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(回答先: ワールドフォーラム11月例会は、列島改造論をロッキードで田中角栄と共に葬った巨大な勢力の陰謀を平野貞夫氏が語る。 投稿者 救国の草莽の志士 日時 2006 年 10 月 29 日 22:06:40)
田中角栄氏こそは功罪相半ばし毀誉褒貶の激しい政治家であるが、総合的、相対的、大局的に考えて実に、国益を重視した愛国者であり、マイナス面よりも遙かにプラス面が多かったと言えよう。角栄氏が総理を継続していたら、北方領土も返還されていたであろう。米国を押さえられるからこそ旧ソ連も返還に応じるというものだった。米国と旧ソ連、そして中国の世界の強国を手玉に取って外交が出来る唯一の政治家であり、正に世界の田中であったと言えよう。
それにしても外国勢力にとっては、田中氏ほど手強い交渉相手は近年には存在せず、どうしても彼らの既得権益擁護のためには排除すべき存在であったことは確かだ。その田中氏を追い落とした米国の陰謀に乗せられた国民は実に近視眼的亡国者であり、また米国に加担した法務省や最高裁、当時の権力者などは実に売国奴であったと言えるであろう。今こそ、真の国家主権とは何か、真の愛国的行動とは何かを考え直す時期に来たようだ。
田中角栄氏が失脚して行ったのは国民にとり多大な損失であった。世界にとっても大きな損失であり、田中氏こそは実に世界の多くの政治的指導者が恐れる世界の田中であったからだ。当時のソ連政府のブレジネフ書記長との北方領土交渉に対しても、相手に対して脅威を与えて、返還の合意を引き出したほどである。当時のソ連のブレジネフ書記長から、「田中さん、あんたならソ連に来ても書記長が務まる」などと言わしめたものである。恐らく彼が総理大臣をそのまま継続していたら、その後、北方領土も簡単に返還されていたであろう。
また、中国の周恩来首相との日中国交正常化交渉でも、多くの日本人が当初から懸念していたように、中国側が日本の太平洋戦争当時の事実を突きつけたのに対し、「中国こそ、鎌倉時代の元寇により文永の役、弘安の役で日本を侵略したではないか」と厳しく言い返して、日本への戦争に関する中国の損害賠償請求を放棄させたものである。また、米国に対しても、西部開拓魂の旺盛なテキサス出身のコナリー財務長官に対しても、あの早撃ちコナリーとまで言われた彼の早口を上回るほどのスピードで言い負かしたことでは、逆に相手から畏怖され、尊敬され、信頼されていったものである。彼は英語が出来なくても相手の心が良く理解できるものであり、その意味では、なまじっか英語が話せる者よりも遙かに国際的な政治家であったと言えるであろう。
不幸なことに、例のロッキード事件では、コーチャンというロッキード社副社長の米国人にのみ免責特権を与えて、その自白を下に、形骸化し死文化された外国為替管理法(外為法)という法律で有罪にしてしまったものであり、しかも確実な物的証拠もなく、状況証拠をでっち上げて行ったものであり、極めて異例でもあり、異常でもあったことは誠に残念なことである。その上、田中氏側の反対尋問すら与えずに裁判を押し切ったところに、先の我が国に法律上何ら規定のない免責特権を与えたことと言い、状況証拠のみで有罪としたことに加えて、憲法違反の疑いすらあったと言えるだろう。
また、当時の最高裁長官は、後日、「国民の協力があったればこそ有罪に持ち込めた」と言っていたのには、全く何をかいわんやと言う思いである。例え、5億円を相手から受け取ったとしても、彼ほどの人物ならば許しても良かったものと思われる。それ程の数十年に一度の決断と実行力に富み、且つ2,30年先をも先を読むことが出来た実に先見性、洞察力に富んだ偉大な政治家であったと言えるだろう。人の心を読むことにかけては誰も真似ることの出来なかった人物であったであろう。
近年には彼に匹敵するような人物は全く存在しないだろうと思われる。明治時代にはよく似た人物もいたが現代では殆ど見当たらないと言っても良いだろう。実に嫉妬や妬みに狂った国民性が彼を葬ったと言えるであろう。そんな国民にしても、皆多かれ少なかれ、速度違反や信号無視、キセル乗車程度の法律無視の誤魔化し程度はやっているものと思われる。金銭の額に多少はないであろうと思われ、罪としては同罪なのである。国民が余りにも、目先の嫉妬に狂ったものであり、国家にとって、国民全体にとって大きな損失であったと言えるだろう。実に、「罪を憎んで人を憎まず」といった寛大な心が国民全体に求められていたようだ。
彼の選挙区に多額の公共工事費が投下されて行ったとかの国民的非難もあるが、彼の頭の中には、単に選挙民に対する奉仕ということ以上に、表日本における東京に対抗して、新潟を裏日本の代表格にして、国土の均衡ある発展を期する思いもあったものと思われる。また、一方で、田中氏も従来のような国民の税金を一部誤魔化していくようなことを止めて、心を入れ替えて政治手法を根本から改めるべきであったと言えるだろう。誠にもって残念なことに、田中氏も国民も共に、大局的な展望や解決策を大きく誤り、国家の進路を狂わせていったと言えるであろう。
なお、配下の竹下氏から派閥を乗っ取られていったことが原因して、竹下氏との確執により倒れたのも酒とストレスが大きく影響を与えていたと言えるだろう。なお、竹下氏が後で田中邸を訪問した際に門前払いしたのも、何も心から憎くて退けたのではなくて、塀をも乗り越えてまでやって来るかどうかの迫力と根性を試したものと思われる。竹下氏にはそうした度胸は全く無かったことは当時の言動でも明確であり、その後の行動でも証明済みであろう。
ところで、例のロッキード事件は米国の謀略だとかいう指摘もあるが、最初に米国に情報を売った者は、田中氏の側近であり盟友であった某人物であり、田中氏との些細な約束違反に腹を立てて、米国に田中氏関係の情報を売ったものであろう。国益を全く考えないで私恨に囚われた低俗な人物によって、稀に見る天才的な世界的政治家としての田中氏を米国に売ったことにより、日本国家の不幸が始まったと言えよう。それぐらいの裏切りをすらやりかねない人物であった。田中氏は最後までそれとは知らずに死んでいったようだ。現在の殆どの日本人はこのような売国奴、某国の輩、裏切りの徒と言えるであろう。
また田中氏を有罪にしていった当時の総理大臣や法務大臣にしても、法律解釈をねじ曲げて事件を政略的に利用していった嫌いがあるようだ。クリーンを売り物にしていたほどにはクリーンでもなく、極めて腹黒い人物であったと言えよう。その女房に至っては、現在では、厚顔無恥にも野党の集会に出て反政府行動を実践している有様だ。また田中氏の税務内容を暴いた某作家にしても、その後、アメリカ航空宇宙局(NASA)関係の仕事を取材していたり、また当時の事件担当で田中有罪に追い込んだ某検事にしても、畑違いの某財団で活躍しているところを見ると、何処から取材の便宜が出ていたり、財団設立の背景や真の出資者が誰であるかを追跡調査すれば面白いものが出て来ることであろう。案外、アメリカ当たりから田中氏を葬ったことに対して、多大なる感謝の論功行賞としての対価であったとしてもおかしくはないであろう。
さて、様々なストレスが重なって田中氏は倒れることになったが、それでも田中氏ほどの病状ならば、もっと早くにも亡くなっていて当然だったように思われる。何処か、田中氏は神仏の加護に守られて生き長らえていったものと思われるのである。しかし、田中氏が倒れたのは、真の神仏に対する嫌悪感からであったように思われる。某講演会でも、「ワシに法華を勧めるものがいるが、ワシは真言だ」と言っていたことでも解ろうというものだ。崇高な法華経の精神を、何かいかがわしい多くの邪宗教の法華教の一宗教と勘違いしたようだ。
田中氏も、意識が朦朧とした精神状態の中で、自分を守護している真の神仏の姿を心から感じ取り、周囲にそうした真の神仏の存在に関する何かを訴えていったものと推察されるが、周囲は田中氏からのサインを何も感じないままに見過ごしていったものと思われる。最初の内は意識もあったようだが、次第に意識も不鮮明になっていき、周囲に対して明確な意志を伝えることが出来ないままに、恐らく身近に感じて存在する真の神仏に関する意識を充分に伝達できなかったものと思われる。
そうしたことは、田中氏の盟友の某総理が生前に、「信じ難きことを信ずる事なかれ」と日記に書き残していったことも、一体何のことかすぐには解らないが、案外、身近に何かを感じ取っていたのかも知れないと思われる。これも周囲にとっては何のことか全く理解できなかったことであろうと思われる。もっとも何のことか解らないからこそ、新聞等で公開されたのであろうと思われる。恐らく、田中氏が感じたものは、盟友が書き残したものと同じものであったことと思われる。当時も仕事の最中に急に倒れて入院し、一週間で退院できる程の軽易なものと言った医者の予想をに反して、一週間で死んで退院したようだ。何か不思議な因縁を感じる想いだ。
さてその内、田中氏を裏切った者には天罰が下り、衰滅の運命に晒されるであろうと思われる。事実、天罰が下るような状況が起きていると言っても良いだろう。田中氏の周囲に集まってきた連中の殆どが、田中氏の人並み外れた才能に畏怖し、尊敬して集まってきたものではなかったのであろう。単なる金銭や地位への集(たか)りでしかなかったと思われるのに、不幸にも田中氏はそのことに気付かなかったようである。また、田中氏は、実に洞察力や先見性に富んでいたようだ。20年,30年先を読んでも周囲は理解できないから、精々が2,3年先しか話していなかったようだ。
惜しむらくは、田中氏にもう少し福田氏ほどの官僚的な緻密ぐらいに頭が良かったら、かなり安定的に権力を維持できたものと思われることである。彼ほどの独創性に富んだ政治家ならば、いっそのこと独裁をやらせても良かったと思われるほどである。それでも、田中氏にはヒトラーほどの残酷性は無いし、極めて人情に厚い涙もろい政治家であったと言えるだろう。そうした田中氏も例の事件後は、心理的にも一段と追い詰められていき、そうした背水の陣の中で洞察力も益々と深化していったものと推察される。少し、性格的には性急で短慮であったのが懸念される。
思うに、田中氏に再起を期す執念があったことが否定しないし、現に裁判で汚名を晴らした後には、再度総理大臣に返り咲く戦略狙っていたものと推察される。そうした意志や目的があったればこそ、派閥を簡単に譲らなかったとも言えよう。しかし、政治家としては一旦身を引き、経済界に身を置いて、そこでビジネス界で名を挙げながら裁判を戦い、その後に政界に打って出る戦略を採るべきであったであろう。他のロッキード事件で裁判に拘わって置きながらビジネス界で有能な才能を発揮した某航空機会社の会長のように対処しておれば、汚名挽回して再起を図ることが出来たであろうと悔やまれる。
日本列島改造計画でも、きちんと土地の投機的な値上がりを防止する措置を予め講じて置いた上で、公表すべきであったと悔やまれる。田中氏も一方的に突進するだけで、細かな配慮を大きく欠いていったところに、悲劇が隠されていたように思われる。よく、田中氏を例えて、今太閤と言われるが、実質は、知恵者の成り上がり者の、豊臣秀吉タイプではなく、現状を切り開いていった破天荒な織田信長タイプであったと言えるであろう。全く惜しい人物を失ったものである。その内に、田中氏に対する評価の大幅な見直しが始まるであろう。
なお、当方はかつて、田中氏の身内から、政治家として大々的に行動することがあれば止めておいた方が良いであろうと警告した。それは、現段階では国民の多くが田中角栄氏に対する叱咤や妬みがある以上、大した政治も出来るわけはなく、自分でも恨みが忘れられない以上、再度怨念の対立の世界に引きずり込まれるだけであり、角栄氏の偉大な功績に泥を塗るだけであろうからだ。それに次第に悪化する経済等の問題を前にして、全てが崩壊しなければ解決出来ないほど困難な状況に直面していく背景を考えても、大した活躍が出来ないことと思われる。
こうした大混乱の戦国乱世に突入していく時勢においては、明確な政治理念を提示して、思い切った抜本的な政治を実行できるものではなく、単なる政治に対する売名や人気取り、利欲的なものでしかないであろう。それに差ほどの政策を有しているものとも思えない。更には名政治家の身内が必ずしも名政治家を継承するものではない。事実は全く逆であり、角栄氏ほどには苦労が伴っていない故に、弱者を思い遣る寛大さや人望に欠けて、とんでもない馬脚を現し、角栄氏の名声を汚す結果になるだけであろう。その予言も当たりつつあると言えよう。
ところで近い将来においても、現状を打破するような救世主的な人物が現れるとしたら、正に田中角栄氏のような決断と実行に富み、独創性、先見性、洞察力に溢れたタイプと言えるであろう。ところが今次の大改革はそれだけでは最早、大きく不足していると言えるであろう。即ち今度は、徳川家康のような慎重さや計画性、度量をも併せ持っていく者であろうと思われる。あくまでも救世主的指導者は原則的には田中角栄氏のような破天荒な改革者タイプであろうと思われるし、更に、それに加えて、実に徳川家康のような人の心を真底から理解していくためにも、苦労に満ちた人生体験が必要であり、それによってこそ、多くの国民の心が真底から付き従って協力して行くものと思われるのである。