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★遊牧民★です。
この文章は転送・転載していただいてもOKですが、転送・転載する場合は全文をそのまま掲載してください。部分引用や抜粋引用はお断りします。
遊牧民は元創価学会員で、昭和54年頃に脱会しました。
遊牧民は昭和30年【干支(えと)は未(ひつじ)です】11月生まれですが、両親は同年6月頃に創価学会に入信していました。初めは母が朝晩の「勤行」を一生懸命やっていたようですが、父はしていませんでした。
両親は大阪市内で理髪店(バーバーとも云う)を営んでおりました。自宅兼店舗です。
僕が3歳くらいの頃、僕が自宅から50メートルほどの路上でタクシーに轢かれました。時間は午後の3時か4時頃だったと思います。ドカンと云う大きな衝撃音がしたとのことです。僕はタクシーの下敷きになったようです。
「事故や、交通事故や、こどもが轢かれた!」との声を聞き、店にいた両親は「野次馬根性」丸出しで、お客をほったらかして、見物に飛び出したとのことです。ところが、現場に行くとタクシーの下敷きになっているのは「我が息子」ではありませんか!
タクシーの運転手と父が車の下から意識不明の僕を引き出すや否や、僕が大声で泣き出したとのことです。
ケガは右ひざを少し擦り剥いただけで、外傷も骨折も打撲も内出血も何もかも一切ありませんでした。近所の目撃者は「絶対に死んだと思った」と言いました。そして、「かすり傷で助かったのは奇跡」だとも。
父は、僕の「奇跡の生還」は「ご本尊さまのお蔭」と思い、僕の交通事故がきっかけで、創価学会の活動を一生懸命にするようになり、地域幹部にまでなりました。母は、公明党の国会議員(当時)の田代富士夫氏の奥様や、矢追秀彦氏の奥様に懇意にしていただいたようです。母は「矢追さんの奥様がいちばんいい」とも云っていました。
しかし〜僕はほとんどと云うか、全く学会活動をしていませんでした。学会には小学生を対象にした「少年部」、中学生の「中等部」、高校生の「高等部」、大学生の「学生部」、そして社会人の「青年部(男子部・女子部)」、おばちゃんの「婦人部」、おっちゃんの「壮年部」があります。
小学校、中学校の頃は、たまに近所の男子部のにいちゃんのクルマに乗せられて大きな会合に連れていかれましたが、僕は「信教の自由やんけ!」と反発していました。
僕が高校に入学して間もなく、家庭の事情で一家は三重県上野市(現・伊賀市)に引っ越しました。僕は三重から大阪の守口市の高校まで片道1時間50分をかけて通学しました。両親は三重でも理髪店を営みました。創価学会の肩書は父はブロック長、母は副大ブロック担当でした。
僕は高校1年の夏のある日、大ブロックの男子部の人のクルマに乗せられて、1時間あまりのドライブの果てに、四日市市民会館での「三重県男子部幹部会(参加者約1000人位?)」に連れて行かれました。
そこで僕は、運命的とも云える福島源次郎青年部長(故人・役職は当時・のちに副会長・さらに池田センセイに造反し失脚、その後脱会)の講演(学会では「指導」と云っています)を聞き、深い感銘を受け、それから学会活動をするようになりました。(今になって思えば「感銘を受けた」のではなくて、「洗脳を受けた」ようです)
そして僕は、高等部の活動にのめり込みました。高校2年からは地域の高等部の「中心グループ長」に抜擢されました。当時、創価学会高等部は一般部員の上が「班長」、その上が「グループ長」、その上が「中心グループ長」でした。「中心グループ長」までは高校生で、それより上は大人の男女青年部が「長」になっていました。
さて、熱心に学会活動していた僕や両親も昭和54年頃に創価学会を脱会しました。
脱会の経緯は、書けば単行本数冊に及ぶほどの枚数になると思いますので、本稿では省略しますが、いつかお話しする機会をいただければ、お話ししようと思っています。
ああしんど〜今までが前置きです。
■創価学会の伝統〜投票日当日の選挙運動!
公職選挙法では、「投票日当日の選挙運動」は禁止されております。
しかしながら、創価学会が政界に進出した昭和30年代から今の今に至るまで、「伝統的?」に「投票日当日の選挙運動」が半ば公然と行なわれているのです。
はっきり申し上げまして、これこそが公明党=創価学会が「集票マシン」と云われる由縁なのです。おそらく今後も「伝統的に」行なわれるでしょう!
この「投票日当日の選挙運動」は、常日頃の活動が下敷きになります。
創価学会は「地域友好」とか「友好活動」と称して、学会の「シンパ」や「少なくとも批判しない人」を一人でも多くつくる活動を「金集め」の次の「最優先課題」に掲げております。
分かりやすい例をあげます。
日常の「友好活動」は主に婦人部のおばちゃんが主役です。
婦人部のおばちゃんは、スーパーでは「特売品」しか買いません。特売品でない食料品や衣料品などは、商店街や町の対面販売のお店(商店)で買います。わざわざ遠周りになるのにそのお店まで買いに行きます。
大根1本買って、適当に世間話をして帰ります。毎日だって通います。必要の無いものまで買ったりします。当然、お店の人に顔を覚えられます。
そして〜いずれ、何処でも地方選挙や国政選挙が巡ってまいります。
そんなある日〜
「ねえ、八百屋のおっちゃん! 最近売れ行きどう?」
「あ、奥さん、毎度おおきに。売れ行きでっか? さっぱり、あきまへんわ!」
「やっぱりねえ〜。政治が悪いんやねえ〜」
「政治?私らみたいな、ろくに学校出てないもんには、分かりまへんわぁ〜」
「ねえ、おっちゃん。今度の日曜日に参議院選挙の投票があるけど、誰に入れるか決めてんの?」
「奥さん。私ら、政治なんて関係あらへん。選挙なんて、ここ10年ぐらい行ってまへんわ。せやなぁ〜社会党が無くなってからかなぁ(しみじみ)」
「ねえ、おっちゃん。ほんなら、公明党に入れてえなあ! 公明党は悪いこと一切してへん清潔な党やで。弱いもんの味方やで」
「でもねえ、奥さん。投票日は日曜でっしゃろ? 私ら、日曜も店開けなあきまへんねん。日曜は青果市場が休みで仕入れが無いけど、朝8時には店開けてます。投票所の小学校は遠いし、私らクルマ持ってまへんねん。足がおまへんがな」
「そんなら、おっちゃん。うちの息子にクルマで送り迎えさせるがな! 行こ、行こ、投票に! 公明党に投票に! せや、日曜の朝7時過ぎに迎えに来るわ! 奥さんも一緒に投票に行きまひょね。比例区は公明党て書いてね。選挙区は○○さんやで。投票の帰りにどっか喫茶店でも寄ってモーニング食べまひょか?私が奢るから心配せんでもええよ。ほな、日曜の朝7時過ぎに〜」
〜と、まあこんな具合に無理矢理?交渉成立!
投票日当日は午前6時から学会の大ブロック拠点(ほとんどが大ブロック長の自宅)に集合し「勤行」します。そのあと、誰が町内の誰を連れていくかを再確認して、いよいよ出陣!
まず先に自分たち創価学会員が投票を済ませ、その足で「連れ出し」に参ります。
「連れ出す」約束時間は厳守します。
先ほどの婦人部のおばちゃんは、八百屋夫婦を息子の運転するクルマに乗せて、クルマの中では「比例区は公明党て書いてね。選挙区は○○さんやで」と何回でも繰り返し唱えます。覚えが悪い人には「メモ」を渡したり、手のひらにサインペンで書いたりします。この「カンニング・ペーパー」や「カンニング・手のひら」が投票所で発覚し、選挙違反で捕まったケースも少なからずあります。
「連れ出し」が終ると拠点宅に戻って、次の「連れ出し」の確認をします。お昼ごはんは基本的には自分の家に戻って食べて、再び拠点宅に集まります。
この「連れ出し」は夜まで続きます。特に、ひとり暮らしのご老人や、投票所に出向くのが億劫な方には、この「連れ出し」が喜ばれました。
もちろん、この「連れ出し」のガソリン代や喫茶店の費用、お昼の食事代、夜の食事代などはすべて学会員の自腹です。この「地道?な選挙活動」こそが集票マシンの原動力なのです。
僕は学生部(大学生)の時には、この「連れ出し」に命燃やして、運転手していました。「選挙違反」とは知っていましたが、「投票率を上げて選挙管理委員会に貢献しているんやで。どこが悪いねん!」と心から思っていました。でも、多くの学会員は「選挙違反」とも知らずに「連れ出し」に邁進しています。
今、闘われている沖縄県知事選挙や尼崎市長選挙に於いても、11月19日の投票日、創価学会の地域の拠点宅には、朝6時に自転車やクルマが整然と並んでいることでしょう!
文責★遊牧民★
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