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下記は、鷹眼乃見物さんの「更に、日本の闇が深まってしまいました
(http://www.asyura2.com/0610/senkyo28/msg/829.html)
という文章を読んでいて思ったことです。
「公共の意識」というものですが、これは教育基本法改悪案で
「公共の精神を尊び」(前文)、
「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」(二条:教育の目標)
の形で規定されています。
問題は、改悪案で言うところの「公共」が、どういうものを指しているかです。
鷹眼乃見物さんがおっしゃるところの「公共」は、福祉など、国民全体の幸福、というような意味であり、「官から民へ」というスローガンの下、切り捨てられてしまったものを指しています。
切り捨てられたものとは国民であり、その一方で、「民」という字を冠した民間という名の財界はぼろ儲けをしたわけです。
「官」だって、特に財務省(旧・大蔵省)などは思ったとおりにことが進んでほくそえんでいる、というふうに聞きます(そして、小泉は大蔵族)。
他方、教育基本法改悪案などで「お上」の言う「公共」は、何を指すかと言えば、「お国」を指します。
第二次世界大戦中は、「お国のために尽くす」という名目で、あらゆるものが国に強制的に供出させられました。飼い犬さえも。もちろん、戦える男も、兵隊として「お国のため」に差し出さなければならなかったわけです。それを拒否すると、「非国民」と罵られた。
そういう時代が実際にあったわけです。
(ついでに言えば、そうやって兵隊を動員するための装置として、また、名誉の戦死の量産装置として、靖国神社は存在したのであり、今もその正当性を主張し続けながら存在し続けているのです。
そういう神社に参拝することにこだわった小泉、そして、安倍。その安倍が教育改革を最大の目玉に掲げている。これが何を意味するか。そこのところを見る必要があると思います。)
だから、教育基本法改悪案の二条にある「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」は、こう読むべきでしょう:
お国のためという精神に基づき、お国のためになら自主的に命を投げ出す覚悟で、権力者にとって住みよく、国民にとって苦痛の社会の形成に参画し、権力者の繁栄(そして国民の地獄)の繁栄に寄与する態度を養うこと。
現行の教育基本法と、与党の教育基本法改悪案の対照表はこちら→http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/edu0604.html
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