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2006.11.18 Saturday
浜四津公明党代表代行を告発
Posted by 主義者Y
浜四津氏は十二日、那覇市のパレットくもじ前で街頭演説した際、「(糸数氏は)参議院のなかで沖縄の『お』の字もいったことがない。沖縄のために、何一つ相手候補はやっていない。これまでやってこない人が、いくらやるやるといっても、だれが信じるか」などと、虚偽の演説を繰り返し、糸数候補への個人攻撃に終始しました。
(しんぶん赤旗)より
「虚偽事実公表罪」で那覇警察署に告発したのは、「キラめく沖縄をつくる会」の喜納昌春事務局長(沖縄社会大衆党委員長)。
学会内部的に言うと「共産党のデマなんかにのるな!」と怒られそうだけど、告発したのは社会大衆党の人だ。しかも街頭演説での発言であり、聞いている人はたくさんいる。ウソならすぐバレる話だ。
前後の脈絡や語彙のニュアンスが悪意で伝わっている可能性も気をつけなければいけないが、それでもあまりに情けなく酷い発言だ。
糸数氏は参院時代、財政金融委員会で四十五回の質問のうち、三十四回も沖縄に関する問題を取り上げています。これに対し、同委員会の理事会で「沖縄のことばかりやるな」と二度にわたって妨害してきたのが、自民党、公明党でした。
「沖縄のことばかり」と難癖をつけておきながら、「『お』の字もいったことがない」と攻撃する。こんなメチャクチャなことがあるか。
このブログは、私の知人である創価学会員も見ている。その人々にまず訴えたい。
戸田先生の遺訓「青年よ 心して政治を監視せよ」は、自らが支持している政治家にも向けられる。公明新聞が現在、竹入元委員長の腐敗を執拗なまでに弾劾しているのもその顕われだ。仏法をたもった政治家ならば誤りを犯さないなどというのは幻想である。苦しい闘い、栄光の勝利を共有してきた同志ですら、永劫に間違いを犯さないということはない。
誰もがあたりまえの弱い人間だからこそ、私たちは日々修行に励むのではないのか。判断を停止するのは「盲信」である。一重立ち入った「信」こそ、ことの正邪を見究める眼を鍛えるのだと思う。
私たちには責任がある。
もうひとつ。
断っておきますが、私は「教育基本法」の見直しについては、拙速は慎むべきだと思っております。
前文や1条に謳われた理念は、それ自体文句のつけようのないものですし、また、条文に郷土や伝統、文化等の文言を盛っても、それだけでさしたる実効が期待できるとは思えません。
まして「教育勅語」の徳目の復権など、それらが戦前の天皇制、家父長制のもとでどのような役割を演じてきたかを考えるなら、時代錯誤以外の何ものでもないでしょう。
総じて、私は、文部省が音頭をとり続けてきた官僚主導型、政治主導型の近代日本の教育制度のあり方は、そろそろ限界にきているように思います。
これは池田先生の「教育提言」からの引用。このすこしあとに「そこで、私は、21世紀の教育を考えるにあたり『社会のための教育』から『教育のための社会』へというパラダイムの転換が急務ではないかと、訴えておきたいのであります」という文がある。私はこの「教育のための社会」という提言に衝撃を受けた。それは人間の幸福にこそ社会や国家は仕えるべきであるという根本命題に通じるものである。決してその逆ではない。公明党は支援団体の長の言葉に、もちろん拘束されるいわれはない。だが、この自らにもっとも近しい一知識人の提言に対して何と応えるのか。教育基本法の「改正」は、その精神とは逆の方向を向いているのではないのか。
もう一度考えよ。なにかに倣うのではなく、各々が自分の頭で考えよ。
牧口先生が軍国主義政府の弾圧によって獄死した「11.18」の日に。
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