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□独占会見! ロシュコフ駐日ロシア大使「北はまだやる」 [読売ウイークリー]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20061031-02-0202.html
2006年10月31日
独占会見! ロシュコフ駐日ロシア大使「北はまだやる」
北朝鮮は再び核実験をするのか、それとも外交交渉に復帰するのか――。緊迫する情勢についてロシュコフ駐日ロシア大使が本誌との単独会見に応じた。
中露両国の説得に対し、北朝鮮はどんな出方をしているか、ロシュコフ大使に聞いてみた。大使は、11月に離任して再び外務次官となる予定で、6か国協議首席代表復帰も確実視されている。
「私が知っている限り、北朝鮮は、(6か国協議復帰に)二つの条件をつけています。米国と直接交渉に入ること、もしくは米国が北朝鮮に対して行っている金融面での規制が解消されれば、6か国協議に入れる。そういう発言が北朝鮮側からありました。今までは出ていない話ですが、交渉に戻る条件として、日本が現在行っている(対北朝鮮)制裁の解除も求めてくるでしょう。ただし、ご存じのように、北朝鮮が核実験を実施して、国連安保理が制裁措置を含んだ決議をしております。今のところ誰もそれをキャンセルしたわけではありません」
北朝鮮が「協議復帰」だけへの前提として出してきた条件、もしくはこれから出すであろう条件は、米国にとっても日本にとっても、とうてい受け入れ困難なものだ。果たして6か国協議は再開できるのか、国際社会の説得は功を奏すのか。大使の見方は非常に厳しい。
「国連安保理は、(北朝鮮に対し)6か国協議への復帰だけではなくて、核兵器開発を廃棄し、核拡散防止条約(NPT)や国際原子力機関(IAEA)の核管理体制のもとに戻れとの要求をしています。核兵器開発計画の廃棄は、国際社会による検証可能な方法でという条件もつきました。しかし、北朝鮮はそれらを聞き入れるどころか、自分からまた新たな要求を出してしまうのです。特に米国にとって受け入れ難いような要求を出す。国際社会から出された条件を受け入れるどころか、北朝鮮は新たな核実験の実施、1回だけでなく、複数回の核実験を目指しています。6か国協議への復帰どころか、状況は悪化する一方なのです」
北朝鮮の核開発の過去を振り返ると、特に1980年代まで旧ソ連の技術が大きな役割を果たしている。北朝鮮との歴史的な関係が深いロシアにできることはないのだろうか。
「ソ連時代のある段階までそういう協力はありましたが、目標は核の平和利用でした。協力はあったとしても、そんなに進展したものではありませんでしたし、今の段階では完全に停止してしまっています。(ソ連・ロシアとの)協力が停止してしまってから、北朝鮮は、核兵器への技術開発を始めました。北朝鮮が今保有している技術は、自国で発展させたか、第三国から得たものであり、ロシアと無関係です。北朝鮮への圧力をかける能力、可能性についてですが、ロシアはそういう可能性はもっていません。今まで北朝鮮の核開発に関するロシア側の批判を何回も北朝鮮側に述べてきましたが、北朝鮮側は全然聞いてくれないのです」
北朝鮮に核開発をやめさせる手立てはないのか。
「できることは、今の時点では(すべて)やられていると思います。6か国協議の参加国は北朝鮮に対し、いろんな批判をしてきましたが、北朝鮮側は聞いてくれなかった。国連でも同様に批判がありましたが、効果はないようです。北朝鮮が聞いてくれるように努力を続けるべきだと思います」
大使は、今後も説得を続けるしかないと言うばかりだ。
ところで、北朝鮮の核実験は失敗との説がある。プルトニウムの核分裂はどの程度できたのか。
「専門家ではないので詳細はわかりません。私たち外交官にとって大事なのは、北朝鮮が核実験をしようとしたのは、核保有国であることの証拠にするためだということです。技術レベルが低い核兵器を作るのは、そんなに難しくないので、爆発できるような核装置を北朝鮮は持っているかもしれません。プルトニウムの核分裂がどのくらいにまで至ったかはわかりません。重要なのは、北朝鮮が核兵器を持とうとしているということです」
北朝鮮には、ミサイルにそうした核装置を載せる能力はあるのだろうか。
「彼らがそういう装置を載せられるかどうか、私は疑わしいと思います。ミサイルに載せるには、もっと高い技術が必要となります」
90年代以降、北朝鮮の核技術レベルはどれぐらい進んだのか。
「そういう問題を扱っているのは専門家たちです。外交官である私の関心は、北朝鮮の行動が、私たちが安全や協力関係のもとで住むべき地域を、どれほど緊張した状況に導くかということです」
アレクサンドル・ロシュコフ 62歳。1968年、外務省入省。アジア太平洋地域局長、駐オーストラリア大使、外務次官などを経て2004年3月から駐日ロシア大使。11月に離任し、再び外務次官に就任予定