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2006年12月15日 (第1、第3金曜日更新)
第20回 日本にはマネーの「出口」に関する議論が必要だ
「拝金主義批判」は日本人の嫉妬心に他ならない
いよいよ今年も「師走」が始まった。去る12月1日、私は日本株マーケットの「潮目」を国内外の政治・経済情勢に対する独自の分析を踏まえ、日本の個人投資家の方々にお伝えしているCD版「原田武夫通信」(外部サイト)を新たに出すにあたって、その中で次のように申しあげた。
「来る12月4日を契機として、日本株マーケットにはヘッジ・ファンド勢が大挙して参入、小型株=新興銘柄に対して波状攻撃をかけ、状況は一変する。急激に乱高下する新たな潮目に乗り損ねないようにできるか、個人投資家にとっては今年最後の山場となる」
果たして、マーケットにおける「現実」はそのように推移した。そのことによるのだろう、CD版「原田武夫通信」に対するニーズも今年で最高潮に達したのだと聞く。「世界の潮目」を一人でも多くの日本の個人投資家の方々にご理解いただきたいと、今年の春から精進してきたつもりであるだけに、これによって今、笑顔をこぼして下さっている方々と喜びを分かち合いたい気持ちでいっぱいである。
そしていよいよ来年は、5月に改正会社法施行に伴う「三角合併解禁」を控えている。米系を中心とする外資による日本買い、すなわちM&A相場の到来である。確かにいまだに財界、官界を中心に反対論がくすぶっている「三角合併解禁」ではあるが、後日、結果としてみれば怒涛の金融資本主義という大勢に変わりはなかったと言える。その流れにブレはないだろう。結果、2010〜2011年ごろまで日本株マーケットは時に急騰しつつ、総じて上昇カーブを描いていくことになるはずだ(このあたりの「シナリオ」については、拙著「騙すアメリカ 騙される日本」(ちくま新書)を参照願いたい)。
もっとも、そうした株高と同時に日本で必ずや巻き起こるのが「拝金主義批判」である。やれ「国家の品格」だの、「武士道」だのといった議論はさすがに新鮮味がなくなってきた感があるが、その一方で「隣人がもうけていると妬ましくて仕方ない」という人間の性(さが)は変わらない。今年に発覚し、現在公判が続いている「ライブドア事件」と「村上ファンド事件」を支えるのも、とどのつまり、こうした私たち日本人の嫉妬心に他ならない。
「嫉妬」という言葉がどんな外国語にもあることから分かるとおり、こうした状況は諸外国においてもまったく同じはずである。とりわけ、時にとてつもない大金持ちがいることが全世界に報道される米国であっても、人間同士の嫉妬心はあるはずだ。しかし、米国で「ライブドア事件」や「村上ファンド事件」といった経済事件が発覚したのを受け、「拝金主義批判」が連日連夜のように大メディアで繰り広げられることはない。そしてそのことは、米国同様に大金持ちたちが暮らしている欧州、アラブ諸国などでも同じなのである。一体、なぜなのだろうか。
「その答えは信仰心にある」ということを、私はかつてこのコラムで書いたことがある(「第11回 『召命』としての個人投資」)。プロテスタント、そしてユダヤにイスラムといった宗教に対する熱烈な信心の現れとして猛烈な投資活動が行われ、その結果、利益が山積みになっていく。するとその積みあがるマネーの大きさ自体が「信心のあらわれ」とみなされるようになり、投資活動がいっそう盛んになるのである。そして、信仰心のあらわれとしての投資である以上、少なからずその利益の一部が、最後には自らが属する共同体へと還元されていく。このように、共同体を再生産するために最終的に用いられる限りにおいて、貧しき者は豊かな者を糾弾しようとはしないというシステムがそこには厳然としてある。
このままでは金融資本主義という新しい時代を乗り切れない!!
しかし、日本人は「国民的宗教」を持たない。もちろん、私たちはそれぞれ個別に宗教に対して帰依することがままある。だが、私たちの日本社会全体を「共同体」として覆っている宗教は事実として存在していないのである。だからといって、それぞれの宗教を信奉している者だけが独立した共同体を構成するに至っているわけでもない。そのため、「宗教を媒介として共同体への還元を目的とした投資活動のシステム」が日本には存在しないのだ。ここに、私たち日本人が単なる嫉妬心をこえて、富める者をバッシングし始めると止まらなくなるという日本特有の「拝金主義批判」の原因がある。
ところが、先ほども書いたとおり、来年初夏になれば確実に三角合併は解禁される。そしてその結果、日本株マーケットは上昇気流へと巻き込まれていく。当然のことながら、その中でとてつもない巨利を手にする日本人が続々出現することだろう。私としては、「黒船来航!」と竹槍をもって大騒ぎするヒマがあるのならば、日本の個人投資家たちも「世界の潮目」にのっとったトレーディングを果敢に行い、その果実を外国勢だけには渡さないようにすべきだという立場であり、そうした巨万の富を手にする日本人たちの登場はむしろ歓迎すべきだと考えている。このコラムをいつも熱心に読んで下さっている読者の方々にしてもまったく同じ心境だろう。なぜなら、そうした「金の匙(さじ)」は皆さんも平等に持っているはずなのだから。
そうした観点からすると、この手の旧態依然とした「拝金主義批判」ほど邪魔なものはない。いや、もっとはっきり言えば、これを乗り越えない限り、私たち日本人が金融資本主義という新しい時代を乗り切るために脱皮することはできないのである。しかし、ここまで戦後日本に染みついてきたのが「拝金主義批判」である。一体どうすれば乗り越えることができるのだろうか。
私が思うに、その方法は一つしかない。――私たちが暮らしている「日本」という共同体に対し、最終的に還元するような形で、これからさらに襲いかかってくる金融資本主義において勝者となる日本人たちが、その富を用いることである。もっと言えば、日本という共同体を「再生産」するために増え続ける自らの富を使うという意味で、もうけの「出口」について白黒をはっきりさせるのである。具体的には3つの「出口」がある。
「会議は踊る、されど進まず」を打破しなければ
まず、私たち日本人は一体、何をもって「日本人である」と自らのことを意識し、確認しあうのであろうか。これまでさまざまな論争があったが、結局のところ、日本という豊かな国土にあふれる四季折々で、山紫水明の「自然(注:あえて「じねん」とここでは呼びたい)」を日々感じ取っているという共通感覚に、それは求められるのではなかろうか。であるならば、まずは日本人に「共通のメンタリティー」を植えつけ、呼びおこしてくれる美しい「自然」を守っていくことに、成功者となる日本の投資家たちは「もうけの出口」を求めるべきである。すなわち、環境保全のために基金をつくり、団体を創設し、啓発・保全活動のために資金を投ずるのだ。そのことが、ひいては明日の日本人の中で、「自然」を通じた共通感覚を養い、ひいては「日本」という共同体を再生産することにもつながる。
また、そうした「もうけの出口」としての山紫水明という「自然」の尊さを教えることも含め、未来を担う日本の子どもたちに対する「教育」に資金を投ずることも共同体の再生産にとっては不可欠である。安倍政権になってから「教育改革」が突然叫ばれているが、いじめ問題が摘発されては、教員や生徒たちが続々自殺するという痛ましい事態の進展はやみそうにもない。各界の重鎮やテレビにもよく出演するいわゆる「教育のプロ」を寄せ集めた教育再生会議が設立されたのは良いものの、「会議は踊る、されど進まず」といった状況が続くばかりである。
なぜそうなのかといえば、日本の「教育」が目標を見失っているからである。いや、正確に言えば「目標はあるが、『教育のプロ』や政治家たちにそれを見つける能力がない」のである。私に言わせれば、日本が国家として子どもたちに教えるべきことは、ますます本格化する金融資本主義の中で生き残るための能力(「金融資本主義の基礎知識」「だまされないための情報リテラシー」「非公開情報でもアクセスできる人的ネットワークをつくる能力」)に尽きる。そしてそういう「教育」をしがらみにとらわれることなく進め、そのために投じる資金と効果とを大人たちが厳密に照らし合わせながら子どもたちを導いていくことで、日本という共同体を再生産していくことが、今求められているのである。
しかし例によって、とかく「精神論」が叫ばれがちなのが日本における教育論でもある。誰しもが「わが子は幸せになってほしい」と望みつつ、いざ教育を施そうとなると、一体何にどれだけ費用がかかり、その効果が不明確なのが教育マーケットなのだ。そうした不透明な現状を打破し、意識ある個人投資家の皆様が豊かになるにつれ、「もうけの出口」としての教育にアクセスしていく際のお役に立ちたいと思い、私は先日より無料メールマガジン「元外交官・原田武夫の教育投資通信」(外部サイト)を新たに発行し始めた次第である。不透明な「教育ワールド」の中の羅針盤としてお役立ていただければと考えている。
「人間であること」の自己確認ができる投資を
そして最後に「もうけの出口」となるのが、芸術活動である。文学、音楽、絵画といった芸術とは、それに触れることによって私たちが日本人として、さらにはそうした枠をこえて「人間」であることを思い起こさせてくれるものである。その意味で、人間が人間として生きていくためには必要不可欠なものであるといっても過言ではない。
そうした芸術の世界での貢献を夢見て、毎年、実に多くの優秀な若者たちが海外へと修行の旅に出かけていく。しかもその結果、大変な称賛を本場で受けて帰国してくることも多いのだと聞く。だが、こうした若者たちには日本で活躍の場はほとんどといって良いほどない。その結果、彼らは居心地の良い海外へと再び去っていってしまう。――芸術に対する投資なくして、私たちはどうやって「人間であること」の自己確認ができるというのだろうか。
この年末、そして来年1月半ばごろまでの乱高下を含む相場の中で、資産を着実に増やされる読者の方々も必ずやいらっしゃることだろう。そんな方々にはぜひ、今一度、新年を迎えるにあたって考えていただきたい。「人はなぜ、もうけようとするのか」と。そう考えるだけで、「もうけの出口」は開かれ、日本の個人投資家は「新しい中間層」へと脱皮することができるのである。それがやがて、無力となった「政治」にかわって日本を変える力となっていく。今、読者の皆さんに課された歴史的な使命は大きい。
そして最後に。――皆様、良いお年を!
※ 原田武夫についてのさらに詳しい情報は、「しごとの自習室 - 原田武夫通信」をご覧ください(外部サイト)。
紹介は以上。
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