おそらく、これはアントワープ)の遠望を描いた。これが、現実にある絶望した猿の姿であった。フモールとイロニーが、絶望を静謐な悲しみにまで昇華している。そして、悲しみは、繋がれた二匹の猿の生存について、見る者に限りない連想をうみ続けさせるのである。』・・・以下、本論・・・
まるでワーグナーの“ワルキューレの騎行”を見せられたような「2005.9.11小泉・解散クーデター」の成果(与党327議席の確保)をソックリ引き継いだ安倍政権は、「靖国神社参拝問題」、「耐震強度の偽装問題」、「次々と噴出する政治資金スキャンダルと金権選挙の横行・常態化」、「ヤラセTM問題・イジメ問題・カリキュラム未履修問題等の根本責任」などを巧みに擬装・封印しながら、「NHKへの放送命令」、「教育基本法改正(画一的愛国心の導入)」、「防衛省昇格(臨戦体制と徴兵への準備)」、「双務的な日米安保体制の強化」などの実績を着実に積み上げており、更に、その先には「共謀罪制定」、「日本版国家安全保障会議(NSC)の創設」、「日本国憲法改正」が待ち受けています。
他方、日本国民は“刺客の出戻り劇場=小泉劇場仕立てメロドラマ”の猿芝居(擬装土下座の場)を見せられたかと思いきや、夕張市の深刻な財政破綻問題では“悲惨な人身御供を配した、まことに冷酷で冷血な自己責任の取らされ方”を見せつけられるという有り様です。これでは、今の日本国民が“「手に汗握るサーカス」と「サディスティックな剣闘士の闘い」で巧みに興奮させられる一方で、強大で恫喝的な皇帝の権力によって民衆が思うままに操られた古代ローマ帝国社会”と同じに見えてきます。
本来であれば、新聞・テレビ等のメディアは、このような暴政(=過酷・残虐・醜悪な政治のあり方)を勇気をもって直視し、的確に批判すべきです。さもなければ、“その暴政は増長するばかり”となります。しかし、現代日本のメディアは、時の権力へまるで“傅(かしず)く”かのようにスッカリ取り込まれており、それを批判するどころか、むしろ権力による統制を甘受している(記者クラブ制度という、一種の「官製談合の毒」が全身へ回って?)かのようにさえ見えます。その先に見えるのは、翻訳家・池田香代子氏の“戦争は戦争の顔をしてこない”という言葉どおりの「美しい日本の姿」(=実相は醜い日本)です。
ところで、このようにつかみ所がない「戦争と平和を巡る異様で殺伐とした社会的空気の広がり」を近代史の中で探ると、我が国を取り巻く諸条件や環境が当時と今では全く異なるとはいいながらも、それは我が国でファシズム思想が強まり始めた1930年代の空気に非常に良く似ていることが分ります。確かに、この時も日本のメディアは“暴政の調教に身を任せるサル”と化していたはずです。
・・・本稿の内容と直接的な関係はありませんが、直近の記事についてのコメント・TB&レスを以下に転載しておきます・・・
[to toxandoriaの日記「安倍政権内における“皇道派と統制派の暗闘”を許す『メディアと民度』の劣化」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061031]
[コメントを書く]
田島泰彦
『大変的確な洞察に共感するとともに、敬服します。
いまのこの国とこの国のメディアを見ていると、決して繰り返してならない歴史の過ちを犯そうとしていると危惧します。』
toxandoria
『田島泰彦 様、コメントありがとうございます。
再びファシズムの罠に堕ちないための「人間社会の生の実相を捉える眼」(=リアリズムの眼)を持てぬならば、せめて、メディアには科学的(客観的)な眼だけは失わないで欲しいと願っておりました。
しかし、大方の日本のメディは、過剰な「規制緩和」と過剰な「市場原理」という“自然環境の制約条件”からすれば明らかに理不尽(非合理)な“原理主義に嵌った政治権力”を客観的に批判する能力すら失いつつあることが心配です。』
[to toxandoriaの日記「“アートな1日”で知った『美しい国』の“欺瞞と醜悪”」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061125]
[コメントを書く]
toxandoria
『“S氏”さま、TBありがとうございます。
<必修科目の履修漏れの問題が突如、マスメディアで大々的に取り上げられるようになったのも、そのための布石ではないか>、・・・この点については全く同感です。
恐らく、この「ヤラセの手法」こそ安倍政権が小泉政権からしっかり引き継いだ部分だと思います。従って、安倍首相が“TMは国民との対話の場であり、双方向で意見交換できる大切な場だから、誤解があってはならない”などと語っているのは、国民を二重に小バカにしたことになります。これは、“捕まったドロボーが、俺は犯人ではない!”と言ってることと同じです。安倍首相の明白な責任逃れです。
もっとも、この「ヤラセの手法」は小泉政権に始まったものではないようです。例えば、各種審議委員会(政府・政権絡み)、アカデミズム(大学・学会)、主要マスメディアなどにかかわる人事権が政治権力で差配されてきたことは周知の事実であり、考えてみれば、これもれっきとしたヤラセです。おそらく“コイズミさ〜んの黄色い声”も、”コイズミ・メルマガ500万部”も、悉くがヤラセだったと思います。
小泉政権の特徴的なところは、この手法を調子に乗って“露骨、かつ大々的に拡大した”ことです。それが、「小泉劇場のブーム」となり、「B層ターゲット問題」となり、「巧みな抵抗勢力の演出」となったのだと思います。これについては、殆んどのメディアが“今でも音無しの構え”ですが、毎日新聞と東京新聞は、この点をやや厳しく指摘(◆)しています。
◆タウンミーティング:「やらせ質問」問題 小泉劇場にカラクリ 一転、存続の危機(11月10日、毎日新聞)
◆学習指導要領:法的拘束力は解釈次第(11月27日、東京新聞)』
toxandoria
『“がんばれニッポン!”さま、TBありがとうございます。
【自民党の野田毅元自治相は14日の総務会で、政府のタウンミーティングでの「やらせ質問」問題に関連し「やらせはタウンミーティングだけでなく、(国会の)あらゆる公聴会などを含めて、こういう傾向があるのではないか」と指摘した(2006/11/14・ZAKZAK、引用部分)。】
この点は全く同感します。
【俺が許せる範囲での「やらせ」というのは、こういった方法で質問するというまでのあくまで、方法論にすぎない。まるっきり下書きを用意し、やらせ質問者に準備するのではなく、こういった関連のことを自らの言葉で質問してくれという範囲ならまだしも許容できる。】
この点も同感します。ただ、更に言えば、この問題が深刻なのは、小泉・安倍氏らの”天上人”が初めから全てを知っていたのではないかと疑われることです。つまり、各県の談合問題と同じであり、日本の政治全体が全て“天の声”で動いてきたということになります。とすれば、国会の存在は何だったのでしょうか?
つまり、話はアベコベであって、我が国では戦後60年にわたり彼ら“天上人”が“天の声”を出すことで全ての政策が実行さてきた可能性がある訳です。
しかも、もしそれと正反対に小泉・安倍らの“天上人”が“単なる二世・三世のバカ殿様”であるとすれば、尚のこと我われニッポン国民は“いたたまれぬ心境”に陥るハメとなります。
マッカーサーGHQ総司令官の“アメリカがもう40代なのに対し日本は未だ12歳の少年だ・・・”(日本の民主主義の成熟度に関連して)という発言が思い出されます。
マッカーサーは、日本では民主主義が発展する余地があると期待を持っていたようです。しかし、第二次世界大戦後の60余年を過ぎても、未だに我われは12歳のままであったようです。
しかも、再び「ファシズム(追憶のカルト)体制」への望郷の念(美しい国への羨望感)まで押し付けられて・・・。』
テツ
『http://tetsu007.blog54.fc2.com/「がんばれニッポン!」管理人です。
コメントありがとうございました。
私の現状の考えとしては、あまりそこまで悲観的でないです。日本で過ごせるのは、やはり今の日本政府が良かったともうからです。小泉氏については、外交だけは今までのどなた様よりも素晴らしいと最大の評価をしております。しかしながら、国内の経済政策及び規制緩和は、竹中のおさーんに一杯食わされたことが理解できないのか、やりたい放題にアメリカ仕様に持って行かれつつあり、最悪です。
安倍氏については未だ全然わからないので、まだ評価は控えております。しかし、グレーゾーン人材の集団ということはわかっております(^_^)v
これからもよろしく御願い致します』(2006/11/27 08:53)
toxandoria
『Re: TBありがとうございます
shigeto2004 2006-11-27 09:59:10
(reposting from http://blog.goo.ne.jp/shigeto2004/e/3ba05cbcb2bff5081c9069d7b53ef913)
toxandoria さん、私の方こそコメント&TBどうもありがとうございます。
>恐らく、この「ヤラセの手法」こそ安倍政権が小泉政権からしっかり引き継いだ部分だと思います。従って、安倍首相が“TMは国民と>の対話の場であり、双方向で意見交換できる大切な場だから、誤解があってはならない”などと語っているのは、国民を二重に小バカ>にしたことになります。これは、“捕まったドロボーが、俺は犯人ではない!”と言ってることと同じです。安倍首相の明白な責任逃れで>す。
同感ですね。この問題についての安倍首相をはじめとする政府首脳たちの発言は、まるで「他人事」だと言わんばかりのもので、前任者たちに責任を押し付けようとしているように見えます。そもそも、安倍首相は前政権の官房長官であり、しかも小泉前首相から事実上の後継者としての地位を与えられてきたのだから、とても責任逃れなどできるものではないでしょう。タウンミーティングについては、「やらせ」のほかにも色々と問題が発覚しているだけに、現状の「凍結」など生ぬるい話で廃止するしかないと思います。(この問題については、また改めて記事を書きたいと考えています)
>小泉政権の特徴的なところは、この手法を調子に乗って“露骨、かつ大々的に拡大した”ことです。それが、「小泉劇場のブーム」とな>り、「B層ターゲット問題」となり、「巧みな抵抗勢力の演出」となったのだと思います。
このような手法が功を奏した結果、小泉政権の支持率は最後まで高かった訳ですが、その後の安倍政権の支持率がすぐに急落しているところを見れば、このような人気は実体の無いものだったといえるのでしょう。今の安倍政権も、マスメディアなどを総動員して同様の演出をしようと躍起になっているように見えますが、同様の手法がまた通用するのか、それはかなり難しいだろうと思います。同じ手口に2度騙される人はそれほど多くはないかもしれません。
これからも、またよろしくお願いします。』
toxandoria
『「Because It’s There」さま、TBありがとうございます。
【真理と正義を掲げる法律案に関するタウンミーティングにおいて、やらせ質問を行い、サクラが活躍するのです。やらせ質問は、真理と正義を希求することになるのでしょうか? 関係者が参加者の半数以上も占めるというサクラを仕込むことは、真理と正義を希求することになるのでしょうか? 反対する立場の者を参加させることさえも排除するのは真理と正義を希求することになるのでしょうか?】
この問題意識は同感です。
最近はヨーロッパでも右傾化が問題になっていますが、小泉政権→安倍政権に引き継がれた「露骨なヤラセの手法」は、かつてのヒトラーに通じるファシストの遣り方ソックリです。
しかし、今のヨーロッパの場合は、単なる右傾化ではなく“多様化の中でのバランス回復”が機能していると思います。
これに比べて、一部の利害関係者だけが、相も変わらず、“ゲンナマ爆弾(買収行為)あるいは仕事絡みの恫喝”を受けて“熱心”(?)に“与党を支えるための投票に行かされる”一方で、過半の選挙民は「正しい政治のあり方」に無関心という、今の「日本の民主主義」はあまりにも異常です。』(2006/11/28 09:28)
toxandoria
『“asatteblog”さま、TBありがとうございます。
【おそらく政府は、タウンミーティングを「国民との対話」の場だなんて全く考えてはいないのでしょう。単なる政策宣伝の場、つまり大衆操作の道具としか見ていないのでしょう。政府の責任はかなり重いと考えます。】
この部分に全く同意・同感します。
一般に、日本のメディアの現在のあり方については、良識的かつ中庸的な自己規制論の立場から肯定する方々が多いようです。しかし、どう割り引いても、耐震擬装、政治と貸金業界の癒着などにかかわる詐欺まがいの政治・行政に対する日本のメディアの“自己規制的報道”はバランスを欠いており、臆病すぎると思います。
このように見ると、むしろ今のメディア一般の姿勢は“政権のペット”のような感じがします。
だから、相変わらず多くの国民は“先ず結論ありき”の「ワンフレーズ・ポリティクス」(自論への誘導政策)に騙されることになります。それどころか、一部のメディアは多くの国民が「小泉劇場政治への郷愁」を感じているとさえ書き始めています。
日本の“民主主義の闇”は深く、底なしのようです。』(2006/11/28 09:48)
toxandoria
『kaisetsuさま、記事紹介&TBありがとうございます。
自ら信仰するカルト神に向けた顔の角度に些か違いはあるものの、「美しい安倍政治」も、やはり小泉政治(擬装&ヤラセ劇場一座)に続く「暴政」(“刺客議員・出戻り劇”の猿芝居、擬装TMのヤラセ劇、底なしの選挙&政治資金スキャンダル、人身御供演出型・地方財政破綻放置の寸劇など)だと思います。
ごく普通の人間は、これらの「暴政」がもたらす過酷・残虐・醜悪(ピーテル・ブリューゲルと思しき画家が『イカロスの墜落』に密かに描き込んだ“醜悪な農夫のお尻”』)を直視して生きることはできません。
しかし、誰か(本来はこれがマスメディアの仕事)がこの過酷・残虐・醜悪を勇気をもって直視し、的確に批判しなければ、その「暴政は増長するばかり」になると思います。
中世末期のフランドルに生きたヒエロニム・ボッス、同じくマニエリスム〜バロック初期に生きたピーテル・ブリューゲルらの卓越した画家たちは、彼らは無自覚であったかも知れませんが、このような意味でのジャーナリズム精神を先取りしていたような気がします。
しかも、彼らの批判と直視の対象とされたハプスブルグなどの暴君たち自身が、これら卓越した画家たちの絵画の収集に血眼となった事実があることを思うと、つくづく「真実の美」とは何であるかを考えさせられます。』
(参考URL)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/
次へ 前へ
▲このページのTOPへ
HOME > 政治・選挙・NHK28掲示板
フォローアップ: