も、血の雨が降らぬ行事にしたい…銃にはパレスチナ人の血が一滴もついてはならない。静かに考える時が欲しい。暴力は、血と悲しみとうらみ、敵意をむきだしにしたビラとそれに対抗するビラ、デモとそのデモに対抗するデモと、長い長い悲惨と抗争と悲しみしか生みださない。我々は我々の心をむしばみ、精神を麻痺させ、肺を冒して清浄な空気を吸えなくしたガンを克服したい。平和で汚れのない時間。子供が銃声におびえず、通行人が流れ弾のなかを逃げまどうことのない時間を過したい。

どうかこの暴力から我々を解き放して下さい。希望を抹殺せず、我々に挫折感を植えこまないで下さい。この郷土に増悪を拡げないで下さい。我々の抵抗運動、名誉そして栄光の枕詞につけられる暴力、銃の支配による増悪を広げないで下さい。慶事や葬儀、行進を乱射の場にしないで下さい。敵が喜ぶばかりです。静かに坐り、平和裡に対話し、静かに眠ろうではありませんか。

我々は、もっと落着いた理性的言語で話合わなければならない。次の時代を背負う世代には、平和と相互理解の言語を教え、教養のある対話の仕方を身につけさせなければならない。怒りをおさえ忍耐心をやしなう訓練を何故しないのか。それはコーランの教えではないのか。それは、道義と最高の価値観であり、郷土建設の基盤ではないのか。

我々は「誠実と和解」の会議を開き、これまでの過ちと罪を認め、遺憾の意を表明し、アッラーと我が人民の前で暴力放棄を誓い、銃や砲或いは野蛮な言葉を使わず、寛容と愛をはぐくむことを約束しなければならない。

民族が一体化し個人が個人として育てられるのは、この道しかない。そうして初めて我々は独立と自由への長い道を進むことができるのである…

通りから家から銃を回収しよう。そして「我々の間では愛と対話と相互理解、敵に対しては力と抵抗と不動の信念」をモットーに掲げよう。これが正しい処方である。ひっくり返してはならない…。

※1 2006年10月15日付 Al-Ayyam(PA)。政府スポークスマンのハマッドが書いた前の記事はMEMRI 1268(邦訳は8月30日付「ガザの惨状は我等の責任」を参照。

http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sd&ID=SP126806

※2 2006年10月17日付 同紙

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