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(回答先: 国民全員が苦しむ平等 戦争を切に願う(反米嫌日戦線) 投稿者 世話をかける少女 日時 2006 年 12 月 06 日 20:18:50)
>実家暮らし、夜遅くに8時間、ロクな休憩もとらずに働いて、月給10万円。30代前>半で年収1200万、ボーナス総額270万の朝日新聞社員では考えられない低賃金。
>31歳独身、赤城智弘くんの希望は、戦争だ。
>若者たちの右傾化はけっして不可解なことではないと思う。極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。多くの若者は、それを望んでいるように思う。
(中略)
>我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か。その可能性のひとつが、戦争である。
>識者たちは若者の右傾化を、「大いなるものと結びつきたい欲求」であり、現実逃避の表れであると結論づける。しかし、私たちが欲しているのは、そのような非現実的なものではない。私のような経済弱者は、窮状から脱し、社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる可能性のある社会を求めているのだ。それはとても現実的な、そして人間としての当然の欲求だろう。
>そのために、戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念なことではあるが、そうした手段を望まなければならないほどに、社会の格差は大きく、かつ揺るぎないものになっているのだ。
>戦争は悲惨だ。
>しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
>もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。
>持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。
(中略)
>しかし、それでも、と思う。
>それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしいと。
というより実際は戦争になっても、やはり最も持たざる者が最も虐待され、悲惨な目に会うのだから、持たざる者がそう考えて権力者に騙されるのはやり切れない。持たざる者が持てる者への復讐心で戦争を支持し、それによって持たざる者は益々苦しみ、持てる者は戦争によって持たざる者の意図に反し益々富んでいく。戦争は益々その被害にも格差を感じさせるだろう。平和な時点ですら生きているのがやっとの持たざる者が過酷な戦争に突入して何人が生き残れるだろうか?戦争になっても被害に平等はない。資産がある者には逃げ場がある。持たざる者には逃げ場がない。なんたる逆説!
>しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制つづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全体が苦しみ続ける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。
>本来なら、こういう連中を救ってくれるのが「労働者の味方」「無産階級の希望の星」であった「左翼」であったわけだが、労働組合は、経営側と闘えば「リストラ」されるとして自己保身の走狗と成り果てた……。
>派遣労働者の待遇改善も一緒にやらねば、いずれは、正社員の工場労働者すべてが派遣になってしまうかもしれないのに……。
>両親が警察官(ある意味悲惨)の職場の29歳は、「徴兵制になるぞ」って脅したら、「イラクで人殺すのもいいかも」って嬉しそうに言ってました。
>美しい国の現状は、こんなものです…ハイ
1990年の東西ドイツが統一した時、未来の21世紀はまだ明るいと思っていた。これは昭和初期の間違いではないな?今は21世紀で80年代の後の時代であって、昭和初期ではないはずだ。今は2006年のはずだ。1926年ではない。1926年にはインターネットはなかったし、テレビも、漫画喫茶もなかった。おかしい。90年代に入ってから時空が曲がっている。89年、90年、91年・・31年????今は平成18年のはずだ。昭和時代ではない。おかしい。ワンレン・ボディコンとかジュリアナ東京とかが流行った後の時代がこんな時代な訳はない。いつから日本は昭和初期に戻ったのだ???
1993年に細川政権が出来、自民党時代から新しい時代に入ったように見えた・・はずなのだが???そこからねじれておかしくなっている。1990年まで時間は前に進むと思っていたのに。また「大学は出たけれど」の頃に戻った。戦争は自分達の世代とは無関係なお爺さんの頃の話だと思ってた。個人だけでなく、日本のような国も老いるのだと知った。
まさか戦後の民主化、新憲法制定後、ロカビリーブーム、東京オリンピック、グループサウンズ・エレキの時代、万博、松田聖子の時代、コミケ、オタク、高橋名人の時代、新人類、ファミコン、レンタルビデオ店とアダルトビデオ、バブル、ポルノコミック問題化、ビジュアル系バンドの後の時代に、こんな時代が来るとは夢を見ているようだ。1990年の現実日本。2006年の現実日本。同じ日本である。一体アレがどうやってコレになったのか?
児童虐待、廃校、いじめ自殺。後の世代ほど益々幸福になるという深層意識はいつの間にか消えた。地元の百貨店は消えた。絶句
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