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いい気なもんだ安倍総理は。兵隊に取られたり苛められたりする「我が子」がいないんだから。空想の首相だ。
http://www.asyura2.com/0610/senkyo28/msg/228.html
投稿者 新世紀人 日時 2006 年 11 月 17 日 13:13:27: uj2zhYZWUUp16
 

子沢山(しかも男子)でありながら勇ましく、それでいて子供の誰をも自衛隊に入れていない石原都知事も要領のよい自己欺瞞的な奇怪人物だが、

安倍首相も気が知れない人物だ。

彼にとっては、他人の子供は、国のために死のうが、級友や教師に苛められようが他人事で済んでしまうのだ。

子供が居ないから、いつまでも御夫人と手を繋いでいられるのだ。子供が居たら、子供と手を繋がなければならなくなる。

他人の子供の苛め被害も将来の戦傷・戦死も空想事でしかない。
彼には子供の「命」も「血」も想像できない筈だ。映画の世界と同じであろう。
本体は空想首相なのだろう。
困りますねこんな人は。
たしかヒトラーにも子供がいなかったな。

安倍首相に似てそっくりなのは民主党の前原議員だ。彼にも子供がいないのだ。

子供のいない彼らに平然とした顔をされて、子供の苛め問題と軍務について語られては不愉快だ。

私は以前にも書いたことがあるが、
戦時中の軍役経験者の中で勇ましい事を語る人は、例外なく実戦経験のない後方勤務または事務経験だけの人であったと言う事だ。
実戦経験のある旧軍人は、兵隊であろうが将校であろうが下士官であろうが、
戦果を上げた人であろうが逃げ回っていた人であろうが、
誰一人として、実戦経験者は勇ましい事を言わなかった。
戦場での敵味方の戦死・戦傷を目にしたとき、勇ましさの問題は突き抜けてしまうのだ。
敬虔な思いに至るのである。
勇ましさは空虚な思いである。
実戦に参加しなかった人、参加出来なかった人が、自分の勇ましい思いだけを空回りさせて空しく吼えるだけのことだ。
中曽根康弘はこの類の典型的人物だ。
この類の人物は、自分が死に損なったと思うなら、
戦友に申し訳ないと思うなら、急に申し訳ないと思うなら、
戦後であっても構う事はない、
後を追って死ねばよいだろう。それが誠意というものだ。
彼らにそんな事が出来る筈がない。彼らの本性は意気地なしであるからだ。
意気地なしで構う事はない。人類は意気地なしだから滅びないのであるからそれでよいのだ。
意気地なしのくせに、虚勢をはって勇ましさを装う事に大きな罪が存するのだ。
「私は意気地なしだから戦えません」と言えばよいのだ。
彼らはそれすら言えない程の本当の意気地なしである。
他人を戦わせて、それで自分が戦ったと勘違いする小心者の意気地なしである。
最低の奴らである。

ゼロ戦搭乗員の撃墜王だった坂井三郎氏はまことに謙虚な方だった。
命を取り合う「空戦」を語った手記が戦争文学と呼ばれるに至ったのは、
彼の戦争への、人間への誠実な姿勢によって語られたものであったからだ。
http://kore.mitene.or.jp/~komahann/sakai.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%BA%95%E4%B8%89%E9%83%8E

戦場の残酷な厳粛な姿に遭遇し、兵士の心が変化してゆく様を描いた名画は
「西部戦線異状なし」である。
映画の世界の事であるから、実戦の有様を描ききる事は不可能ではあるが、
それでも実に説得力の強い映画であり、これほど出来のよい反戦映画は無いと思っている。

http://www.aa.alpha-net.ne.jp/joljol/eiga/seibu.html
西部戦線異状なし
--------------------------------------------------------------------------------
1930年アメリカ作品(舞台はドイツ、でもセリフは英語)

時は第1次世界大戦中。
舞台はドイツとフランスが戦う西部戦線。(世界史を勉強しよう!)
ドイツの学校では教師が学生達を鼓舞している。
「鉄のドイツの命である若者達よ、国のために犠牲になるのはとても美しいことだ。私は決して軍へ志願しろと強制しているワケではないが、諸君なら分かるハズだ!」
そして若者達はみな嬉々として志願していく。

この場面の描写は見事だと思いますネ。若者達の目は完全に洗脳されたそれであり、彼らの頭の中では戦争は英雄的行為でしかない。そして若者達を戦場へと駆り立てる教師。まさに狂気…
英雄に憧れ、意気揚揚と入隊した若者たちだったが、彼らに求められたのは英雄になることではなく、一個の兵士として、命令された通りに動き、死んでいくことだった。
食うものもなく、泥にまみれ、塹壕の中で銃を撃つ毎日。
砲弾が目の前に降ってくる。
銃を構えた敵に突撃していく。
いつ死んでも不思議ではない…

砲弾に怯えて泣き叫び、友人達の死を目にし、自らも傷を負いながら主人公は戦争と死の恐ろしさを知る。しかし、休暇で故郷のドイツに帰った彼が目にしたものは、相変わらず若者を鼓舞し戦場へ駆り立てる教師と、それに目を輝かせる若者たち。戦争と死の恐怖を説く彼は「臆病者」と罵られ、そして前線へと戻っていった。

ラストシーン、主人公は塹壕の中で敵兵に狙撃され死んだ。
彼の死んだ日は、目立って激しい戦闘が行われたワケでもなく、いたって平穏な日だった。何のことはない、名もない兵士が1人死んだだけだ。

その日、前線司令部は本国に「西部戦線異状なし」と打電した…

戦争なんてカッコイイもんじゃない。死ぬのは痛くて怖いんだ…
そういったことを訴えかける映画です。(私は読んでいないが元は小説です)
反戦映画の元祖的作品で、生々しい「死への恐怖」を描いています。最近ではスピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』なんかが、同じような手法で戦争の愚かしさを描いていますね。(いまだに戦争を英雄的なものとして描く映画も後を絶たないが…)

映画の中でこんなやりとりがある。
負傷した友達のことを話している場面だ。
「あんないい奴がひどい目に遭うなんてな…
「戦争を始めたフランスが悪いんだ!」
「あっちだってそう言うさ」
「戦争の原因は何だ?」
「国と国との対立だよ」
「ドイツの山がフランスの平野を憎むのかい?」
「バカ、国民同士の憎み合いだ」
「なら俺には関係ない。誰も憎んでねぇから!」

これはかなり戦争の核心をついている場面だと思いマス。
どんな戦争でも発端は、一部の支配者階級が自分たちの経済的利益の追求や社会的な支配欲から始まることがほとんどだ。後方でふんぞり返っている一部の特権階級の人間たちの薄汚い欲望のために、実際に戦場で殺し合うのは何も知らないごく普通の人たち。何ともバカバカしい…

色んな戦争の歴史的背景などを見つめると、戦争が起こされる理由が見えてくるものだ。
簡単な例を一つあげるならば、軍需産業が多くの利益をあげるために政治家と結びついて戦争を引き起こす…とかね。
民族紛争とか宗教的対立なんかは大抵は利用されてるだけダヨ。
「あそことあそこの地域は民族的に対立してるから武器を流して対立を煽ってやれば儲かるな…」とかね。(実際にはもっと複雑に色んな要素が絡んでるケド)
人の命よりお金の方が大切な世の中で我々は生きているワケだ…

勉強すればもっともっと薄汚い社会の裏側が見えてくる。
それを知るのはイヤなことかもしれない。腹が立つかもしれない。
しかしそれは紛れもない事実だ。
知っていようがいまいが、地球のどこかで薄汚い相談がされている。
知らなければそのままだ…
「変えたい」と思っても、事実を知らなければ声をあげることもできない。
まずは色んなことを知ることから始めようゼッ!

戦闘機が買えるくらいの はした金ならいらない!(by ブルーハーツ)

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kokorowakuwaku/eiga/seibusensen.html

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