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□<近聞遠見>「2人の中川」どこへ行く=岩見隆夫 [毎日新聞]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20061125-01-0301.html
2006年11月27日
<近聞遠見>「2人の中川」どこへ行く=岩見隆夫
自民党の、
<2人の中川>
が目立っている。政権は大相撲と同じで、注目力士が何人かいないと、はずまない。
安倍政権発足からちょうど2カ月、人間模様が次第に浮き出てきた。閣僚は総じて地味だが、<2人の中川>はじめ、二階俊博国対委員長、参院自民党の青木幹雄議員会長、片山虎之助幹事長らの言動が目につき、目下、党高政低の印象だ。
中川秀直幹事長、当選9回、62歳、中川昭一政調会長、当選8回、53歳。前者は自民党のあり方を問う郵政造反組の復党問題、後者は日本の安全保障にかかわる核論議発言でスポットが当たっている。
年少の安倍晋三首相をもりたてているのか、足を引っ張る結果になるのか、必ずしもはっきりしないが、2人に共通しているのは、<強気>だ。
議員歴、年齢、体形の差から、便宜上、大中川、小中川とさせてもらうが、大・小とも10年前、いまの党三役入りは予想できなかった。いつのまにか、ご両人、ポスト安倍まで視野に入っている。
大中川は前職の政調会長のとき、<(経済)成長会長>を自称したほど経済政策通だが、本領は調整能力だ。12年前、村山富市首相のもとに新設された3人の首相補佐の1人に起用される。(あとは社会党の早川勝、新党さきがけの錦織淳)
村山首相、五十嵐広三官房長官と3補佐の初顔合わせの席で、大中川は、
「電線が切れればつなぎに走り、エアコンが止まれば風を起こし、ダムが決壊したら石を運ぶ、といった役割でしょうか。政府・与党間の潤滑油ですね」
と考えを述べると、五十嵐が、
「たしかに電線がしょっちゅう切れるので、よろしく」
と言った。調整役の本格スタートだった。以来、大中川の抜群のフットワークとしぶとさ、人脈の広さが永田町の定評になり、幹事長にのぼりつめた。
小中川の特長は信念居士の強みだろう。原点に<北海のヒグマ>と言われた父・一郎への憧憬(しょうけい)がある。16年前に著した「21世紀への座標軸」(史輝出版)の口絵は、一郎が代表世話人をつとめた政策集団<青嵐会>の誓詞と血判書の写真だ。
田中角栄の政権が誕生した翌1973年、田中政治に反発する渡辺美智雄、石原慎太郎や一郎ら衆参31人の行動タカ派が、国民道義の高揚などを掲げて決起したのだが、趣意に、
<平和は自ら備えることによってのみ獲(か)ち得られるとの自覚にのっとり……>
の1項もあった。小中川はまだ20歳の東大生、同書のなかで、
<当時の私としては、父の言うことと、世間の大多数が言っていることと、どちらが正しいのかは、よくわからなかった。だが、いまになってみると、当時の父が正しかったことがわかるような矛盾がいろいろと噴き出している>
と書いた。今回の核発言も、この確信の延長線上にあるのだろう。
田中の側近だった民主党の渡部恒三最高顧問は、
「かつての自民党はハト派のほうがはるかに多かったが、いまは青嵐会だらけだ」
と言う。小中川は青嵐会思想のもっとも忠実な継承者といっていい。
一方の大中川が訴えてきたのは、
<官愚民賢の思想>
だ。民衆は賢明と信じ、それに学ぶことこそ政治の基本とみる。
民賢と青嵐会は交わらないように思えるが、どうなのだろう。<2人の中川>は保守政治の二つの路線を歩いているように見える。(敬称略)
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