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□寺脇研「さらば文科省」 [AERA]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20061120-02-0101.html
2006年11月20日
寺脇研「さらば文科省」
寺脇研氏(54)が文部科学省を去った。教育ネオコンが台頭する官邸主導で、
居場所は消えた。31年の官僚人生を振り返り、変わらぬ信念を語った。
11月10日朝、文部科学省の次官室で寺脇は辞令を受け取った。
「4月にもらう選択もあったな」
この4月、退職を促され「潮時か」と思ったが、小坂憲次文科相が「待った」をかけた。「個性的な官僚を辞めさすのはもったいない」。異例の慰留に事務方が提示したポストは課長級の広報調整官。「やるべきことはまだ残っている」と思い、文化庁文化部長からの降格を受け入れ役所に留まった。
安倍政権が誕生し、ゆとり教育を目の敵にする面々が官邸や自民党の要職を占めた。表立って寺脇を支える人はいなくなった。
31年7カ月の役所勤めは終わったが、教育から足を洗うつもりはない。「金八先生」の脚本家・小山内美江子さんが塾長を務めるNPO国際ボランティア・カレッジや、地域の教育力を高める活動を続けている特定非営利活動法人教育支援協会(吉田博彦代表)を手伝う。
「カンボジアなど途上国で力を発揮できる若者が日本に少ない、なんとかならないの、と小山内さんに言われましてね。微力ながらお手伝いすることに」
教育の国際化とはハーバードやオックスフォードなどに行くことのように言われるが、先進国に目を向けることばかりが国際化ではない、というのが持論だった。
「アジアやアフリカなど困っている人が居る所で、文化の違う人と力を合わせ仕事ができる、そんな人間力ある若者を育てることも教育の大事な使命だ」
高校で家庭科男女必修
人を育てる目標をどこに置くのか。教育行政の軸が定まらない理由のひとつがここにある。
戦前は、旧制高校など社会を牽引するエリートの育成に重点が置かれた。高度成長期は、勤勉で正確な労働者・中間管理職の育成に力点が移った。成長が一服すると「期待される人間像」は霞んだ。今さら「いい製品を安く大量に」ではない産業界も、暗記詰め込みの学力重視では満足せず、個性・独創性を求める。
「教育内容を政府が決め一律に配給する、というのが従来のやり方だった。だが配給では個性は育たない。そこでゆとり教育が登場した。配給は最小限に留め、好みと能力に応じて選択するのが成熟時代の教育だ」
ゆとり教育と関わるようになったのは92年、鳩山邦夫文相が「業者テスト廃止」と打ち出した時だった。職業教育課長として農業高校や商業高校をどう改善するか悩んでいた寺脇は千載一遇のチャンスと受け止めた。
「生徒が劣等感を抱くのは偏差値による輪切りで職業学校が下位に格付けされるから。業者テストが廃止され、振り分けが難しくなれば進路の多様化に道が開ける」
92年の改革では小学校に生活科が新設され、10年後に始まる総合学習の先導役となった。高校では94年に家庭科が男女必修になり、男子は体育、女子は家庭科という区別がこの年になくなった。
「円周率3」について
寺脇にとって幸いだったのは81年、土光臨調の事務局に出向を命じられたことだ。行政改革の立案と省庁間の調整が仕事。それまで文部省しか知らなかったが他省庁から送り込まれた官僚に接し「井の中の蛙」を思い知る。教育現場は産業・労働・福祉・財政などあちこちと絡み合っている。共に汗をかいた縁でネットワークができ、霞が関改革派が繋がった。内向きの文部省で、外に顔が利く寺脇は異色の存在になる。
大臣官房審議官だった02年、ゆとり教育の総仕上げとも言える学習指導要領の削減・学校の週休2日制を断行した。寺脇はテレビで発言し、著作で持論を展開した。
例えば、「円周率は約3」、つまり直径の約3倍が円周の長さであると教える。「3・14と教えてきた円周率を3にするなど乱暴だ」と識者が噛み付いた。
「円の中にピッタリはまり込む6角形の周囲の長さは直径の3倍。円周は6角形よりちょっぴり長いが概ね3倍強。正確には3・141592と無限に続く。それを約3で切るか3・14とするかは程度の差。3と教えると学力が下がる、というのは言いがかりだ」
教育行政への批判に寺脇が前に出て反論する機会が多くなった。いつのまにか「ミスター文科省」になっていた。
教育改革の旗を振って登場した安倍政権になると教育基本法改正、歴史教科書批判、教育委員会の空洞化など文科省は批判の矢面に立たされ、ゆとり教育への風圧が一段と力を増した。
教科書が薄くなった。学校の勉強だけでは受験に受からない。公立のレベルが下がった。基礎知識が身についていない。人材力が低下し技術立国が危うい……。「首謀者は寺脇」とされた。
「ゆとり教育を批判するのは女性より男性、受験学力や社会的地位の高い人、経済力のある人。今まで教育制度でいい思いをしてきたひとたちが声をあげている」
お勉強に励んだいい子、幸いニートにもならず、勝ち組の側にいる人たち。寺脇自身もその典型ともいえる勉強秀才だった。ラ・サール高校から東大法学部へ。
「受験一辺倒、成績や肩書だけで人の価値が判断される環境でもおかしくならずに済んだのは、小学校が良かったからだ」
父への思い、そして
福岡、鹿児島の小学校で障害児や貧困家庭の子どもと学んだ。人には違いがある。折り合って暮らしてゆくことの大事さを学んだ。
父親は医者で教育熱心だったが一段高いところから世間を見下ろすような態度が許し難く思えた。恵まれた存在であることへの「恥ずかしさ」、そんな感覚が幼い寺脇の心の隅に宿っていた。
東大で辻清明教授に師事し行政学を学び、公務員試験に合格。迷わず文部省を選んだ。
「公務員は国民への奉仕者。教育や文化の行政に関われることはすばらしいことだと思った」
教育学者の永井道雄が文部大臣をしていた。かび臭い権威主義が濃厚だった文部省が変わろうとしていた。「体制内改革」への思いを秘め官僚生活が始まった。
それから31年。ミスター文科省は局長にもならずに去る。「ゆとり教育」は省を挙げて推進した政策だが、「学力低下」の咎めを寺脇が背負い込む形になった。
高校にほぼ全員が入学できるようになり、無理していい学校に行かなくてもそこそこ暮らせる豊かな社会。勉強よりずっと刺激的な情報が氾濫している。学習への意欲が低下するのは先進国に共通した傾向でもある。
「動機が低下すれば、詰め込んでも受け付けない。興味ある課題を見つける訓練や、社会でも自分の位置を自覚するような訓練が必要で、総合学習の狙いはここにある」
教育委員会の改革は
ペーパーテストが表す学力は能力の一部でしかない。課題を見つけ突破できる能力こそ、複雑化する世の中を渡っていくのに欠かせない能力だ。
「国際競争力をつけるには技術水準を高めるエリート教育が必要という。それもあっていいが、日々新しくなる技術や道具を普通の人たちが使いこなす応用力を身につけてもらうことが公教育の課題ではないか」
リーダーとかエリートとか言われながら、社会で有利な立ち位置を占めることばかり考えるような受験の勝者を作ることが教育ではない、と言い切る。
教育サービスを提供する教育委員会さえ揺らいでいる。イジメで自殺した生徒への対応や、タウンミーティングで繰り返された「やらせ」など官僚的保身は目を覆うばかり。この際、解体してしまえ、という主張がある一方で、権限を強化することで社会の負託に応えようという声もあがっている。
「どちらも違う。信頼を回復するには透明性を高め人々の参加と監視を保証する。教育委員の人数を増やし、公選制を復活するのもひとつの考えだと思う」
官僚から、民間の教育ボランティアへ。攻守所を変えても、立ち向かう課題は山ほどある。
編集委員 山田厚史
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