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皆さん、はじめまして。いつも拝見させてもらってます。
ところで石原都知事の事ですが、この男のせいで自殺などして欲しくない。今のおじさん達が終戦直後から道徳的だった訳じゃない。元登校拒否児の石原慎太郎は、スーパーフリーを奨励するような小説を書いていた。こんな男がまさか政治家になって若者に道徳を説くようになると誰が考えただろうか?しかし、共感性が著しく低い人格障害を持つ男を知事に選ばれたので、都民は多くの不支持の者もそのツケを払い続けねばならないのだ。石原に道徳を説かせる気か?私は出来れば石原が殴られていないのに、少年が自殺をして欲しくはない。彼のわがままが道徳としてまかり通るのは我慢できない。おかしいし、ダブスタだと思う。彼がまだ子供なら許せるが、彼には知事として上に立つ自覚がない。しかし、彼はもう大人だから叱る親はいないだろう。必ずしも石原の生き方や言動が日本の高齢者に人気があるかというと、その確信は全く持てないのだ。↓
鮮烈デビュー「太陽の季節」
http://www.sensenfukoku.net/novel/novelm.htmlより抜粋
「落ちこぼれの先駆け、一年間の長期休学」
しかしながら敗戦を契機にして、石原を取り巻く環境はがらりと変化することになる。敗戦を迎え、石原は学制改革により新制「湘南高校」へ進学した。そこで石原は180度の価値観の転換を経験するのである。
教師はその意味もよく分からぬまま、民主主義を説き、東大に進み「国の役人」になることを強要し始めた。その際、校長は生徒を集めて得意気に「これが我が校の出世頭だ」と当時の大蔵省理財局長を紹介した。
石原はその現実を目の当たりにして、「なんてくだらない学校なのだろう」と思い、それをきっかけに学校離れも進んでいった。
そしてついに1年間もの長期の間、休学をすることになる。
以前から弱かった胃腸を理由にした仮病であった。それは今で言う「不登校」であり、「落ちこぼれ」の先駆けでもあった。慎太郎17歳の時である。
石原はその時の気持ちを、
「ただもう学校にいくのがなんとしても嫌でならなかった」と書き記している。
略
弱冠23歳の学生作家が時代を先取りし、戦後新世代の風俗やモラルの提示を行ったのである。作中の一文、「勃起した陰茎を外から障子に突き立てた」が象徴する過激な性描写が、賛否両論の論議を巻き起こし、「太陽族」なる若者を出現させ、更には「慎太郎刈り」というヘアースタイルが流行になった。『太陽の季節』は新潮社より刊行され、瞬く間に25万部を売り尽くした。
宮崎正弘の国際ニュース
http://www.melma.com/backnumber_45206_2452219/
ここにスーパーフリーを描いたような石原の描写がある。石原は預言者だったのか?
[PDF]
戦後ユース・サブカルチャーズについて(1):太陽族からみゆき族へ
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat
太陽の季節」に登場したような太陽族その. ものは特殊な種族に過ぎなかったが、若いものが. 現象的に太陽族的にならざるをえない状況はすで ... までの間、「太陽族発祥の地とも言うべき逗子、鎌倉両署管内では、傷害、恐喝未遂、殺人未遂、強姦がそれぞ ...
www.kwansei.ac.jp/ref_table/5291_44343_ref.pdf
奥野健男の『金閣寺』論をめぐって
中略
「ぼくには三島由紀夫が金閣寺放火犯人の青年僧侶に内面的親近感を抱いたということにある異常さを感じるのだ。敗戦後、いわゆるアプレゲールの青年として世間から指弾され続けたぼくたちの世代は、戦後の青年の犯した事件に密かに内的共感を抱くことが多かった。暴動はもちろん強盗、強姦、親殺し、教師殺し、上役殺し、そして光クラブでも女子大生殺しもそうであった。しかし金閣寺放火にだけは何の世代的共感もおぼえなかった。かなり綿密に新聞記事を読んでその動機をそんたくしてみたが、共感をおぼえようがなかった。ただの愚行であり、うじうじした偏執狂の見当違いの嫉妬、というより完全に凶人の意味のない行為として、ただ腹立たしかった。もっともぼくは金閣寺が焼けたことに、法隆寺の金堂が焼けたような衝撃や怒りは感じなかったが。それは金閣は写真を見ても、本物を見ても、どこが素晴しいのか、美しいのか、ぼくには少しもピンと来なかったからだ。何か寒々としたこけおどかしで貧弱な建物としか思えなかったから、その焼失をさほど惜しいとは思わなかった。」(346-7頁)
http://lunatique.blog20.fc2.com/blog-entry-65.htmlより抜粋転載
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