★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK28 > 224.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20061117/p3
「愛国心」とか「道徳」とかって、それすらけっきょくのとこネタでしかなくて、ホントのところは、自分たちにとって見苦しいやつを排除したり文句言うやつを黙らせることに法的な根拠がほしいだけなんだろうなと思う。
いや本当に「道徳」とか子どもの健全生育に心を砕いているなら「やらせ」をもっと恥じるって。「態度」こそが大事なんではなかったか?(改正法案にも「態度」のことは書かれている) 子どもは大人を見て育つとか「まず隗より始めよ」とかって「道徳」好きの人は好きそうなんだけどなー。どうもかの人たちが言う「道徳」というのは自分たちには適用されないようだ。それかそもそも「道徳」の意味が一般的なものと違うか。
「態度」ってのは怖い言葉だ。態度を要求するのは内心の自由と関係ないという人がいるが、まずは型からという考え方もある。お茶とか武道とか、最初はどうしてそうするのかわからなくても、やっているとわかってくるとか言いますよね。そういや「あいさつ運動」ってのもあったな。内心では「こいつ死ねや」と思っていても元気に明るく「おはようございまーす」。まあこういうのは社会人の多くの人は毎日やってることだろうが。慣れると自動的にやれてしまう。
先日、教育基本法が改正されたらどうなるかと妄想を膨らませたが、実際のところ、あそこで書いたようなことはすでにあちこちでもう始まっているんだよな、ちょこちょこと。愛国心だって学習指導要領に書かれているわけだしな。愛国心通知表なんてのもあるし。
そういう意味では「改正」は改革でもなんでもなくて、むしろ現状追認であり、現に(通達を守らせるなどの形で)行われていることに「お墨付き」を与えることで、政府側のさせたいことをもっとさせやすくするという効果もあるだろうが、それよりも、上からの指示に対して文句を言いにくくする、少なくとも公的機関がその文句や行動を起こす権利を保障することは難しくなるという効果のほうがでかいだろうなと思っている。今までは「学習指導要領にこう書いてある」という根拠で異論のある人に言うことをきかせようとしていた人は、これからは「教育基本法にもこう書かれている」という根拠も使えるようになって正当性が増すというわけ。
まあ上のほう、地位があって人に言うこときかせたいと思っている人、異分子はいないほうがいいと考えている人に都合のいい法律だわなー。その人たちにとっては「美しい国」「いい国」になっていくんだろうと思う。人間誰しも自分に都合のよい世の中になってほしいと願うもんだが、政府にとって、政権党にとって、国家にとって、「いい世の中」が自分にとってもいい世の中と思える人には暮らしやすい世の中になるよ。(ってかせめてそうならなけりゃ法律を変えていく意味ないだろう)
国家にとっての「いい世の中」が自分にとっても「いい世の中」。自分にとっての「いい世の中」が国家ひいては国民にとっても「いい世の中」。
どこの国でも多かれ少なかれ政治家はそういう考えを持ってるものなんだろうが、だからこそその実現の過程で住民に対して抑圧的に働きがちな(もしくは特定立場の人たちを無視してるとか一方の立場の利益だけしか考えてないとかの)政策を暴走させないために憲法だとか基本法だとかがあるもんなんだがな。少なくとも私はそう理解している。でもこの国の政権党は憲法も基本法も政府(ともしかしたら代理店とか多国籍大手企業とかもしかしたら米国政府とか)のもの、自分たちが国民・住民に命令指示する根拠となるものにしたいと思っている。そういう国だ。
だからもちろん基本法の精神も上のほうにいる人たちには適用されないんだろうなー。住民は「道徳」と「愛国心」と「公共の精神」を身につけるべし。法を守るべし。でも自分らには関係ない。なぜなら俺らが法律だから。そうとしか思えん。
まあでも確かにこういう調子じゃ「上に行かなきゃ・勝っていなけりゃ・強くなければ人生どん底。上に行くため・勝ち続けるため・強さをアピールするために他人を踏み台にしたり蹴落としたりするのもしょうがない」みたいな考え方も芽生えるわなあ。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK28掲示板
フォローアップ: